十二月 うす氷








「おまえの手は、いつ触っても冷たいなぁ」

南郷はそう言うと、氷のような指先に、はーっと白い息を吹きかけた。
無論そんなもので芯まで冷え切ったものを解凍できるはずもなく、
ならばせめて少しでも自分の体温を分け与えようと
形の良い指を握りしめた。そうしていると、本当に氷の柱を握りしめているようで、
アカギの指がみるみる南郷の掌の熱を奪っていく。
痺れにも似た鈍い痛みが、そこからじわりと広がっていく。

「こんな手でまともに牌を切れるのか?」
「別に外で打つわけじゃないしね」

アカギは小さく笑うと、なおも握りしめている南郷の掌から、自分の指をそっと抜いた。
その両手をジーンズのポケットに突っ込んで歩きだすアカギの背中を追いながら、
南郷も今までアカギの指を包んでいた掌をスラックスのポケットに突っ込んで歩く。
冷たい指に体温を奪われなくなった掌は、なぜかさっきよりもすーすーする。

アカギは13の時から手足は冷たかった。唇も、はじめて触れるときにはいつもひやりとする。
頬や首筋や、胸や腹なんかはいつ触ってもあったかいのにな、とそこまで考えて、
アカギのそんなところに触れている状況に思い至り、南郷は顔を赤くした。

「やらしいなあ。何ひとりで赤くなってるの」

アカギが振り返り、絶句する南郷の反応を楽しむように眺めてククッと笑った。
…この男は、いつも一番顔を見られたくないタイミングで振り返るのだ。

「さ、寒すぎて顔がほてっただけだっ。ほら、温めてやるから手を貸せ」

「はいはい」

拒絶されるかとおもったが、アカギは素直に手を差し出した。
再び氷のような指先を掌に包み込む。先刻までポケットに入っていた手とはとても思えない。

「南郷さんの手は、いつもあったかいね」
「おまえのが冷たすぎるんだ」

アカギは衣食住にはあきれるほど無頓着で、この真冬に長そでシャツ一枚でやってきた彼に、
自分のセーターを無理やり着せた。南郷が世話を焼くのを、別にありがたがる訳でもなく
淡々と受け入れるアカギを見ていると、自分のやることなど単なるおせっかいにすぎないのでは
ないかともおもう。けれど、たとえどう思われていようと、手を出さずにはいられないのだ。
いくら本人が平気だと言っても、こんなに凍えた手を放ってはおけない。
そう思うのも確かだけれど、本当は…こいつは一人でも大丈夫だと、そう認めて構わなくなってしまったら、
二度と彼に手が届くことはないような気がしていた。








そんなことを考えていたからだろうか。
その夜、夢を見た。

もちろん夢だとは思わなかった。昼間の外出の続きだとおもっていた。
子供の頃よく遊んだ池で足を止め、冬になるとここでスケートをしたもんだと話していたのを覚えている。
氷が厚く張るのは二月頃のことで、今はまだ水面下が透けて見えるほどしか張っていない。
だがアカギは何を思ったか柵を乗り越え、池に足を踏み入れた。

「おいやめろって、危ないぞ」
「大丈夫だって」

アカギは足元を窺う様子もなく、すたすたと池の中央へ歩いて行く。
やはりまだ氷が薄いのか、歩くたびに足もとが不安定に揺らぎ、どこからともなく水が浮いた。

「アカギッ、まだ氷が!」

柵の外で叫ぶ南郷をよそに、アカギは難なく池の中央に立った。
歩いてきた跡はところどころ水底に沈みかけているものの、彼は悠然と薄い氷の上に佇んでいた。

「あんたも来なよ、南郷さん」

その柵を越えてこっち側に。オレとずっと一緒にいたいんならさ。

アカギの後を追えば、確実に氷は割れて、昏い水底が自分を飲み込むだろう。
でも思い切って彼の元へたどりつけば、一生彼と共に暮らせる。
なぜそんなことを考えたのかはわからないが、それはとても魅力的な賭けに南郷には思えた。
氷が割れないうちに走って行けば、彼のところに行けるような気がした。
そうして柵を越えた勢いで走りだす。一歩、二歩、三歩…

その時、氷が割れた。
アカギが何か言っている。だがそれを聞きとる間もなく南郷は池の中へと飲み込まれていく。
氷の下の真っ暗な、凍えるような死の世界へ――








「冷たーーーーッ!」

自分の叫び声で目を覚ましてみれば、そこには見なれた天井と、月明かりに照らされた、
やや呆れた顔のアカギの姿があった。

「…あれ?え?」
「大袈裟だなあ。そこまで冷たくないでしょ」

訳が分からぬまま、やけに寒いとおもえば、いつのまにか布団はひっぺがされていて。
おまけに南郷も、傍に膝をついているアカギも素っ裸で。
その上、胸がすーすーすると思ったら、右胸が手の形にしっとりと濡れていた。

「用を足して戻ってきたら、なんかオレの名前呼んでうなされていたからさ、南郷さん、って呼んでも起きないし、てっとり早く冷たい手で触れば起きるかなとおもって」
「おまえな…」

たたでさえ冷たい手で、しかも今の時期、文字通り氷水となっている水道水で洗った手で触るのか。しかも心臓の上を。
うっかり永眠させられなくて本当によかった、と南郷は思った。

「心臓止まるかと思ったぞ」
「クク…そりゃ悪かったね。じゃあお詫びにあっためてあげるよ」

ちっとも悪びれずにそう言うと、アカギは南郷にかけてあった布団をさらに剥いで――股間に顔を埋めた。

「ッ!!」

寝起きの分身をいきなり口腔に包まれて、南郷はびくりと身体を震わせた。
熱い口腔と巧みな舌技が、アカギの内部の熱を思い出させて、南郷のそれはみるみる脈打ち、大きくなった。

「寝る前にあれだけやったのに、元気だよね」
「うっ…おまえといると、こうなるんだ…ッ」

アカギとこうなる前は、むしろ自分は淡白な方だと思っていた。
一日に何度も求めたりするような、そんなしつこい性質ではないと思っていたのに、自分でも呆れてしまう。
でもアカギ相手だと抑えられないのだから仕方がない。
南郷はアカギの頭を上げさせて、布団の上に押し倒した。

「もう少しだったのに」
「初めからしたい」

不満そうなアカギにそう言うと、首筋に顔を埋めた。性急に繋がりたい時ももちろんあるが、今はゆっくりとアカギを確かめたかった。
しなやかに反応する暖かい身体。彼のいいところを攻める度に、その身体は少しづつ温度を上げていく。

「あっ…あん…」

乳首にかじりつきながらぬかるんだ後孔を指で抜き差ししていると、細い指先がシーツをきゅっと掴んだ。
南郷は一旦顔を上げ、アカギの両手をシーツから外させると、自分の背中に回させた。

「冷たいの、嫌なんじゃないの?」
「お前の手が、冷たいままなのが嫌なんだ」

だからちゃんとあっためろ。とそれだけ言って、再び胸に顔を埋める南郷の背中に、外気に冷え切った指が触れた。
背中は一瞬冷たさに震えたが、南郷はアカギの手を背中に押し付け、まだ少し冷たい唇にキスをした。
施される愛撫に熱く蕩けた内部から指を引き抜き、猛りきった欲望を奥へと潜り込ませると、
アカギは背中に回している腕に力を込めた。

「南郷さんは、いつもあったかいよね…」

溜息のような柔らかい声は、南郷の動きとともにすぐに艶めかしい嬌声に変わった。衝動のままに腰を打ちつけ、脚を絡ませ、絶頂と共にお互いの欲望を吐き出すころには、背中に回された両手はすっかり温かくなっていた。

「なあ、手袋買ってやろうか」

しっかりと布団にくるまり、温まってもなお指先を握りしめ、キスを続ける南郷に、アカギはいらないよと言った。

「冷えたら南郷さんがあっためてくれるんでしょう」
「それはそうだが、でもなあ」

南郷はいつもアカギと一緒にいられるわけではない。一緒にいる時よりもはるかに長い時間を、あの氷のような手で過ごすのかと思うと心が痛む。

――南郷さんもこっちに来なよ。

夢の中のアカギの言葉を思い出す。アカギと同じ世界に行けば、もっと一緒にいられるのだろうか。
凡人の自分が足を踏み入れたところで、すぐに氷が割れて沈んでしまうことはわかっている。
それでも、柵を越えれば、あるいは――

「南郷さん」

アカギの声が南郷の思考を断ち切った。

「手が冷えたら戻ってくるからさ。それまで南郷さんは手を暖かくして待っててよ」

あんたの隣は、よく眠れるんだ。だから――

それだけ言うと、アカギは南郷に指先を預けたまま寝てしまった。昨晩から無理をさせてしまったので仕方ない。
南郷はアカギをしっかりと包み込むと、額におやすみのキスをした。








おわり

アカギ部屋