「痛ぇっ!ひっぱんなよ!」
「こうしないと中まで見えないんですよ。我慢してください」
容赦のない指は耳たぶを引っ張ったまま、反対側の手はこっちを向きかけた啓介の顔を
ぐいっと元に戻した。
午後の光が燦々と降り注ぐ高橋家のリビング。平日だが拓海の仕事が休みだったので
久々に二人でごろごろしている。
いや、正確にはごろごろしているのは啓介だけなのだが。
走り以外のこととなるとてんで出不精になる拓海だから、別に休みの日にまでどこかに
出かけたいとかは思わない。だから一日この家で過ごすことには別段異存はないのだが。
高橋家に上がるなり、いつになくきらきらした目をした啓介に渡されたのは――なんと耳かきだった。
「大体、ほとんどかくモンないんだけど。もうこっちの耳はいいで・・・」
「だめだ!オレがいいというまで続けろ。そのもうちょい奥の上・・・そうそう。」
うーん気持ちいい〜。
と今にも喉を鳴らしそうな満足げな表情で膝になつかれて、拓海は
すっかり毒気をぬかれている。この弛緩しきっただらしない顔を、
バトルを重ねるたびに増えていく気がするギャラリーの女の子たちが見たら
どう思うだろう。幻滅して去っていくだろうか。
それはないなと拓海は思う。最初こそは何だよこいつと思ったが、やっぱり皆が言うように
すごい人なんだと考えを改めるのにそう時間はかからなかったし、つきあいはじめるまでは
この男のこんな一面などまったく知らなかった。
知った今でも幻滅などしていないし、しょうがないなあと苦笑しつつも、そんな一面すら
好ましく思えてしまうのだから拓海もたいがい重症だ。
啓介が満足するまで、垢もない耳の中をひとしきりかいてやっていると、
ガチャ。
前触れもなくいきなり開いたドアに、拓海は固まった。
誰もいないはずのドアの向こうから現れたのは――
「・・・」
「・・・」
拓海は膝の上の啓介の耳に耳かきを突っ込んだまま、
涼介はドアを開きかけた姿勢のまま、
両者は数秒の間、無言で見つめあった。
「・・・邪魔したな」
午後のリビング。別に後ろめたいことをしていたわけではないが。
はたから見たら自分たちは一体どんな風に見えたのか――
拓海が我に返る前に、ドアは何事もなかったかのようにパタンと閉まった。
おわり
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