雲ひとつない夜空にぽっかりと浮かんだ中秋の名月。縁側で優雅に月見酒――
としゃれこみたいところだが、ここは山奥の旅館。いくら風呂上りでも浴衣姿で
外にいるには寒すぎる。
「啓介さん」
「ああ、サンキュ」
人肌に暖められた徳利を手に、拓海は空になったおちょこに酒を注いでいる。
窓越しに月を眺めながら黙々と杯を傾ける啓介はどこぞの若旦那といった風情だ。
同じ旅館備え付けの浴衣を着ているというのに、どうしてこうも違うのだろうと
拓海は知らず、そんな啓介の姿に見とれている。
言葉もなく、触れ合ってすらないけれど。ただ傍にいて、静かな時間を共有する。
忙しない日常の中ではめったにない、こんなひと時が拓海は好きだ。
と思っていたら、酌をする手をふいに取られて、あやうく徳利を取り落としそうになった。
「おまえも飲めよ」
「あ・・・はい」
未成年とか、そういうのは今さらだ。
啓介が口にしていたおちょこを受け取り、注がれたものを口に運ぶ。
さっぱりした口あたりの液体が喉を潤す。
けっこういける口の拓海に二杯目を注ぎながら、啓介が何気なく口を開いた。
「なんかこうしてるとさー・・・」
「はい?」
「夫婦みたいだな、オレ達」
「ッ・・・げほっ・・・!」
アルコールがまともに気管に入ってしまい、拓海は盛大に咳き込む。おいおい大丈夫か?
と啓介は暢気にうずくまる背中をさすってやる。
「あ・・・んたが変なこと、言うからでしょうが・・・ゴホッ」
「だってよー、Dじゃほとんど別々だし、二人で会う時は食ってるかやってるかじゃん。
まぁオレのせいだけどよ・・・おまえと二人でいて何もしないでいる余裕なんかねーし。
だから、こんなふうにおまえとゆっくり過ごせるのってすげー贅沢している気分」
驚いた。まさか啓介も同じ事を考えていたとは。
いつも余裕がないのは拓海も同じだ。拓海は朝から夕方まで仕事があるし、
Dでは二人の時間はないに等しい。お互いの都合を合わせて会える時は
いつだって少しでも長く触れ合っていたい。
貪欲に求める気持ちは抑えられないけれど、こんな風にただ傍にいてお互いを感じている、
そんな関係に漠然とした憧れのようなものはある。
「でもな・・・」
ぼんやりと考えをめぐらせていた拓海の手からおちょこを取り上げる。
「離れてんのはやっぱつまんねーから、もっと傍に寄れよな」
ちょっと拗ねたような表情の啓介に、拓海はほんのりと笑う。
「はい」
酌をするためにとっていたほんの少しの距離を埋めて身体をくっつけると、
小さな頭を甘えるようにことんとたくましい肩にあずけた。
おわり
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