ずっと、この手を
初めて同じクラスになったのは中等部の時で、そのときは真面目で無口な、ただのクラスメイトだった。
第一印象で、帰宅部か文化部かと思った彼が、大きなスポーツバッグを持ち歩くようになって、いつもどこかに生傷をこしらえて。
体育祭で、実はものすごく足が速いことがわかって驚いた。
高等部に入るころには、アメフト部のエースとしてすっかり有名になっていて。
中一の時とはまるで違う、大人びた顔つきと体格に、最初に会ったときと変わらない寡黙さをあわせ持つ彼から、いつしか目が離せなくなっていた。
今年、一緒のクラスになれた時、最後のチャンスだと思った。
ずっとずっと、あなたをみていた。
「気高く、雄雄しく」がモットーの王城高校の学園祭は、今年も正門からレッドカーペットが敷かれ、訪問客を両脇にずらりとならぶ露店が出迎え、例年に劣らぬ盛況ぶりをみせていた。
城を模した校内では、各クラスや文化部による展示、喫茶店、お化け屋敷ならぬホラーハウスなどでにぎわっている。
「あ、ちょっと進くん!」
HRが終わるなり、スポーツバッグを肩にかけ教室を出て行こうとする進を、クラスの女子が呼び止めた。
無言で振り向く進に怯むでもなく、さらさらのセミロングの髪をした彼女は、進より頭ひとつ低い位置から彼を見上げた。
「今日田中さんがお休みで、12時から1時まで、調理係が私ひとりになっちゃうの。手伝ってもらえないかな」
進はわずかに眉根を寄せた。
「1時からアメフト部の公開練習がある」
キャプテンが練習に遅れるわけにはいかない。だが彼女はひきさがらなかった。
「1時より前に抜けてもいいから!他に頼める人いないの。お願いっ」
拝むように両手を合わせる女子に、進はとうとう「わかった」とうなずいた。
秋大会やその練習で忙しく、クラスでやる喫茶店についての放課後の話し合いや準備に、今までほとんど参加していなかったという負い目もあった。
「15分前には抜けさせてもらうが、それでもいいだろうか」
「うん助かる。ありがとう!」
秋大会の次の対戦相手である王城ホワイトナイツの公開練習。
泥門とて練習時間は惜しいが、王城をこれほど堂々と偵察できるチャンスはそうそうない。
というわけで、今年も泥門デビルバッツ全員でこの学園祭にやってきたわけだが、校門をくぐってしばらくは皆、食べ歩きなどに夢中になった。
1時ちかくになってようやく本来の目的を思い出し、グラウンドに行くと、すでにユニフォームを着た部員たちがちらほらいて、用具を出したりしていた。
「やあセナ君」
「あ、桜庭さん、どうも、こんにちは」
きょろきょろしていたら、どこからか桜庭が近づいてきた。
偵察にきたのかい、と聞かれてあはは・・・と笑ってごまかす。
今シーズンの桜庭春人は、進と共にあらゆる意味でホワイトナイツの要である。
長身で優しげな風貌には、エースの貫禄がうかがえる。
それでもセナやモン太に対する態度は、一年前と変わらない。
聞かれる前から、セナが誰を探しているのかはわかっている、という風に、桜庭は困ったように校舎の方に目を向けた。
「進の奴、クラスの方を手伝っていて、まだ来てないんだよ。そろそろ練習始まるのにさー」
これから連れ戻しに行くけど一緒に来る?とセナを誘ったところで「桜庭せんぱーい」とグラウンドの向こうから声がかかった。
キャプテンの進が不在の今、用件はすべて桜庭の方へ行く。
「今行く!・・・ああ、困ったな」
校舎とグラウンドの間は結構距離がある。少しの間とはいえ、進がいない上に自分までいなくなってしまって大丈夫だろうか、と考えあぐねる桜庭に、「あの」とセナが遠慮がちに声をかけた。
「僕が呼んできましょうか?」
正門前の露店にもたこ焼きや焼きそばなどは売っているが、昼になって、構内を歩き回るのに疲れてくると、教室で座って食べたくなるものだ。
そんなわけで12時をまわると3年1組の喫茶店も満席でてんてこ舞いだったが、進はちゃんと12時前に教室に戻ってきた。
仮設キッチンのついたてには、各メニューと作り方をイラスト入りで説明した紙がいくつか張られていた。
とはいっても喫茶店であるから、サンドイッチやケーキと飲み物しかメニューはない。
「野菜2、卵2、ハム1、それからオレンジ2に紅茶2にコーヒー1だ」
「OK。飲み物の方をお願い」
机の上に所狭しと並べられた紙にかかれたオーダーをまとめて進が読み上げ、二人で分担して注文の品をつくる。料理とは無縁そうな無骨な指が慣れた感じで包丁を扱うところを見て、また彼の新たな一面を知った。
二人は黙々と作業をしていたが、彼女の方がおもいきって声をかけた。
「ねえ進くん。今日の打ち上げはでられるの?」
「いや。部活がある」
紙コップに飲み物を注ぐ手を休めないまま、進は即答した。
そっかあ、と彼女はため息をつく。わかってはいたのだ。いつも部活で忙しく、始業前と放課後は教室にいたためしがない彼のことだから。
だけど、今日は自分たちにとって高等部最後の学園祭。彼女にとっては最後のチャンス、かもしれないのだ。
どうやって話をきりだそうか、と思い悩んでいたその時、客席に目をやった進の表情がふいに変わった。
今まで休めなかった手まで止まっている。
「進くん?どうし――」
「すまない。少し席を外させてくれ」
そう言うなり、突然キッチンを出て行ってしまった。
「進さん」
こちらに気がついて近づいてきた進に、セナは嬉しそうに顔を輝かせた。
「来てたのか」
「はい。桜庭さんが呼んでましたよ。もうすぐ公開練習ですって」
「む。すぐに行く」
キッチンになにやら一声かけてきた進がそのままセナと教室を出て、階段を降りかけたところで、「進くん!」とエプロン姿の女の子が追いかけてきた。
「話があるのっ。5分、いえ、1分でいいからっ」
何やら必死な表情のクラスメイトに、どうしたものかと戸惑った。
すがるような女の子の目が、動かない進から彼の連れのセナへと注がれる。
(ええっ、僕!?)
見知らぬ女の子に目で哀願されて、セナは焦った。進がとどまるか行ってしまうかは、呼びに来た自分にかかっているということだろうか。
「あ、あの進さんっ。僕、ここで待ってますからっ」
あわあわと両手を胸の前で忙しなく振りながら見上げれば、進はようやく聞く気になったようだった。
「手短に頼む」と言いながら、彼女について廊下の突当りにある、非常口のドアの向こうへ消えた。
人が行き来する階段の踊り場に、セナ一人がぽつりと残された。
進とおそろいの、王城の制服を着た女の子。
シャンプーのCMに出てくるような、きれいな髪をした、かわいい子だった。
実は進が気づくちょっと前から見ていたのだ。進は無表情だったけれど、女の子の方は親しげに声をかけていた。
進と話している彼女は、なんだかとてもうれしそうだった。
だから、彼女が必死の形相で進を呼び止めた「話」が何かも、たぶん、わかってしまった。
・・・今の自分はきっと、とても醜い顔をしているに違いない。
待っている間は長く感じられたが、実際には1分ほどしか経っていなかったのだろう。
廊下から進一人が出てきた。「待たせたな」と、何事もなかったかのような顔でセナの隣に並んで階段を下りる。
せっかく会えたというのに、言葉が出てこない。進に会うまでうきうきと弾んでいた心は、すっかりしぼんでしまっていた。
「小早川」
アメフト選手としてでもない、セナの恋人としてでもない、クラスの一員としての進がみられると、さっきまであれほど楽しみだったのに。
いざのぞいてみたら、当たり前だけど進はセナが知らないクラスメイトたちと一緒にいて、楽しそうに話しかけられていた。
そうして、セナが知らない進に、想いをよせている女の子もいる。
「セナ!」
いきなり下の名前で呼ばれて、セナはぴくんと顔を上げた。先程から何度も名前を呼んでいた進は、ようやく自分の方を向いたセナの表情を見て小さくため息をついた。
その時になってセナはようやく、進の制服の袖を皺になるほどぎゅっと握り締めていたことに気がつき、「あわわっ、すすみませんっ」と離した手を、大きな手にすばやく捕らえられた。
「・・・つきあってくれと言われたが、すでに恋人がいると言って断った」
隠し立てするよりは言ってしまった方がいいと判断したのだろう。二人は階段の踊り場で立ち止まっていた。進に手をとられたまま、セナは再びうつむいて、すみません、と小さな声で言った。
「なぜあやまる」
進の眉根が寄る。セナはうまく答えられなかった。
かわいい女の子だった。進と同じ学校で、同じクラスで。王城は中高一貫だから、中学から顔を合わせていたのかもしれない。
進の彼女として、何の不足もない。みんなからお似合いだといわれるような子だった。
あの子だけじゃないだろう、進のまわりには、自分なんかよりも進につりあう女の子がいくらでもいる。
僕は男で、しかもチビで貧弱で気が弱くて。ちっとも進さんにふさわしくなんかなくて。
家族や仲間にも、恋人だっておおっぴらに言うことはできなくて。
このまま一緒にいれば、たぶん当たり前の家庭をあげることも、当たり前の幸せをあげることもできないのに。
セナの小さな手が、意識しないまま、ごつごつした手をぎゅっと握った。
でもごめん。この人は誰にも渡せない。
たとえ自分より進さんを幸せにできる、他のどんな女の子が現れたとしても。
たとえ誰が泣いても、僕は、僕を幸せにしてくれる、この手を離したくない。
ああ、自分はいつからこんなに図々しく、嫌な奴になったんだろう。
「セナ」
ベッドの中で睦みあっている時の優しい声で呼ばれて、セナはますますいたたまれなくなる。
そんな風に呼ばないでください。僕は今すごく嫌なことを考えているのに。
進はもう一度、名前を呼び、それでもうつむいたままの頭に空いている方の手を置いて、やさしく撫でた。
疑っているわけではないのはわかるが、自分が断ったことを気に病んでいる、そんなセナの様子にやや困惑しながら。
「俺を信用しろ」
慰めるようにぽんぽんと頭を叩かれて、セナは泣きそうになりながらもコクリとうなずいた。
おわり
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