きっかけ

 

 

お前の脚に4秒2を覚えさせる!との方針の下、練習時間じゅう延々と
走りこみをやらされていたある日。

「ッ・・・!」

制限時間5分という鬼のようなランニング買出しを命じられ、
キミドリスポーツまで全力疾走している最中。
ビキッ、と脳天まで突き抜けるような痛みを右のふくらはぎに感じて、
セナは黒美嵯側沿いの道端にころがった。

「っ痛〜・・・」

なんとかこらえて、立ち上がろうとするが、嫌な痛みはなかなか消えてくれない。
5分などあっという間だ。一秒でも遅れて帰ってきたときのヒル魔のお仕置きを
想像して、セナは真っ青になった。

(ひぃぃ〜どうしよ〜〜)

道端にへたりこみながら、だらだらと冷や汗を流すセナの頭上に、ふいに影がさした。

「どうした」

それまで脳内のヒル魔の仕打ちで頭がいっぱいだったセナは、
目の前に突然現れた顔に、一瞬足の痛みも忘れて飛び上がった。

「うわっ、進さん!」
「怪我したのか」

いつか会った時と同じスウェット姿で、セナのかたわらに片膝をついた進は、
なぜか厳しい表情でセナの足を見つめていた。
そして足を押さえていたセナの手をどけ、ジャージをまくりあげて様子をみようとする。
いや違うんです、とセナは赤くなってあわてた。

「あの・・・ちょっと足がつっただけで・・・」

恥ずかしくて思わず声が小さくなる。
ライバル、なんて図々しくてまだとても言えないけれど。
自分が戦う目標にしている人を前にして、こんな姿を見せるのはあまりに情けなくて、
痛みも無視して走って逃げようと起こした体を、たくましい腕に引き戻された。

「無理するな」

進はそう言うなり、セナの細い右足から靴と靴下を脱がせ、
白くて小さな足の小指だけををつまむと、ぐっっと手前に引っ張った。

「うっ・・・?」

痛いかと思ったら、痛くない。それどころか、さっきまでさすっても治らなかった
ふくらはぎの痛みが、嘘のようにおさまった。

(あれ??なんで??)

目を瞬くセナをよそに、進は小指を引っ張ったまま、反対の手でセナのふくらはぎを
マッサージし始めた。ごつい大きな手に似合わぬ、優しい動き。

「トレーニングの後は、使った筋肉はこまめにほぐせ。放置しておくと固まって、
故障の原因になる」

そう言いながら、ふくらはぎからアキレス腱にかけて、丁寧にマッサージしていく。
もう片方の靴も脱がされてセナはあわてて辞退しようとしたが、
このままでは左もつるぞと脅されて、おとなしくされるがままになった。
自分の日焼けした太い腕とはまるで違う、白くて細い足に触れながら、
進はぽつりと言った。

「黄金の足だな」
「え・・・?」
「いや・・・何でもない」

足を触られてぼーっとしているセナをよそに、靴下と靴を手際よく履かせると、
進はそのまま、ロードワークに戻って行ってしまった。

「あ・・・お礼」

気がついた時には進はもうはるか向こうに走っていってしまっていて。
セナはなおもぼーっと座り込んだままだった。

セナがヒル魔のお仕置きのことを再び思い出したのは、キミドリスポーツを出てかなり経ってからだった。


おわり

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