終わりのない夜
「アアア・・・アアアア――ッ!!」
静まり返った夜の後宮に響き渡る、獣じみた叫び声。
ウバールの後宮には悪霊が棲みついている。
この時期不幸にも王宮を訪れ、泊まったものはそう噂した。
だが、外から来た者はまだいい。連日これを聞かされる者たちは
たまったものではなかった。一番近い部屋に住んでいた前王の妃
の一人はノイローゼになって後宮を辞した。同様に医者にかかっている
者は後を絶たない。
だが問題の部屋の中では、はるかに凄惨な光景が繰り広げられていた。
しきりにガチャガチャと鳴り続ける鎖の音。痛みなど感じていないかのように
四肢を戒めているそれを引きちぎろうともがく。信じられないことだが
この頑丈な鉄製の鎖はすでに2度、引きちぎられた。
鉄の輪の下に巻かれた厚い革帯。手首を保護するために巻いたものだが、
その下にのぞく包帯はすでに血に染まっている。一度拘束服を着せたが、
肩を脱臼させて抜け出そうとするので、結局また鎖に繋いだ。
ひどい扱いだが他に方法がない。
一体どんな悪夢をみているのか――手が自由になろうものなら必ず、
自分の目を抉り出そうとする。
暴れる高耶を力づくで押さえつける。抵抗される度に直江の顔が苦痛に歪んだ。
蒼白になった額から冷たい汗がいくつも高耶の身体に落ちる。
高耶に刺されたわき腹の傷は、既にふさがってはいるものの、力を入れるのは
未だに苦しい。
「ウウウ・・・アアアッ!!」
「高耶さん・・・高耶さん・・・!」
届かないと知りつつも、ひたすら直江は呼び続ける。
祈るように、ただ呼び続ける。
――バカか、お前は。
左腕を吊った高耶が、小憎らしい顔で直江を見下ろしている。
高耶の言葉を聞くのは久しぶりだ。
――そう言うあなたはどうなんです?そのバカに助けられたくせに。
言い返しながら、ああこれは夢だなと思った。
去年のクリスマスに、確かこんなことがあった。
たった一年前のことなのに、やけに昔のことのように思える。
あの時はどうしてくれようかと思った高耶の憎まれ口が、
今はこんなにも懐かしい。
――確かあなたは借りをつくるのが大嫌いでしたよね…?
意地悪く言ってやると、高耶はなぜかちょっと困った顔をした。
いつも強烈な意志の光を放つ瞳が、頼りなげに揺れる。
おやと思って見守っていると、高耶の口が開いた・・・。
いつのまにか、眠り込んでいたらしい。
疲労で重く感じる身体を起こすと、高耶は組み敷かれたままの格好で
眠っていた。
頬に残る涙の跡を指で辿る。
こうして静かに眠っている間だけは、あなたも安らいでいるのだろうか。
自分を殺したくなるような悪夢の間に、穏やかな夢をみているのだろうか。
そうだったらいい。あなたは強い。
つかの間の休息を糧に戦って戦い続けて、あなたが本来いるべきこの場所に戻ってくればいい。
「あなたはまた、私を殺しそこなった」
しかもまた、借りをつくりましたね。
汗で湿った髪を梳きながら、直江は話しかける。やつれきった寝顔は
以前の彼とは別人のようだ。
「私の命が欲しいなら、早く戻ってきなさい」
意識を取り戻せたとしても、後遺症は残るだろうと医者は言った。
一度でも薬漬けになった者を、組織は使わないだろう。
そして用済みになった人間を放置するほど甘くもないはずだ。
それば別に構わない。ここにいる限り誰にも手出しはさせない。
ただ、任務を果たすことで心の均衡を保っていた感のある高耶から、
それを取り上げたらどうなるか――
「クリスマス、か」
ムスリムの直江にとっては異教の祝日。
だけどもし今、奇跡を見せてくれるなら。もし本当に人を救う力があるのなら。
異教の神にだって祈ってみせる。この人を救ってくれと。
月の光さえない、終わりのない夜。
おわり
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