最終話

 

 

 

夢の中で、誰かに抱きしめられていた。
誰かはわからない。ただ、その匂いはよく知っていた。
抱かれているのは心地よくて、でもそれだけでは足りなくて。
求めるままに欲しい、と言ったらくすりと笑われた。
これは夢だから。何も考えずに、ぬくもりを与えてくれる広い背中にすがりついた。
身体中を痛いほど吸われ、大きな手に弱い部分を包み込まれると
自分のものではないような甘えた声が出た。もっと奥までいっぱいに
して欲しくて、腰を擦り付けてその先の愛撫をねだった。
やがて熱い塊が自分の中に押し入って来た時――やっと自分は安心できた。

薬が見せた、唯一幸福な幻覚だった。

 

 

 

「・・・ここはどこだ」

じっと天井を見ていた高耶が、ふと呟いた。
声がかすれている。誰かに話しかけるのはずいぶんと久しぶりのような気がする。
だがぼんやりと天井を眺めているうちに気になりだした。
ウバールの王宮だということはわかる。だがここは直江の部屋でも、高耶が見たことのあるどの部屋
でもなかった。

返事は長いことなかった。聞こえなかったのかと非難の目を近くの気配に向けると、
直江はなぜかひどく驚いた表情で高耶を見ていた。だが高耶の怪訝そうな表情に気がつくと、
すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。

「母の部屋です」
「おまえの・・・?」

不思議そうに尋ねる高耶に、直江は頷く。

「ええ。もっとも、母がこの部屋に入ったことは一度もありませんでしたが・・・」

すでに何人もいる妃たちの一人として後宮に入ることを、直江の母は拒んだ。
それでもハマドは後宮のもっとも奥まったこの一室に彼女の部屋を用意した。やがて遠いイギリスで
彼女が亡くなったと知らされ、その後何人もの妃を娶った後でも、誰にもこの部屋を使わせることは
なかった。

ハマドが彼女をどれだけ愛していたか、この部屋を見ればわかる。決して華美ではないが、
優しい茶系の色で統一された調度や内装は、部屋の中でくつろげることを第一に考慮されている。
窓は大きく日当たりがよく、太陽の光をいっぱいに浴びている庭の木や芝生、レンガのブロックは、
イギリスの庭園を思わせた。

だが高耶は不快気に眉を寄せる。

「おまえの父親は妻を鉄格子の中に閉じ込める気だったのか」

高耶の言うとおり、大きな窓には銀色の格子がはまっていた。
日当たりはいいが、これでは囚人と同じだ。
だが直江は小さく笑って高耶の前髪に手を伸ばした。

「あれはあなたのためにつけさせたんですよ。元気になった途端ここから飛び立っていかないように」

高耶は髪を梳こうとする手を振り払い、睨みつける。

「あんなものでオレを閉じ込められると思っているのか」
「ここを出てどうするんです?薬づけになった人間を、あなたの組織は二度と使わないでしょう。
あなたはもうお払い箱なんですよ」

痛いところを突かれて、ぐっと奥歯をかみ締める。
邪視教団の討伐のどさくさにまぎれて高耶を死亡したことにさせたのは直江の考えだった。
機密を知りすぎている高耶をおそらく組織は放っておくまい。薬物中毒と知れば「用済み」として
処分される可能性が高い。
押し黙ってしまった高耶の額に、直江はいたわるように唇を落とした。

「ここにいなさい。ここにはあなたの好きな砂漠がある。
身体がよくなったら、月の明るい晩に遠乗りに出掛けましょう」

まぶたに、頬に触れた唇が、何か言いたげな唇にたどり着く。
だが久々に話していて疲れたのか、おとなしくくちづけを受ける高耶の前髪を今度こそ
優しく梳き上げながら、直江は、高耶が記憶しているこの男のどの声よりも優しい声で囁いた。

 

「・・・おかえりなさい、高耶さん」

 

 

おわり
アサシン部屋

 


えーと、ここで終わりの方がいいのかなーと思いつつ、次の話も考えているので続きます(笑)。
高耶さんがこのまま後宮に居つくとは思えないし(笑)。
周りが騒がしくなるまでは、しばらく鉄格子の中の蜜月(ぶはっ)が続きます。
今回裏がなかった分、次の冒頭はらぶらぶで!
感想くださった方々、ここまでおつきあいくださった方々、ありがとうございましたー!