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高耶は二つの名前を持っている。
アーサーという名前は父がつけた。伝説の王様の名前だよ、と誇らしげに言っていた。
高耶という名前は母がつけた。父と初めて旅行したところで見た、大きな木を見た時に
決めたという。

学校や家の外では、やはり英名で呼ばれることがほとんどだった。
家の中ではどちらの名前でも呼ばれていたが、高耶と呼ばれることの方が多かった。
どちらも自分の名前だが、高耶という名前には懐かしい記憶が染み付いている。
そう呼ばれるのが好きだった。
その名で呼ぶ人間は、今ではほとんどいなけれど――

 

 

『今回の任務は、国際テロ組織のアジトを襲撃し、指導者のカストロを捕らえることだ。
三日前の作戦の失敗でデレクが捕らえられ、生死は不明だ。だがカストロの居場所は
割り出せた。奴は今マンチェスターの化学工場にいる。
今回はデレクの代わりに彼、アーサーをリーダーに任命する。』
「納得できない!」

高耶の反対側の端に座っていた男が机を叩いた。屈強そうな黒人の男だ。

「俺たちは全員、前回の作戦に出ていた!助っ人ならともかく、こんなよそ者にリーダーをやらせるなんて」

他の3人も口にこそ出さないが、同意見のようだった。高耶は一番端の席に腰掛けて
腕組みしたまま、何も言わない。
だが、ミーティングルームに響く「声」は異議を認めようとはしない。

『今度の作戦に失敗は許されない。アーサーをリーダーにしたのは適任だからだ。
成功を祈る』

「くそっ」

黒人の男が忌々しげに舌打ちをするのをよそに、高耶は目の前にある、今回の任務に必要な
データを映している画面を見ながらじっと何やら考えている。
メンバー達のあからさまな視線など鼻にもかけていない様子だ。

「で?プランはあるのか、アーサーさんよ」
「スミスは正面裏の通用口から地下へ」

え、と黒人の男が目を見開いた。

「捕まったメンバーを救出しろ。タイラーは右の用務室の窓から侵入して首領の捕獲。
李は左の非常口から入って建物全体に爆弾を。侵入してから30分でカタをつける」
「おいっ」

話はそれだけだと席を離れる高耶の腕を、スミスと呼ばれた男の手が掴んだ。
いきなりの命令口調に文句を言おうと開いた口は、彼をまっすぐに見上げてきた
高耶のゆるぎない瞳と言葉によって遮られた。

「デレク・モズリーは助けられないかもしれない」
「!」
「もし彼が以前の彼じゃなかったら――覚悟しろ」

 

 

夏の日は長い。高耶たちが現地に到着し、工場への侵入を開始したのは
ようやく太陽が沈もうとしている頃だった。

高耶以外の3人はそれぞれ部下達をつれて指示された侵入口へと進む。

『中に入ったぞ』
「つきあたり右に一人。階段はその先だ。サイレンサーを使え」

バンの中から工場内の監視カメラの映像をハッキングしながら、インカムをつけた
高耶がナビゲートする。奥に進むにつれ出くわす敵は3人4人どころではなくなってきた。
威力が弱まるサイレンサーを外し、駆け足で進むことになっても高耶の指示は
すばやく的確で、淀みがなかった。戦闘状態に入った3人に進むべき方向と
敵の存在を同時進行でナビゲートする。

「李、そこから銃は使うな。水素のタンクがある」
『アーサー!次はどっち!?』
「左だ。後ろからも来るぞ。囲まれる前に突破しろ」

けたたましくサイレンが鳴る。武装した男達が殺到する。スミスは彼らのリーダー、
デレクが囚われている部屋に向かっていた。

覚悟しろと、今日いきなり指揮をとることになったあの男は言った。
組織の非情な側面を、スミスとていやというほど知っている。今回つけたしのように
「メンバーの救出」を許可されたのも、情報の流出を懸念してのことだ。
もしのっぴきならない状況であれば、組織はたやすくデレクを切り捨てるだろう。

(だが今日、即席で指揮をとっただけのあんたにはわからない)

自分達はほとんどの任務を同じチームでこなしてきた。デレクは実力もあったし
人望も厚い。時には命令違反すれすれのことをしてまで仲間を助けた。
今回つかまったのも、逃げ遅れたメンバーを逃がしたためだった。
何としてでも助け出す、と決意をこめて一番奥のドアを開けた。

「デレク!」

ガランとした白い部屋の中には、金属製の椅子がぽつんと置かれていた。
そこには手足を拘束された痩せぎすの男が背もたれに頭を預けた状態で
放心したように座っていた。

スミスが駆け寄っても男は反応しない。外傷は大したことないし、呼吸もしている。

『スミス、モズリーの腕を見ろ』

監視カメラの映像では詳細はわからない。だがデレクが廃人同然になっている
ことだけは見て取れた。スミスはデレクの腕を調べ、そこにいくつかの注射針の跡と
点滴の跡をみつけた。
報告を聞いて、高耶はインカムの向こうで押し黙った。
やがて出された指示は、何とかしてデレクの拘束を解こうとしていたスミスには
到底受け入れられないものだった。

「冗談じゃない!それじゃあ何のためにここに来たのかわからない」
『カストロは捕らえた。あと5分で爆発する。おまえの手で殺すのが彼のためだ』
「断る!これくらいの枷、すぐに外してやれる」
『スミス!』

呼びかけたが、相手はもはや通信を切ってしまっている。

「全員、撤収!車に戻れ!」

高耶は舌打ちすると銃を片手にバンを飛び出した。

なぜ捕虜の部屋に誰もいなかったか。
薬をうたれた跡はあるのに、なぜ計器類も何も取り外された状態でいたのか。
それは必要なくなったからだ。
たとえ死体といえど、カストロが何の意味もなく敵に返すはずがない。

「ウワァァァァ――ッ」

高耶が地下への階段を駆け下りた時、凄まじい悲鳴が廊下の奥から聞こえた。

「スミス!」

一気に廊下を駆け、足でドアを蹴ると同時に銃弾を打ち込む。おそらく喉笛に
噛み付いたのだろう、顔半分を血まみれにした痩せぎすの男が、同じ血に染まった
ナイフを振り上げスミスをめった刺しにしているところだった。
額に数発の銃弾を受けて、変わり果てた男は血走った目をかっと見開いたまま
仰向けに倒れた。

虫の息のスミスを助け起こすと、とめどなく流れる血が高耶の黒い衣服に吸い込まれていく。
ズンッと床が揺れた。爆発が始まったのだ。高耶達以外は全員バンにもどっていることだろう。

「先に・・・行けよ。俺はもう、ダメなんだろう・・・?」

肩を貸してくれるのはありがたいが、何しろ身長差がある。歩かされる苦痛に呻きながら
スミスはそう言った。だが高耶は歩くのを止めない。

「死にたいのか」

冷ややかな言葉に、スミスは唇をゆがめて笑った。

「死なねぇよ・・・こんなところじゃ死なねえ・・・今日は娘の誕生日なんだ。どんなに遅くなっても
家に帰る・・・きっとあいつ、寝ないで待ってる・・・」

だがスミスの歩みは次第に高耶の歩調についていけなくなり――やがて完全に引きずられるが
ままの状態になった時、やっと高耶は歩みを止めた。
スミスを下ろし、脈と閉ざされたまぶたの奥を見て、そのまま壁に持たせかけた。

爆音がすぐそこまで近づいている。高耶が走り去った後、廊下に残された屍に天井から落ちてきた
瓦礫が降り注いだ。

 

 

 

本部に戻った後、高耶は局長室に呼び出された。
局長室といっても、本人と対面するわけではない。相変わらず「声」だけだ。

――デレクを連れ帰れと指示したはずだが?

「・・・カストロの捕縛と爆破で手一杯でした」

どこかかたくなな表情で返答する高耶をどこからか見ているのか、声はややあってため息を漏らした。

――まあいい。オフだったのにご苦労だった。しばらくの間は仕事を入れないから、
ゆっくり休んでくれ。

ありがたい申し出のはずだったが、高耶の心は晴れなかった。休みの間じゅう、あの庭を
眺めながら自分はきっと何度もこのことを思い出すだろう。

高耶だけに下された指令を聞いたら、デレクを慕っていた部下達はどう思ったことだろう。
最近増えている、ロンドンの浮浪者たちの変死体。ジャンキーによる無差別殺人。
その原因となったドラッグの出所がカストロにあることを組織は知っていた。
囚われたメンバーがその実験台になることもまた。

一度薬漬けにされた人間を、組織はもはやメンバーとは認めない。
もしデレクを連れ帰っていたら、 様々な実験を試された後に切り刻まれていたことだろう。
わかっていたから、せめて仲間の手で逝かせてやろうと思った。
その結果がこれだ。

――今日は娘の誕生日なんだ。

自分の父親もあんなふうに誰かに言ったのだろうか。
休みが不定期な父。彼が今の自分と似たような仕事をしていたことを知ったのは、ずっと後のことだった。

夏のある日。父が久しぶりに帰ってきた日だった。ケーキをつくっている母に買い物を頼まれて。
近くのスーパーに行って戻ってきたら、家は無残な姿になっていた。

一度だけ、一人で家があった場所に行った。危険だからと家が取り壊された後の
土地には何も残っていなかった。拍子抜けするほど、何も。
瓦礫の間にひっかかるように転がっていた、熱で醜く歪んだ真珠のイヤリングを除いては。
祝い事やパーティがあるときに美弥がつけていたものだった。

もうすぐ日付がかわろうとする住宅街は、それでもまだ点々と明かりがついている家もある。
見覚えのある庭が視界に入り――その奥の部屋の明かりがついているのを見て、
高耶は立ち止まった。

ついているはずのない明かり。その向こうに人影が見える。
一瞬、胸が軋んだ。
ぐっとこらえて、高耶は銃を片手に玄関のドアを開けた。

 

 

「おかえりなさい」

銃を構えたまま、呆然と立ち尽くす高耶に、銃口を向けられた直江は手を上げることもせずに
悠然と微笑んだ。さすがに砂だらけの民族衣装は脱いで、サマーセーターとスラックスをこざっぱりと
着こなしている。

「何でおまえがここにいる」
「今朝電話したじゃないですか」

それはそうだが。いつ帰ってくるかも書いていなかったのにまさか待っているとはおもわなかった。
二の句が告げずにいる高耶に直江は言葉を続ける。

「日付が変わる前でよかった。バースデーは当日に祝うものですからね」

そう言う直江の背後のリビングテーブルには、とても家庭料理とはいえない豪華料理が所狭しと
並べられている。テーブルの中央には赤いキャンドルが暖かい炎をゆらめかせていた。

「おまえ・・・これ・・・」
「ドーチェスターのシェフにお願いしました。暖めなおして食べましょう」

いつ帰ってくるかわからない人間のために、一流ホテルのシェフに出張させておいて、
涼しい顔をしている直江にバカかおまえは、とか何とか悪態をつけようとして――
言葉が出てこない自分に気づいた。

明かりのついた家。誰かが自分の帰りを待っている、家庭の温かさを持った家。
自分の家や庭を持っても埋められなかった寂しさが、こんなことで満たされるなんて。
何か言おうとすれば不本意にも涙が出そうだった。
だけどこの男の前で涙を見せるのはなんとも悔しいし、恥ずかしい。

直江は押し黙ったままの高耶を抱き寄せ、その顔を胸に埋めさせる。優しく髪を梳きながら、

「お誕生日、おめでとうございます・・・高耶さん」

いつになく優しい声で囁いた。

 

 

おわり
アサシン部屋へ


あーなんかもうっ;いろいろすみませんて感じです・・・。
メンバーは赤鯨衆にしようかともおもったんですがあまりにヒドイ末路だったんでオリキャラに(^^;)

今回センチになってしまった高耶さんですが、まさかこの後一ヶ月も居座られるとは思いもしなかったのでした(笑)。