蓮鼓

最終話




灼けつくような激情と身を裂かれる痛み、そして声を上げて泣き叫びたくなる
ような未知の感覚に翻弄された、嵐のようなひとときの後、ケイはほとんど
気絶するように深い眠りに落ちた。

再び目が覚めた時、響生の姿はそこにはなかった。
腰から下は自分のものではないようにだるく、少しでも身じろきすると行為の
名残である鈍痛が這い上ってきたが、身体は清められて新しい浴衣を
着せられ、シーツも不快感はなかった。おそらく、ケイが昨夜使った布団に
移したのだろう。

響生はどこにいったのかと、きちんと掛けられた布団から出した頭をめぐらせると、
襖ごしにかすかな音が聞えていた。キーボードを叩く音だ。
ケイは節々が痛む身体を起こし、襖を少しだけ開けて、そっと隣の部屋の様子を
うかがった。

響生はパソコンに向かっていた。だが昨日のような張り詰めた空気はない。
その様子で、ケイは響生がすでに原稿を書き上げたのだということを悟った。

「ケイ、起きたのか」

身体は大丈夫か、とたずねる響生に、ケイはただ頷いた。頬がかすかに赤く
なっている。あんな風に身体を重ねた後で、どんな表情をすればいいか
わからなかった。だが響生の態度はいつもと変わらない。

「原稿、できたんだ」

「ああ。今送った。」

いつもの口調で、だが気のせいかいつもより和らいだ雰囲気に、ケイはふと
あの話の結末が気になった。

「結局、あの二人はどうなったんだ…?」

あまり幸せな結末は期待できそうになかったが、聞いておきたかった。
響生の小説に出てくる、響生の分身のような登場人物たち。彼らの運命を
知ることで自分が響生自身にどう関わっていけるのかを知りたかった。

いや、そんなことは口実だ。自分はこの男に関することなら何でも知りたいのだ。
ただそれだけ。

ケイの問いに、響生は微かに笑った。

「兄は出奔し、弟が後を継いだ。弟は後世に語り継がれるほどの舞いの
名手となり、兄の行方は誰も知らない」

おし黙ったケイに、響生は言葉をついだ。

「おまえが望む幸せな結末ではないかもしれない。でも少なくとも兄は弟の
心と踊りの中に、自分を刻み付けることができた。二度と会うことがなくても
兄の存在は弟の中に瑕として残るんだ。その語り継がれる演技と共に、
永遠に」

「…でも兄さんもまた永遠にさ迷うことになるんだろ?」

自分の存在意義を自問しながら、永遠に。彼が響生の分身なら、決して
そんなことでは満たされない。舞いを捨てても、彼はきっと苦しむだろう。
おそらく、弟のそばにあったとき以上に。

そんな響生の作品が、決して嫌いなわけではない。むしろその血を流したままの
傷にひかれたといってもいい。でもこれだけそばにいながら、ケイはどうしたら
よいのかわからない。その傷口を癒す術がわからない。

 

彼の心にどうやって触れればいいのかわからないから、身体を重ねた。
離れで人がこないということも、ケイを大胆にさせた。
ここに来て以来、初めて二人で入った露天風呂に、ケイの甘い嬌声が響いた。
済んだ湯の中でしどけなく足を開いて響生を受けいれ、淫らに腰を振りながら
咥え込んだ肉棒を締めつけた。不安定な水中で響生と向かい合い、お互いの
瞳の中の熱を確かめ合いながら唇を重ねた。
言葉では伝えられない想いが、響生に伝わっている。
言葉ではわからない響生の想いが、確かに伝わってくる――
身体の奥に響生の熱い精が放たれた時、ケイは確かにそう感じていた。

 

「ケイ」

ぐっすりと寝入っていたところを起こされた。
外はまだ暗い。夜明け前だ。
見せたいものがあるからと連れ出された。

「ちょ…おろせよっ」

「こんな時間、誰もいない。それに今歩くのはつらいだろう?」

昨夜どころか、数時間前まで喘がされていた身だ。疲れと眠さで抵抗する
気力もなく、ケイは軽々と横抱きにかかえて歩く男の腕の中でゆられながら、
ふたたびうとうととしはじめた。
10分ほどだっただろうか。響生は目的地につくと、ケイを起こした。

「え…?」

ちょうど夜明けだった。空の端が白み、清浄な朝の光がその場に差しそめて
いた。
朝の光に照らし出されたそれは――水面に沢山の白い蕾をのぞかせている、
蓮池だった。

「ここって…」

「シッ」

尋ねようとしたケイを短くさえぎり、耳をすますように促す。
一体何があるのだろうと、言われるままに待っていると、それはおこった。
それはとても微かな音。
ポン、ともパッ、ともいう音が、池から囁き声のように聞えてきた。
白鳥の頭のように優雅な蕾が、微かな音と共に開いていくのだ。

「この光景をはじめて見た時、あの話を書こうと思ったんだ」

この蓮の奏でる音を鼓の音に見立てて、弟は踊ったのだ。
浄土の花と呼ばれるこの花のようにただ無心に。未だ誰にも知られていない
才能と 、舞うことへの情熱だけをあますことなくさらけ出して。

それを見た兄の心に最初に去来したものは――きっと嫉妬とか怒りとかでは
ない。

「絶対に太刀打ちできないとおもうくらい、それはきれいな光景だったんだ…」

響生の腕の中で、ケイは呟いた。

「オレがこんな状態じゃなきゃ、踊ってやるのにな」

響生が驚いてケイを見る。ケイはちょっと照れたように、もっとも日舞なんて
やったことないけどさ、と付け加える。

「ケイ…」

「もしそれであんたが小説書くのをやめないなら…あんたの作品演らせてくれよ」

思いがけないケイの言葉に、響生は今度こそ言葉もなく立ち尽くす。

言葉もなく見つめ合う二人を、眩しい朝の光が包み込んでいた。

 

 

<おわり>

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やっとおわりました〜。読んで下さってありがとうございましたv
もっと書きようがあるだろう!って感じですが(^_^;)
とりあえずこれはおわりにして次がんばります…はうあ。