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山を越え、谷を越え、
茨を越えたその先に、
妖精たちの森がある。
明日は妖精王の末の子の、
17歳の誕生日。
それは同時に王が決めた人間の王族との婚姻の日でもあった。
むせかえるような甘い匂いを放つ花園の中、
高耶は、野ばらの茂みに隠れるように、膝をかかえていた。
結婚なんかしたくない。
どこの誰ともわからない、しかも人間などと。
明日この森を出たら、もう二度と戻れないのだ。
父や兄たちとももう会えない。
潮や卯太郎と森をかけまわって遊ぶこともできないのだ。
人間たちに囲まれて、一生、冷たい石の城の中で暮らさなければならないのだ。
(嫌だ)
いっそ逃げてしまおうか。
誰も自分を知らない、他の森に…。
ふとそんな考えが、脳裏をよぎった時、
がさり、と茂みをかき分ける音が高耶を現実に引き戻した。
誰かが自分の不在に気づいて、連れ戻しに来たのか。
諦めの顔をのろのろとあげた、その先には、
甲冑を着た、見知らぬ長身の男が立っていた。
(人間…?)
「誰だ」
高耶が身構えたのは無理もない。ここは妖精の森。
人間たちが容易に踏み込めないように、結界が張ってある。
ここに「見知らぬ人間」がいるはずがないのだ。
警戒する高耶に、男はおっとりと微笑んでみせた。
「私は直江信綱と申します。
よい天気なので、散歩をしていたら途中で迷ってしまいまして」
だが高耶は警戒を緩めない。
「ただの人間がここに入り込めるものか。何が目的だ。
素直に言わないなら、痛い目にあうことになる」
言い終わらぬうちに、高耶の手のひらに光球が生まれた。
バチバチと電気をほとばしらせるそれが男の鎧に触れる寸前。
「!」
鎧をつけているとは思えない素早さで、手首を捉えられた。
捉えた掌の上では、いまだに光球がバチバチと音を立てている。
わずかでも鎧に触れれば、たちまち感電していただろう。
直江は思わず息をついた。
「答えも聞かないうちから攻撃するものじゃありませんよ」
たしなめるように言う直江を、高耶は呆然と眺めた。
掴まれた腕はびくともしない。
実戦経験こそないが、兄たちを相手に、日々鍛錬は欠かさない。
それを人間相手に、やすやすと止められてしまった。
(妖精国一の‘力’の持ち主っていっても、この程度かよ)
己の無力さに沈む心と一緒に、光球も手の中に消えた。
「その力・・・あなたも妖精なんですね。われわれ人間と変わらないように見えますが」
「・・・だったらどうした。ここは人間の来るところじゃない。さっさと出て行け」
つかまれた手を振り払い、にべもなく言い放つ高耶に動じる様子もなく、
直江と名乗った男はのほほんと聞いてきた。
「迷ったというのは本当ですが・・・実は明日越後に輿入れするという、妖精の王子を一目みたかったんです。」
意外な言葉に、高耶は目を見開いた。
「そんなの明日になれば会えるだろ。なんでわざわざ」
「好奇心ですよ。ここにくれば、近くで見られるかもしれないでしょう?
末の王子、景虎様とはどんな方ですか?」
その薄茶色の瞳は、本人の言葉どおり好奇心に満ちた目だ。
高耶はふいと顔をそむけた。
「・・・大した奴じゃねぇよ。父上や兄上達に認められようといきがっても、
結局、人間との友好の道具としてしか使い道がない、ただのガキだ 」
先刻まであれほど強い光を宿していた漆黒の瞳が陰りをおびた。
しかし、頬に触れた、思わぬ暖かい感触に、びくりと顔を上げる。
「すみません。あなたが泣いている気がして」
触れているのは、大きくて暖かい、この男の手だった。
振り払うべきなのに、できなかった。
てのひらの温もりが今の高耶には心地よすぎて。
すがってしまいたくなる気持ちをぐっとがまんして、ただ目の前の男の顔をじっと見つめた。
直江はふっと目元をなごませ、
「でも今は、王子よりもあなたのことが気になります。
そういえば、お名前を聞いていませんでしたね 」
その言葉に、高耶はしばらく考えた後、「高耶」とだけ名乗った。
「高耶さん。妖精の森を案内してもらえませんか?」
「・・・お前。ここから出て行けと言ったのを聞いてなかったらしいな」
侵入者のずうずうしい申し出に、高耶はぶっそうに目を眇め、そして背中を向けて森の奥へと歩き出した。
つづく
小説
遅ればせながら高耶さんBDです〜
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