The Spell

最終話


    

 

 

誰かが泣いている。

 

いつだったか思い出せないが、たしか前にもこんなことがあった。

(ここはどこだ?)

一面真っ白。まるで霧に包まれているみたいだ。
だが肌に触れる感触はない。暑さも寒さも感じない。
冥界に似ているがどこか違うような気がする。

(直江は)

あれからどうしたのだろう。

汗が冷える感覚に気がついたら、直江が折れた木の枝の切っ先で喉を突こうとしていた。
止めようと揉み合った覚えはあるが、そこから先の記憶がない。

とにかく戻らないと――

 

――そんなにあの男がいいの?

 

高耶の心を読んだかのようなタイミングで、声が降ってきた。
さっき泣いていた少女の声だ。

――あなたは今、あの男のために戻りたいとおもっている。
あなたはあの男のせいで死んだのよ。
彼のせいで今までさんざん苦しんできたのに、どうして?

高耶は苦笑した。まだ恋も知らない、欲しいものを得られず逝った少女の念だ。
何年たっても成長などしないだけに、善意も悪意も潔癖で純粋だ。

「オレはあんたより欲張りなんだ」

言葉を捜しながら高耶は言った。

「あんたが考える普通の幸福を、確かにまだ望む気持ちがあるのかもしれない。
だけどたとえそれを得たとしても、オレはきっと後悔する。たとえこの先何百年も血を吐く思いを
し続けたとしても、どうして求め続けなかったのかときっと後悔する。
欲しいものはたったひとつだけだ。それは誰かに与えられるものじゃない」

苦しいこと、傷つくことイコール不幸、ではない。
この四百年、つらいこともやりきれないこともたくさんあったが、自分が不幸だとはおもっていない。

(あいつがいたから)

高耶は顔をあげて、見えない声の主に言った。

 

「直江をかえしてくれ」

 

 

 

 

まぶたの向こうの白々とした光と、肌を刺すような冷気に目が覚めた。

「う・・・」

身体の下でぶるりと震えながら呻く声がする。
それが高耶だと気がついて、のしかかっていた身体をおこすと、続けてくしゅんとちいさなくしゃみが
聞こえた。

「高耶さん」

上半身裸のままだ。直江は高耶の身体も起こすと、埃だらけになってしまったスーツの上着を脱ぎ、
高耶に着せた。それでも小刻みに震える高耶を抱きしめて背中をさすってやった。

喉元には何の痕跡もない。自分の喉も同様だった。

(どういうことだ)

確かに木の枝は高耶の喉を貫き、自分も後を追ったはずなのに。
その枝は少し離れた所に転がっていた。
和紙の上には、ところどころ焼け焦げた髪が残っている。
もう何の力も感じなかった。

 

「――なおえ・・・?」

ようやく目を覚ました高耶が胸に埋めていた顔を上げた。
その無防備な表情に、直江は微笑みかける。

 

「まずはホテルに戻って・・・熱いシャワーを浴びましょうか」

 

 

 

 

「――なぜ、髪を元の壺にもどさなかったんです?」

鞍馬寺の石段を降りながら、直江が聞いた。
高耶は例の遺髪を「初枝」の壺にではなく、もともと空だった「静枝」の壺に納めた。

「オレ達が会った少女と人形が同じ波動をもっていたのなら、彼女は初枝の方だ。
人形の髪は初枝の髪でつくったんだから。
おそらく途中で何かが起こって入れ替わったんだろう」

もっとも、あの人形はどちらの念もついていたようだった。
双子ゆえか、それとも同じ人形に対する執着ゆえか。
ひょっとして記憶や感情も共有していたのかもしれない。
だからこそ、会ったことのないないはずの「静枝」が高耶たちのことを知っていた。

 

「高耶さん」

呼ばれて何だ?と顔を上げる。

 

一段降りるごとに地上の暑さに近づいている気がする。うるさい蝉の合唱がさらに暑苦しさを増幅する。
熱気と騒音、排気と雑多な念に満ちた、薄汚れた、しかし「生きた」世界。
ここでこそ自分たちは探し続ける。求め続ける。
二人の最上を。

「普通の幸せを、あきらめることはないとおもいますよ」

闇戦国に関わっている以上、「普通の生活」は無理かもしれない。
だが高みを目指しながら、高耶が心の底で望んでいる小さな幸せを積み重ねることはできるはずだ。

このひとが得られなかったものをひとつひとつ与えてあげたい。飢えた心を満たしてやりたい。
それは言葉ほど簡単なことではないけれど。
自分のどうしようもない執着や独占欲がこのひとを傷つけてしまうかもしれないけれど。

直江の言葉に高耶は驚いたように目を見開いたが、一瞬後、こぼれるように微笑んだ。

「そうだな」

本気でそうおもったのかどうか測りかねたが、高耶はさっさと石段を降りていく。

「ほらさっさと戻らないと千秋たちまたうるせーぞ。
あいつらが山中に捨てられてたの、オレたちのせいらしいからな」

正確には「直江」のせいだったのだが、そのへんはあまり詳しくは説明していない。
千秋も綾子も気がついた時にはなぜか八王子の山中にいたという。よく野犬に襲われなかったものだ。

直江は肩をすくめると、高耶の後を追って階段を降りた。

 

 

青々とした葉を揺らす風に、ちりんという鈴の音が聞こえた気がした。
            

 

<おわり>

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おわりました・・・ありがとうございました〜〜〜;
(それだけかい)