総勢10人だった西浦高校野球部に、新入部員が入ってきた。 入部希望者は3月から練習に加わりだした者もいて、彼らは先輩達にいろいろと教えてもらいながら、練習メニューをこなしていく。練習前の準備も練習後の後片付けも全員でやるものだから、もともとさほど広くはない部室は、着替えの時には、すしづめ状態になった。 奥に置かれた、古い木の机をはさんで、バッテリーの二人が向かい合わせに座っている。 新入生の目から見た野球部の先輩たちは皆気さくな人たちだった。上下関係にうるさい人もいなければ、準備や片付けなどを後輩だけに押し付けたりもしない。帰りも一緒にコンビニによるのに誘われたりして、皆と親しくなるのは早かった。 その捕手はといえば、無口で不機嫌そうな表情はもとからなのかもしれないが、この人俺達のことが嫌いなのかなと疑いたくなるほど、新入生たちに「無関心」だった。話しかければそっけないながらも答えるし、投球練習でも投手や捕手志望の後輩の面倒はみているものの、その接し方が、「三橋先輩」といるときと、あまりにも、あまりにも違いすぎた。 最初は仲が悪いのかと誰もが思う二人だった。「三橋ッ!」と阿部はことあるごとに三橋に雷を落としていたし、三橋はぶるぶると震えてごめんなさいを繰り返す。初めは何人かが花井や他の先輩を呼びに行ったが、「放っておけ」の一言ですまされた。言葉の通り、しばらくすると二人はしばらく姿を消したかと思えばすっかり仲直りした様子で戻ってきた。帰りもふと気がつくと二人していなくなっていたり、たまにどちらか一人でいるところに会えばもう一人を探していたりとか、とにかく練習中であろうとなかろうと、彼らはいつでも一緒にいる感じだった。 つまり、新入生は、部や他の先輩達にはなじめたものの、この「二人の世界」をつくっているバッテリーには未だ近づくことができずにいたのである。 「いいな〜俺にもマニキュアしてくださいよ〜」 そんな二人に割り込んだツワモノがいた。 阿部は全ての爪をきれいに塗れたことを確認すると、それにふーっと息を吹きかけて乾かしながら、後輩の方を見向きもせずに言った。 「お前がエースになったらな」 その言葉に、阿部が握っていた手がビクンと震える。それに気づかない後輩はぱっと顔を輝かせて、 「オレ、絶対にエースになって見せます!それでタカヤ先輩にマニキュアしてもらいますから!」 それは事実上の宣戦布告だった。「っしゃー、がんばるぞー!」と練習着姿で部室を飛び出していく。着替え終わったほかの部員達もぞろぞろと部屋を出て行った。 「オ、オレッ」 いつのまにか静かになった部室の片隅で、真っ青になってぶるぶると手を震わせる三橋に、「まだ手を閉じるなよ」と釘をさした阿部は、まだ爪を塗ったばかりの右の手のひらを表に向け、その手の平をそっと握った。 「去年、この手でいくつ三振とったか覚えているか?」 急に聞かれて、三橋は目を見開いた。手の震えもとまっている。 「桐青にも勝ったし、5回戦まで行った。今年は甲子園に行くんだろ? (一年前のオレ、と) 三橋はごくりと喉を鳴らし、勢いよく首を振った。他の投手と比べられたら、自信なんてぜんぜん持てないけれど。 阿部君がいたから、この人がいたから、オレは変わることができたんだ。 三橋の答えに、阿部は満足そうに笑って、タコだらけの手をぎゅっと握り締めた。 「一年がそう簡単にこの手を・・・お前を越せるかよ。お前もエースなら、後輩の挑戦ぐらい受けて立て」 3年間オレに投げるんだろ?そう言われて三橋はぶるっと震えた。さっきの震えとは違う、いわゆる武者震いというやつだ。
「おまっ・・・手ぇ閉じるなって言っただろーがぁ!」 一拍おいて、おなじみの怒声が部室の外にまで響き渡った。
「・・・っていうか、三橋以外の奴にマニキュアなんかする気なんかさらさらないだろ・・・」 部室の外では、花井がぼそりとつぶやいてこめかみを押さえていた。
おわり
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