3月14日。いつも通りに朝練に出かけながら、オレはすっごくドキドキしていた。
自転車を走らせながらも、意識は前のかごのスポーツバッグの底に忍ばせた、綺麗にラッピングされた箱に向いている。
中身はスポーツブランドのロゴが入ったタオルだ。阿部君に教えてもらった大きなスポーツ洋品店で、プレゼント用なんですけど、って緊張しながら言ったら、ちゃんとプレゼントの包装をしてくれた。
ホワイトデーのお返しなんてはじめてだ。
今まで、バレンタインデーにお母さんやルリに手作りの菓子をもらうことはあったけれど、たいてい一ヵ月後には、お返しどころか、もらったことすら忘れていて、しかも二人ともオレからのお返しは期待していない風だったので、そのままうやむやにしてしまっていたんだった。
だけど今年は違う。ほぼ一ヶ月前から何にしようか悩んで、練習がない日に阿部君の誘いを断って一人で買いに行くにはどうしたらいいか悩んで、悩んだ末に田島君まで巻き込んでしまって、田島君と遊ぶことにしたその日にようやく買いに行くことができたんだ。

やっとのことで用意したプレゼントは、二週間くらいオレの部屋で出番を待っていた。何度か遊びに来た阿部君に見つからないように、机の引き出しの中に用心深く隠して、でも今日までの間、部屋にいる時はずっと、意識は引き出しの中に向いていた。
そして今、プレゼントがバッグの底でつぶれてないかとか、いつ阿部君に渡せばいいかとか、着替えの時にうっかり落として皆に見られたらどうしようだとか、もっと気の利いたものにすればよかったとか、つまらないプレゼントに阿部君ががっかりしたらどうしようとか、考え出したらきりがないことを、延々と悩んでいた。

 

 

一ヶ月前に、阿部君からチョコレートをもらった。
学校に行くまでその日がバレンタインデーだってことすら忘れていたし、覚えていたとしても、その日は女の子が男の子にチョコを渡す日だって思い込んでいたから、たとえおつきあいをしていても、男同士のオレ達には関係ない日だって思っていた。
だから帰り際に、「これ、やる」とラッピングされた長方形の箱を渡された時にはすごくびっくりして――そして焦った。

「オオオオレッ、何もっ、用意、してな・・・ッ」
「いーよ、オレはチョコ食わないし。お前は好きだろ?」

阿部君は全然気にしていないようだったけれど、オレは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だって阿部君はこんなオレのことをちゃんと恋人として扱ってくれていて、チョコをくれたのだって、誕生日やクリスマスに大事な人にプレゼントをあげるのと同じことなんだ。オレだって阿部君のことが大好きで、きっと気持ちの大きさでは負けていないとおもう。それなのに、オレはいつも阿部君からたくさんのものとか気持ちをもらうばかりで、オレからは阿部君に何も返せないでいる。

「ご、ごめっ・・・」

申し訳なさと情けなさのあまり、おもわず浮かんだ涙を隠そうとうつむいたら、阿部君は「あーもー」と困ったようにガリガリと頭をかいた。

「いちいち泣くなよっ・・・・あー、ならオレもお前から何かもらうから」
「なに、を?」

阿部君の欲しいものってなんだろう。オレに買えるものなら何だってあげたい。
じっと見つめるオレの前で阿部君はしばらく考えていたが、ふいにいいことを思いついた、とばかりにニヤリと笑った。

「じゃあ、お前からキスして」
「うえっ?」

思いがけない「お願い」に目を白黒させいているオレに、阿部君は「考えたら、今までお前からしてもらったことってねーし」と平然とした顔で言ってのける。確かにその通りかもしれない、けど。
それはオレがして欲しいと思った時には、いつも阿部君からしてくれるからで。
オレは頬が熱くなるのを感じながら、もじもじと視線をさ迷わせたけれど、阿部君が答えを待っているのがわかると、

「あ、あの・・・ここ、で?」

思わず小声でたずねた。今のところ人通りはないけれど、道端で自分からキスをするのは、ちょっと恥ずかしい。
伺うようにちらっと阿部君を見上げると、阿部君は、自分から言い出したことなのに、なぜかちょっと驚いたような顔でこっちを見ていた。
でも、すぐに笑みを深めて、

「別にお前んちでも、オレんちでもいいぜ?」

っていったので、それから阿部君の部屋に行って、「お願い」を叶えてあげたのだった。
結局、キスだけではすまなくって、いろいろしたというか、されたのだけれど。

 

 

朝からオレは、ずっと挙動不審だったと思う。だけど、オレの体調変化にオレよりも早く気づく阿部君も、他の部の皆も、なぜか何も言わなかった。
練習に入ってしまえば自然と意識はそっちに向いて。投球練習をする頃には、バッグの底に入れた包みのことは、完全に頭から消えた。
そんなこんなで、いつ渡そうとドキドキしていた割にはわりとあっという間に一日は過ぎてしまって、気がついたら阿部君と二人、自転車を押して帰る途中だ。もうすぐ分かれ道にさしかかる。ここで渡さないともうチャンスがなくなってしまう!

「あああああのっ!!」

意を決して足を止め、声をかけたら、思ったより大声になってしまった。阿部君もびっくりしてこっちを見ている。オレは急いで前のカゴからバッグを取り出すと、がさがさと中を探った。目的の物を手探りで引っつかむと、一緒に着替えがこぼれ落ちるのも構わずに、阿部君に差し出した。

「こ、これっ、もらって、くださ、いっ」

阿部君に告白した時とおなじくらいにドキドキしながら、頭を下げてプレゼントを差し出すと、それを受け取ってもらえた感触と――それから頭の上でプッと小さくふきだす笑い声がした。
何がおかしいのかわからずに顔をあげたオレに、阿部君はまだ笑いながら「サンキュ」と包みを掲げて見せた。

「お前これ、二週間くらい前から用意してくれてただろ」

ズバリ言い当てられて、オレは思わず目を白黒させてしまった。

「な、なんっ」
「机の右側の上から二番目の引き出し。お前の部屋に行くとずーっとそっち見てんだもん。クリスマスの時も、オレの誕生日の時もそうだった。だから今日はいつくれんのかなーって待ってたわけ」

自分の考えをすっかり見透かされていた恥ずかしさに、オレは身の置き所がなくなった。そういえば告白したときも同じようなことを言われた。阿部君はオレの考えていることなんて、何もかもお見通しなんだな。
顔を合わせられずにもじもじしていると、目の前に見覚えのないラッピングされた箱が差し出された。

「それでこれ、オレから」
「う?」

振るとカタカタと音がした。この音には聞き覚えがある。先月ももらった、チョコレートの音だ。

「え、なん・・・?」

オレ、あげてないのに?
首をかしげて見上げると、阿部君はあー、とちょっと赤くなって視線を泳がせた。

「お返しとか関係なくてさ、ただあげたくなっただけだから。お前チョコ好きだろ?」

それを聞いて胸がいっぱいになってしまったオレは、

「ばっ、何泣いてんだよっ!今すぐ泣き止めッ!」

オレの顔を見て焦った顔になった阿部君にまたもや大声で怒られてしまったのだった。

 

おわり

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