光の階
ひかりのきざはし
京香さま
森はひっそりと静まり返っていた。
暦の上ではこれからが本格的な秋だというのに、既に気温は低く、周りの草木は
一足も 二足も早く冬の装いを始めている。森に棲んでいる動物たちも、ねぐらに潜り込
んでしまっ ているのだろうか。昼でも薄暗いそこでは、動くものも音を発するものも何も
ないのだった。 ただ、風が起こす澄み透った音色だけが、ここでは唯一の音と言えた。
ひんやりとした冷気が体を覆っている。それに寒いとも感じず、一人の若者が大の
根本に座り込んでいる。いつからそこにいるのだろうか。霧雨に濡れた髪が額に
くっついている。 その間から覗く瞳に力は、無い。背中を丸め前屈みに座り込んでいる
その姿は、ただ寒さに 耐えているようであり、全てに失望した自殺志願者のようであり、
また、静かに終わりを待つ 老人のようにも見える。 微動しない体は、辺りの寂れた
風景にすっかり溶け込んでいた。柔らかく背に降 りかかる霧のベールに包まれ、
ただひっそりとそこに存在している。
大転換から数ヶ月が発っていた。 まるで、悪魔が降臨したかとでもいうようなあの
地獄の日から、この小さな島国 は神に見放 された。常に厚い雲に覆われたこの島に、
太陽は昇らない。否、昇ってはいるの だが、幾重 にも重なった分厚い雲がその光源を
遮っているのだろう。ぼんやりした太陽は瀕死のようで あり、地上には弱々しい光しか
届かない。 エネルギーを充分に得られない植物はみるみる力を失い枯れていった。
生命力の強い雑草はかろうじて生き延びているが、その姿の何て力のないことか。
人間だって同 じだ。まとも に陽にあたっていない人々の顔に生彩は無く、青白い顔をした
人々が疲れたよう に所々に蹲っている。極度の不安と恐怖に晒され、その緊張は限界に
達しようとしている。
―――どうしてこんな事になったのか。
―――いつまでこんな事が続くのか。
―――これからどうすれば、どうしたら良いのか。
その答えを知る者は、誰も、いない。
「こんな所にいたんですか?」
後方から声をかけられて、蹲っていた若者はゆっくりと首を巡らせた。
「…直江」
湿った草を踏みつけながら、黒のサバイバルスーツに身を包んだ直江は近づいて きた。
傘 は差していない。高耶と同様に濡れた髪が額にくっついている。だが、それには
構わず、直江 は座り込んでいる高耶の前に回った。
「どうして、ここに」
「…武藤から、あなたがよくここに来ていることを聞きました」
そうか、と言ったきり高耶は下を向いてしまった。 「?」 手を差し出されて、高耶は
不思議そうに顔を上げた。
「ここは寒い。中に戻りましょう」
「……」
「高耶さん」
「…もう少しここにいる。お前は戻れ」
やんわりとした高耶の拒絶に、直江は首を縦に振らなかった。
「では、私もこにいます」
「いいから戻れ」
「戻りません」
「……ッ」
高耶は恨めしそうに直江を睨み付けたが、このぐらいで動じる彼で無い事は、高耶が
一番 知っている。案の定、直江は涼しい顔をして高耶を見下ろしている。 高耶は
忌々しそうに顔を背けた。
「勝手にしろ」
直江は無言で後ろに回ると、大木を挟んで高耶と背を合わせる形で根元に腰を下ろした。
寄りかかった大木からはみ出している、高耶の肩と直江の背中が合わさる。互いの体温が
そこから伝わってきたが、雨に晒された大地は冷たく、二人の体温を奪っていっ た。
「静かですね。物音一つしない」
重々しい沈黙の中、口火を切ったのは直江だった。
「……あぁ」
「まるで、私達しか存在していないようだ」
「……」
高耶の体が僅かに強張ったのがわかった。
「今年はとうとう蝉が鳴きませんでしたね。暑くもならなかったから、今が残暑だということを
忘れそうになります」
「何が言いたい、直江」
「……後悔、しているんですか?」
何を、とは聞かなかった。でも、高耶には何を指しているのかがわかったようだ 。
「してない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「してない訳がない」
「!…だから、してないと言っているっ!」
「あなたはッ…!」
直江はカッと目を見開いた。
「本当に後悔していないと、あなたは言えるんですか!?全く?……だったらあな たは相当の
極悪人だ」
「な……ッ!」
頑なな態度を崩さない高耶に、直江は突きつけるように言った。その言葉にムッ ときて
反発しようと振り返った途端、直江に力任せに押し倒され高耶は地面に転がった 。
肩を打ち付けて顔を顰める高耶の上に、身を乗り出すようにして直江が覆い被さって くる。
反論 しようとして開きかけた口は、直江の瞳を見た途端固まった。
「……っ」
憎しみで煮えたぎっているくせに、その奥にどうしようもない虚無と絶望が見える。
表面の 炎だけではとても溶かしきれそうにない。それはまるで、燃えさかる炎の中に
氷のダイヤモ ンドを閉じこめているかのようだった。 直江はその目をくっと眇めると、
憎しみの対象を睨み付けた。
直江は言った。
「裏四国を成したせいで、どれだけの人が犠牲になったと思っているんですか!
まだ生きたかったろうに、突然生を奪われた。何が起きたかもわからないまま無理矢理
放 り出された。 それだけじゃない!生きている人間だってあれから数ヶ月も経つというのに、
なお今もこんな 有様で…ッ」 直江は、すっかり荒廃した四国の事を言っている。ここはもう、
人間が住むとこ ろではない のだ、と。ありとあらゆる自然の物が喪われた。いや、自然の
ものだけではない 。人工のものでさえ通常のようには機能を果たさなくなった。特に電力だ。
通常ならば代替に 利用する自家 発電さえ使えないのだから、どうしようもない。電気が
無ければ何も出来ないのが現代の人 間だ。何と言っても情報が入ってこない。周りの
状況が把握出来ないばかりか、応援すら呼 べやしない。陸の孤島だ。
「あなたのせいです。あなたが全てを奪ったんだ。あなたが裏四国を成したりし たから!」
「……っ」
高耶は苦しそうに目を瞑った。
(わかっている。自分でも…)
直江のいう事は尤もな事だ。現代人を犠牲にしてまで行う事だったのかと問われれば、
簡単には頷けないものがある。それでも、成さなければならなかった。罪とわかっ ていても。
世 界中の人々に罵られようと。
――怨霊がいていい島にする。 昔の自分からは到底想像できない言葉である。
誰に罵られようと、反論は出来ない。 それでも、やらなければならなかった。
――あなた自身は、何ら阻害されていないんです。 見極めることにしたんだ、直江。
本当に自分はここにいていいのか。何人も、存 在を許されないものはないのかどうか。
……この世界の理を、根本的に見つめ直そう、と。
(その為には成さなければならなかった)
でも……。 そう思う一方で本当にこれで良かったのかと問いかける自分がいる。
本当に、これで……。
(こんな事、少し前の自分だったなら考えもしなかっただろうに)
まだ完全に「生き人」側だった自分だったなら、こんな事に裂命星は使っていなかった
だろ う。怨霊の存在を肯定するするだなんて、あまりにも自分たちの正義からかけ
離れている。
(あの日の自分だったなら、こんな事思いつきもしなかった)
あいつの為に再び闘おうと思った、あの日の自分だったなら……。
――おまえはおまえだよ。変わっても、高耶だよ。 ふいに浮かぶあの日の言葉。
急に懐かしい風を感じた気がして、高耶は小さく目 を見開いた。
「高耶さん?」
身動きを止めてぼんやりしてしまった高耶を訝しんで、直江はその顔をのぞき込んだ。
高耶は、どこか遠くに思いを馳せているようだった。周りの風景を映していない その瞳に、
どこか哀しい色が帯びるのを直江は見た。
「高耶さん」
額に触れた温もりで高耶は我に返った。
(…直江)
たった今まで怒りも露わに高耶を罵ったくせに、心配そうな顔で高耶を見つめて いた。
その瞳には、慈しみに似た光が灯っている。
(……どうして、お前は)
高耶はいたたまれなくなって顔を背けた。
「何でもない」
今の顔を直江に見られなくて、高耶は強引に直江の体を押しやった。いや、押しやろうと
して、出来なかった。
「直江?……!」
突然直江に抱きすくめられて、高耶は驚いた。 両肩が軋むほどの力だ。
「離せ、直江!」
慌てて体を離そうとするが、直江は無言で高耶の体を抱く腕に力を入れた。
(なおえ……)
「あなたを」
直江は絞り出すようにして言った。
「あなたをこの腕の中に閉じこめてしまいたい!」
「………!!」
「こうして抱きしめていても、次の瞬間にはあなたが消えてしまいそうだ!あなたが消える
その瞬間を思い浮かべて、私がどれだけ眠れない夜を過ごしてきたことか……、 あなたに
わかりますかっ!」
この恐怖が……!
高耶は聞こえない叫びを聞いた。
「どうして、どうしてあなたはこんなに不安にさせる。あなたの目指しているも のが、私には
理解できない!他の事なんて知らない。私が大事なのはあなただけです!あなた を死なせ
たくないんです!なのに、私がどんなにあくせく『生きながらえる術』を探し出 してきても、
あなたは受け入れようとしない。あなたには、私のしている事は無意味でしかない のか!」
直江の激高を、高耶は呆然と聞いている。
「やはり、こんな事に使うべきじゃなかったんだ!裂命星は、あなたにこそ使うべきだった
んだ!」
「!」
「あなたの命より優先させるものなんて、この世には存在しない!どうして、… …どうして
あの時阻止出来なかったのか。自分の無力さで気が狂ってしまいそうだ!」
血を吐くよりも苦しく言葉を紡ぎだして、直江はたまらず高耶の体を掻き抱いた 。
高耶の熱い息をすぐ傍で感じる。こんなにも、どうしようもなく存在しているのに、それが
奪われてしま うなんて!そんなの、考えられない。考えたくない!
興奮の為か、直江の体は小刻みに震えていた。熱い体から、直江の無念が伝わっ てくる。
(どうして、どうして―――ッ!)
あなたは、事の重大さがわかっていないんだ。裂命星しか、あなたを延命できる ものはない
かもしれないのに! 再び裂命星が使えるようになるまで50年。 その頃にはもう、あなたは
いないかもしれないのに……!
雨に濡れて冷えきった高耶の体は、「生きている」直江に実感を湧かせてくれな い。
直江は 急に不安になった。生きている証を得たくて、不安に駆られるまま高耶の熱い部分を
夢中で まさぐった。
「…ッ!な、…おいっ!」
突然の直江の行動に、高耶は慌てて体を捻った。
「!」
いきなり指を入れられて、高耶の体を激痛が襲う。
「な、おえ……、やめ…っ!」
中指を根元まで突き入れて、直江はそこをぐちゃぐちゃに掻き回した。
「なお……ぇ、イ、タ……」
引き裂かれるような激痛に涙を溜め静止を請うが、直江は止めるどころか高耶の衣服を
勢いよく剥ぎ取った。
「……っ」
冷たい大気に裸の胸を晒されて身を竦める高耶。それに構わず直江は高耶の太股 を
抱え上げると、後ろの刺激で息づき始めていたそこを口に含んだ。
「ア…ッ!アァ……!」
何が何だかわからない内に熱い粘膜に覆われて、条件反射のように高耶の口から嬌声が
上がった。ザラザラした舌がそれに絡みついて、高耶は感じるまま声を上げてし まう。
直江は さらなる反応を得ようと、歯を立てながらそれを擦り上げた。
「ンン、ンンッ!」
苦しい体勢のまま与えられる快楽。体がギシギシと軋む。高耶は髪を振り乱して 、
暴力に似 た愛撫に耐えた。だが、快楽に正直な体はみるみる猛り、高耶の理性の壁を
崩し始める。い つしか高耶は、自ら直江をそこに押しつけるように腰を振っていた。
―――こんなんじゃ足りない! そう叫ぶ高耶が見えたようで、直江の愛撫の手にも
熱が入る。
先端部分に舌で抉るような刺激を与えてやると、高耶の体がビクッと震えて前が 勢い良く
跳 ねた。直江はそれから名残惜しそうに口を離すと、喘ぐ高耶の体を反転させ、腰だけを
突き出すように高く持ち上げた。 今までの行為で濡れた臀部を割り開き、灼熱の棒を
突き刺す。
「!アアァァ――――ッ!!」
痛みから逃れようとする体を押さえつけ、その杭を奥深く捻り込む。 熱く堅い塊を無理矢理
押し込まれて、高耶の口から悲鳴が上がった。直江も、うねる肉壁に きつく絞られて眉を
キュッと寄せる。滲んだ汗が額を滑っていった。
(こうして繋がっていれば、安心なんだ)
高耶の痴態を見ながら直江は思った。
(こうしていれば、あなたはどこにも行かない。私の傍にずっといる)
―――いや、チガウ! こんな事したって、あなたは私のものになんかならない。 あなたは
翼を持った人だから。私という鎖を断ち切って、私には辿り着けない天 に向かっていつか
飛んでいってしまう。
一人で。私を置いて。私には見向きもしないで。
直江の心に絶望が広がった。
どうしても、あなたは私のものにはならないのか。あなたと一つのものにはなれ ないのか。
それならばせめて今だけは、と。
(熱い楔で繋がっている時だけでも、夢を見させてくれ)
しばらく前後の動きを繰り返し、高耶の中で自分のそれを滾らせると、直江はそ こから
一気に引き抜いた。抜かれる刺激に高耶の体がビクッと震える。直江は、今度は高耶を
仰向けに 寝かせると、休む間もなく、濡れそぼるそこに再び熱いものを挿入した。
「……!」
先ほどと受け入れる角度が違う。高耶は自らイイ部分を探すかのように腰を揺ら せた。
「あぁ……ッ!」
高耶の中で大きく膨らんだ直江のオスが、敏感な場所に当たっている。体を大き く震わせて
悲鳴をあげる高耶の目に、突然それは飛び込んできた。
(あれ…は………)
色の無い世界に、唯一輝くものがある。それはまるで、焼け野原に咲く一輪の花 。
東の方から伸びたそれは、輝きを増しながらゆっくり西へと向かっている。
(あぁ………)
直江に揺さぶられながら、高耶は空に伸びていく帯を見つめた。 七色の鮮やかな色を、
無地のキャンパスに振りまいていく様は小気味よいほど美 しかった。 緩やかなカーブを
描いて空高く伸びていくそれは、高耶の心に安らぎと、希望と いう名の光を送り込んでくる。
高耶は切なくなって、天を仰いだ。無意識のうちに手を伸ばしていた。
救いを求めるかのように。 訳もなく涙があふれ、頬を伝った。
「…さっき、虹が出ていた」
熱い体に覆われた高耶は、くくごもった声を直江の下から出した。
全ての力を使い果たした直江は、先程の行動を恥じるように高耶を優しく抱きしめていた。
とても静かな顔をしていた。先ほどの激高が幻だったかのように。だがそれは、 落ち着いた
と呼べるものでは到底なかった。癒せない絶望を表面下に上手く押し隠しているだけ。
今の直江の顔には、まるで仮面を被っているかのように何の感情も表れていないのだった。
「……虹、ですか?」
一呼吸を置いたあと、静かないらえが返った。
「あぁ……。お前の肩越しに見えていた」
「……」
高耶は直江の体に回していた腕に力を入れた。
「何もかも喪われたと思っていたのに、そうでもなかったんだな」
高耶はゆっくりと空に伸びていく、光のプリズムを頭に描いた。初めて見た。虹が出る
瞬間を。何て、神々しく力に満ちたものなのだろう。灰色に閉ざされた世界に命を吹 き込む
かの ようだった。
「こんな分厚い雲に覆われているのに、そこだけ虹色に輝いていた。青空の下で見る
よりも、妙に存在感があった」
高耶は微笑を浮かべながら言葉を続けた。
なぁ、直江。
「あれ見て思ったんだ。オレもいつか、あの階段を上っていくのかなって」
「!」
直江の顔が強張った。
「オレに無理矢理あの世に連れて行かれた霊達も、あの階段を上っていったんだろうか」
天に、高耶はそういうと、どこか遠い目をした。
「高耶さん」
「オレも、いつか……」
(上っていくのだろうか?みんなが辿った道を)
「……ッ」
たまらなくなって、直江は高耶の体を強く抱きしめた。 先ほど感じた、抱きしめていても
埋められない空虚を、見せつけられた気がした 。
(そんな事、考えたくない!)
あなたが天に召される日の事なんか……!
もし、そんな日が来るのだったなら、こんな世界なんか滅ぼしてやる!!滅茶苦茶に壊して、
彼をここまで苦しめた運命に見せつけてやりたい!お前がこれを招いたんだと。
(私は、悪になろうと未来永劫許されない罪を背負うと平気なんだ。あなたを喪 う恐怖に
比 べれば。……でも)
と、直江は、確実に迫っている死の足音が、大きくなってきていることを知って いる。
いつか絶対その日が来るのだったなら。どうしても阻むことが出来ないのだった なら。
(いつか彼がこの腕の中から飛び立って行くのだったなら)
直江は、決意を込めて高耶を見た。
(私の取るべき道はたった一つ)
「私は、いつまでもあなたと共に…」
震える声で誓う。幾度も誓ったその言葉を。繰り返し、繰り返し、高耶の全身に染み渡る
よ うに。
「あなたがどこに行こうと、あなたの傍らだけが私の居場所なんです」
例え、一つのものにはなれなくても。
私は最後まで、あなたの傍に、いる。
これからも離れない、決して。
――決して。
だから。
「その時は一緒に………」
上ろう、光の階段を。
言葉だけでは、全てを伝えられないから。
溢れる涙そのままに、罪人達は抱きあう。
薄闇に閉ざされた小さな空間で。
だけど、私は諦めない。
きっと、見つけてみせる。
あなたと共に歩いていく道を―――。
End
(2001.07.10改稿)
うわーん!高耶さん〜〜〜(>_<)これでよかったのかと逡巡する人間的な高耶さんと
天に想いを馳せる遠くに行ってしまうような高耶さんと――どちらもみていてつらいですね(;_;)
ストーリーはシリアスなのだけど、何だかんだいってらぶらぶな二人…(^_^;)お互いのことしか
目に入っていないというこの雰囲気がたまりません!さすが京香さま♪
すてきな小説をありがとうございました〜!!(>_<)