スローステップ
12
手の中にすっぽりとおさまる小さな手は、わずかでも力を入れたら壊れてしまうかと思った。 実際にはそんなはずはないことはわかっていた。 ・・・だが、パーカーのすそを握りしめたその手は、細かく震えていた。 「し・ん!」 至近距離から大声で名前を呼ばれ、進はむ、と顔を上げた。ナイター照明に照らされた、もう人もまばらなグラウンドの片隅で、長身の桜庭が、背を屈めて進を至近距離から覗き込んでいた。 「怖い顔で自分の手相ばっかり見つめて、不気味だってば。死相でもでてたわけ?」 回想から無理やり現実にひき戻されてみれば、目の前にいたのは桜庭で。進はむっつりと不機嫌そうな顔になった。 「おまえね。合宿から帰ってきて早々、自分がどれだけチームに迷惑かけてるかわかってる?あれほど手加減しろっていっているのに、オフェンス陣を次々と串刺しにしてくれちゃって・・・秋大会始まる前にチームをつぶす気!?」 ダメージを与えている自覚はあるのか、黙り込んだ進に、桜庭はごほんと咳払いした。 「その・・・何か悩みがあるなら話きくけど?」 進はそこではじめて桜庭を見た。しばらく、その顔が相談するに値するかを考えていたようだが、 「貴様にする話などない」 結局、ふいと顔をそむけて言ってしまった。 だが桜庭にそんな進の気持ちがわかるはずもなく。友人の生意気な態度に、彼はひよこ頭から湯気を出して怒った。 「もうお前なんか知るもんかー!」 ぷんぷん怒りながら部室に向かう桜庭と、また自分の手に視線をもどす進の様子を、少し離れたところでながめていた高見は、やれやれとため息をついた。
なぜ、あの時キスなどしてしまったのだろう。 ひまわり畑で無邪気に笑う彼をかわいいとおもった。嬉しそうに自分の後ろを走る彼を愛おしいとおもった。 心を空にするためにトレーニングルームに残っているのに、気がつけばトレーニングしながら同じことばかり考えている。 「まだ残っていたのかい?」 とうとう中断し、ため息をついたちょうどその時に、声をかけられた。 「・・・すみません。もう帰ります」 最近の進のプレーを責めるわけでもなく、ただ気遣う言葉だけを与えて出て行こうとするキャプテンを、進は思わず呼び止めた。 「・・・俺は、チームに迷惑をかけていますか」 進らしくない弱気な問いに、高見は少し驚いたように目を見開き、扉を閉めると進の隣のトレーニング台に腰掛けた。 「誰も迷惑だなんて思ってはいないよ。誰だって調子が出ない時はあるだろう?桜庭もああ見えて、結構心配しているんだよ」 何があったのか知らないけれど、案外話してみたらすっきりするかもしれないよ? とつとつと、進は話し出した。自分の心のうちにある、宝物のようないろいろなことを。 「・・・なるほど」 高見は天を仰いだ。アメフトとトレーニングにしか興味がないとばかり思っていた進が、と少しばかり驚いたが、彼だって人の子、木の股から生まれてきたわけではないのだ。 「その子に好きだって言わないの?」 普通なら男が男に告白されても嬉しくはないだろうが、去り際に進をひきとめた話をきけば、とりあえず告白してみるのは悪くないように思える。 「『好き』・・・?」 ああ、この後輩は。自分の気持ちにも気づいていないんだ。だってそうでしょ、と高見は小さく笑った。 「話をきけばきくほど・・・進のそれは『恋わずらい』だと思うけど」 恋わずらい。 「とにかくもう一度その子に会ってみれば・・・進?」 校門を一歩出たところで、進は立ち止まっていた。その目は校門の前に立っていた、泥門の制服を着た小柄な青年を凝視している。 「あの・・・桜庭さんが、進さんはまだ残っているからって・・・」 あの時の記憶のまま、泣きそうな目をしたセナが、進を見上げていた。
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