スローステップ

 

13

 

なぜ?どうして?
答えがわからない問いばかりが頭の中をぐるぐると回っている。

あれから進は朝のランニングに姿を現さなくなった。
部活中のランニングで偶然会うこともない。
もともと他校のひとで、近所に住んでいるわけでもないから、
意識的に会おうと思わなければ二人の接点は簡単に途絶えてしまう。
ちょうど今のように。

今朝も、セナは進と走っていたコースを走り、土手に一人腰をおろしていた。
ここは進と言葉少なに言葉を交わした場所。
そして進に別れを告げられた場所。

もう会わないといわれた。
一体何がいけなかったんだろうか。
お前のせいではないと言われた。これ以上自分といると何をするかわからないとも。
何をするかって、何を?

あのひまわり畑でのキスを思い出して、セナは顔を赤らめた。
何っていうのは、もしかしてあのことだろうか。
これ以上進といるということは、ああいうことをまたされるかもしれないとなのだろうか・・・。

「うわ〜っ」

すっかり明るくなった土手でひとり、セナは火照った顔を覆ってじたばたと暴れた。

(そうだ、照れてる場合じゃなかった)

現に進はセナの前から姿を消した。進がああ言った以上、もう二度とセナと個人的に会うつもりはないのだろう。
もしあのキスが原因で去っていったのなら、セナは自分があのことをどう思っているのか考えなければならない。
あの時のキスは・・・決して嫌じゃなかった。でも次にされたらどうだろう。

(たぶん嫌じゃないと思う・・・けど)

進にキスされたこと自体が未だに信じられなくて、何度もすることなどとても考えられない。
第一、進がどういうつもりでキスしてきたのかすら、わからないのだ。
相手が女の子だったなら、きっともっとわかりやすかったのかもしれないけれど。
いくら考えてもわからない。進の気持ちも、自分の気持ちも。

(進さん)

セナは親指の腹でそっと、自分の唇に触れた。

 

 

部活中は余計なことを考えずにすんだ。
秋大会の第1回戦、網乃戦。これに負けたらもう終わりだ。
決勝で進と戦うこともできなくなる。

(それだけは嫌だ)

もっと強くなって。もっともっと速くなって、進に勝ちたい。
彼も今頃は練習に明け暮れているはずだ。
ならば自分も立ち止まっている余裕などない。

毎日9時まで練習して帰宅し。風呂と夕飯を食べ、布団の中でプレーブックを覚えながら、いつの間にか寝る。
答えのわからない問いなど、考えている時間はないはずなのに。
今は網乃戦に勝つことだけを考えなくてはならないのに。

(知りたい)

自分の気持ちも、進の気持ちも。
気がつけばいつも、あのひとのことばかり考えている。
それは彼がライバルで目標だからなのか、それとも他に理由があるのか。
いくら考えてわからない答えも、彼に会えばわかるかもしれない。

 

 

そんなことを考えていたら、王城高校まで来てしまっていた。
校舎の明かりはすっかり消えてしまっている。もう9時もとっくに過ぎているから、さすがにもう誰も残っていないかもしれない。
会いたいと思ったのは確かだが、会えると思ってきたわけではなかった。
そもそも、進がまだ残っていたとして、彼は会ってくれるだろうか。

(・・・僕、何やってるんだろ)

もう誰もいないかもしれない学校の前に立って。
帰ろう、と肩を落として踵を返した時、「あれ?君は・・・」と声をかけられた。
振り向くと、王城の制服を着た長身の男がセナを見下ろしていた。
ひよこのような坊主頭にヒゲ・・・最初セナは誰だかわからずにじーっと見ていたが、やがて

「えええっ、桜庭さん!?」

思わず飛びすさって驚いた。

「あはは、まあちょっといろいろあってね・・・ところでどうしたの、こんな時間に」

セナは少しためらったが、どうせここまで来てしまったんだし、と桜庭を見上げた。

「あの・・・進さんはまだ残ってますか?」
「進?まだいたけど・・・セナ君、進と知り合いなの?」

意外そうに首を傾げる桜庭から目をそらして、セナは口ごもった。考えてみれば、泥門の「主務」のセナが進と知り合いというのはおかしいかもしれない。どう言い訳したものかとおろおろしているセナを眺めて、桜庭は桜庭で「ふーん」となにやら考えていた。

「あ、あの・・・」
「進ならまだトレーニングルームにいるとおもうから、案内するよ」

再び校内へ向かおうとする桜庭を、いえいいんですっ、と慌てて呼び止めた。

「だって、あいついつ出てくるかわからないよ?」

大丈夫ですからっ、と桜庭の申し出を辞退する。一度学校を出てきた桜庭に引き返させるのは申し訳ない。
第一、進に会ってどうするかもまだ考えていないのだ。
ここで待ってます、と言うセナに、桜庭はとうとう折れた。

「・・・じゃあさ、トレーニングルームへの行き方だけ教えるから、あんまり出てこなかったら様子を見に行ってくれない?あいつ、もともとオーバーワークな上に、最近特に無茶してるから」

はっと息を呑み、顔を曇らせる泥門の小柄な主務に、トレーニングルームの場所を教えると、桜庭は「じゃあね」と手を振って行ってしまった。
校門には再びセナだけが残った。だがここに来た時の寄る辺のない気持ちとは少し違う。進はここにいる。

(進さんに会ったら何を言おう)

進に会いたい、けれど会うのが少し怖い気もする。
本当に怖いのは、会って自分の気持ちや進の気持ちに正面から向き合うことかもしれない。
知ってしまったらもう引き返せない、そんな気がするから。

校内から人が出てくる足音と、話し声が聞こえて、セナは顔を上げた。
王城生の制服。こんな時間でも、まだ残っている生徒がいるのか。
校門を出てきた男子生徒に何気なく目をやって、その生徒とかちりと目が合い――固まった。

「とにかくもう一度その子に会ってみれば・・・進?」

心の準備も何もできていないまま、待ち人が来てしまった。

「あの・・・桜庭さんが、進さんはまだ残っているからって・・・」

無言で自分を凝視する進に、言い訳のような言葉を口にしながら、セナは自分の中にあった気持ちがあふれ出るのを感じた。
なぜ、とかどうして、とか関係ない。
何を聞きたかったかとかも、どうでもいい。
ただ自分は、このひとにこんなにも会いたかったんだと、進を前にして思い知らされたのだった。

 

つづく

小説部屋