スローステップ

 

2

 

声をかけてみたいと、
立ち止まって話をしたいと、思わなかったわけじゃない。
だけど、トレーニングの邪魔はしたくなかったし、
本来なら試合以外で顔をあわせることすらないような人と、
毎日すれ違って、お互いの存在を認め合えるだけで充分だった。

 

朝起きると、昨夜から降っていた雨がまだ降り続いていた。
傘をさしてランニング、というわけにはいかない。
どうしたものかと考えたが、結局いつものように、
Tシャツと膝丈のズボンに着替えて、まだ暗い外に出た。

昨日見た王城対西武の試合。
そして、試合の後、一人走って帰る進の後姿が、
セナの足を駆り立てていた。

雨だからって休んでなんかいられない。
進さんはきっと今日も走っているはずだ。

雨足は、思いのほか強かった。
雨合羽くらい着てくればよかった、とおもったが、今更戻るのも面倒だ。
バシャバシャと音を立てながら、黒美嵯川へと向かう。
空が厚い雲に覆われているせいか、いつもはきらきら光る水面は
暗く濁りながら不安げに波立っている。
濡れて張り付いた服、水を含んで重くなった靴に走りにくさを感じながら、
何とかいつものペースを保ちつづけて、橋の手前で折り返す。

いつもの場所で、雨でかすむ視界に入ってきたその人は、
どんよりとした鈍色の空に溶け込んで見えた。
いつも厳しい表情で走っている人だけれど、今日の進は一段と
近寄りがたいオーラを発していた。

離れたところからでもわかるその空気にやや気おされながらも、
セナはすれ違いざま、いつもの様にぺこりと頭をさげた。

(え・・・)

雨などものともしない力強い足音が遠ざかる。
セナの足は止まっていた。
振り返ると、スウェットのフードをかぶった後姿が、
あっという間に遠ざかっていく。

一瞥もしなかった。
正面から走ってきたのだから、気づかなかったわけがない。
気づいていて、無視した。

今まで平気だった雨粒が、急に冷たく感じられた。
濡れて重くなった衣服や靴が、セナから体温を奪う。

(考えてみれば、そうだよね)

別におかしいことは何もない。
進は敵チームの人間で、友達や先輩という間柄でもない。
ライバルといっても、たった一度彼を抜いただけ。
そう呼ぶには、進と自分ではあまりに実力差がありすぎる。

セナにとってはアメフトを続ける理由そのものといってもいい「約束」。
だが進も同じ気持ちでいるとは限らない。
自分などよりも手ごわい選手は、彼のまわりにはいくらでもいるはずだから。

(・・・失恋てこんな気持ちなのかな)

なぜかそんなことを思った。
自分が進を思っているようには、進は自分を思っていないという
事実は、セナをひどく落ち込ませた。
胸がキリリと痛む。
降りしきる雨の中、セナは踵を返すと、さっきよりも幾分重い足取りで、
来た道を駆けていった。

 

沈んだ心は身体を芯まで冷やしてしまったらしい。
帰ってすぐに熱いシャワーを浴びたものの、嫌な悪寒は消えなかった。
身体は寒気で鳥肌が立つほどなのに、顔は熱を帯びている。
それでも部活はできそうだったから、いつも通りに朝練に参加した。

たとえ進にとっての自分が、取るに足らない存在だとしても。
進に対するこの気持ちは変わらない。
進はライバルで、目標で。
誰よりも戦いたい、最強の人だ。

(今よりもっともっと強くなって、進さんと戦うんだ)

まるで何かを忘れようとでもするように。
いつも以上の熱心さで練習に打ち込むセナを、ヒル魔は銃を片手にじっと観察していた。

 

つづく

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