スローステップ
7
いつもと変わらない朝。いつもと同じ風景。
だけど走るセナの目に映るのは、まっすぐに伸びる河川敷のアスファルトや、今まで折り返し地点にしていた橋ではなく、セナよりやや速いペースで走る広い背中だ。
それまで一瞬すれ違うだけだった進と、今日は一緒に走っている。
できることなら、全行程を一緒に走りたいと申し出たセナだったが、いきなりいつもの倍以上の距離を走るのはかなりこたえた。
しかも進のペースはセナより速い。
セナが待っていた場所へ進が走りこんできてそのまま始まったランニングは、全行程の3/4を過ぎたあたりでセナの足をガクガクにした。
わき腹も痛い。走っていてわき腹が痛くなるなんて久しぶりだ。
呼吸のまったく乱れない、広い背中は、どんどん遠ざかっていく。
(だめだぁ〜・・・)
セナは呼吸を乱しながら、とうとう震えるひざを押さえて立ち止まってしまった。
出発した時から、このペースでは最後までついていけないかもと思っていたが。
自分のトレーニングの為に走っている進に、ゆっくり走って欲しいなんて頼めないし、何よりセナが進と同じペースで走りたかった。
すれ違っていたときにはわからなかったが、今の自分と進とではこれだけ差があるのだということを、思い知らされた気がする。
(まだまだ道は遠いなあ)
両膝に手をつきながら、わき腹の痛みとひざの震えがおさまるのを待っていると、見つめていたアスファルトに影が差した。
見上げると、とうに先に行ったはずの進が、静かにセナを見下ろしていた。
「すみません・・・進さんまで休憩させてしまって」
先に行ってくださいという言葉は聞き入れられず、二人はやわらかい草地の土手に並んで腰掛けていた。
セナはすっかり恐縮してしまった。
「おまえには慣れない距離とペースだ。初日から無理をする必要はない」
朝日を受けてきらきらと光る川面を見つめる進は、相変わらずの無表情だ。
走っている間、一度も振り向かなかった背中。
だけど、後ろにいるセナの状態をちゃんとわかってくれていた。
「だがおまえならば、慣れれば俺のペースについてこれるはずだ」
その言葉に、驚いて振り向くと、漆黒の瞳がまっすぐにセナを見つめていた。
「今後も攻守両面で出るのだろう。ならば、それに見合った体力をつけることだ。
俺との決着がつく前に、スタミナ切れで倒れられては困る」
セナを好敵手と認めているからこその言葉に、セナの心にじわりと暖かいものが広がった。
「はいっ」
進に少しでも早く追いつくように。決勝で対等に渡り合えるように。
これから毎朝、この人と一緒に走るんだ。
足の震えはいつしかおさまって、セナは残りの行程を進と共に走るために、立ち上がった。
途中でバテたセナに、進はつきあってくれたけれど。
距離とペースに慣れるまでなどと言って、何度も彼のペースを乱すわけにはいかない。
できれば明日からでも、最後まで進について走りたかった。
部活のランニングの量を増やしたい、と恐る恐る申し出たセナに、ヒル魔はニヤリと笑った。
何もかも知っているぞ、といわんばかりの顔だ。
「30分で戻って来るならどこまで走っても構わねーぜ?
わかったら王城でもどこでもとっとと行きやがれこの糞チビ!!」
「うあああっ!行ってきます〜!」
マシンガンに追い立てられて、セナは慌てて校門を飛び出した。
いつもと同じ時間で走る距離を増やしたいなら、文字通り全力疾走しなくてはならない。
それでもさすがに30分で王城まで行って戻ってくるのは無理がある。
わかってはいるけれど、黒美嵯川沿いを走り、キミドリスポーツを通り過ぎて、王城のほうへと向かってしまうのは、
もしかしたら、という期待があるからだ。
進と再戦の約束をした場所。あれ以来、この道で進と会うことは一度もなかったが、王城の方向へ距離をのばせば会えるかもしれない、とはいつも思っていた。
この道を走っていればきっと、スウェット姿のあの人がはるか向こうから現れて。
最初小さな灰色の点だった人が、あっという間に近づいてきて。
厳しい表情で荒い息を吐いている精悍な顔が、セナの姿を認めて、ぴたりと足を止める――
「小早川」
(えええっ、ホントに会っちゃったよ!!)
いつも頭に思い描いていた願望がいきなり現実となって目の前に現れたので、セナは慌てて、
「お久しぶりです!」
と言ってしまった。当然、進は不審げな顔をした。
「今朝会ったばかりだが」
「そそそうですよね」
顔がかーっと熱くなるのを感じる。
毎日会っているのに、何をいまさら緊張しているんだろう。
妙な挨拶をしてしまったことをフォローしようと焦ったセナは、
「進さんとは、いつでも会いたいと思ってますから!」
フォローどころかますます墓穴を掘ってしまった。
二人の間に奇妙な沈黙がおりた。
あわ、あわわ。変に思われたらどうしよう。
セナの頭の中はもはや真っ白で、自分の顔や耳や首筋まで真っ赤になっていることすら考える余裕はなかった。
ところが。
「俺もだ」
一瞬、何の話かわからずに、ぼんやりと見上げると、真摯な瞳がセナをまっすぐ見つめていた。
「部活でここを走る度に、お前の姿を探していた」
「え・・・」
進さん、も?
すごく照れくさいのに、目を離せない。
それは進も同じのようだった。
夕日で赤く染まる黒美嵯川のかたわらで、
道端に立ち尽くした二人は、それからずいぶん長い間、呆けたように見つめ合っていた。
セナが心ここにあらずといった様子でランニングから戻ってきたのは一時間後。
閻魔大王と化したヒル魔の地獄のおしおきが待っていたことは言うまでもない。
つづく
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