スローステップ

 

 

森の中というのは、意外に無音ではない。
上空で風が葉を揺らす音、ふくろうか何かが飛んでいくばさばさという音、遠くで聞こえる獣の遠吠え――
樹海の奥深く、ここがどこかわからぬまま、進は太い幹に身体をあずけ、巨大な影と化した木々の間からのぞく、満天の星を眺めていた。

『もしも、スピードを落とさずにブレーキを踏む、そんな方法があるとしたら・・・もはや打つ手のない、悪魔の曲がりになる』

そして、試合中ですら、めざましい進化を続ける彼は、きっとその「悪魔の曲がり」を身につけて帰ってくる。
なぜかそんな確信があった。
光速のアイシールド21に完全に打ち勝つ方法は、未だ見出していない。
だが春大会の時とは比べ物にならないくらいに強くなった彼と、早く戦いたい。
逸る気持ちが抑えきれないのは、今日パンサーと対峙したからだろうか。

『すみませんっ、急にアメリカに行くことになっちゃって・・・』

いつ帰れるかわからない、と空港から慌てて電話をかけてきたセナとは、それだけ話すのがやっとだった。
その翌日から進も合宿に入り、8月からはここ富士にきているから、彼が今どこでどうしているかは知らない。
アメリカとの時差は14時間。自分が見上げているこの同じ星空を、彼もまた見上げるのだろうか。

会えない人間のことを、こんな風に思い出すことなど、今までになかった。
だが、今は無性に、彼に会いたい。
フィールドの中でなくてもいい。ただ会って話がしたかった。

(修行が足りんな)

こんな埒もないことを考えているなど、自分はまだまだ未熟だ。
強くならなければ。秋に手ごわくなった彼の、最大の好敵手として、堂々と対峙できるように。
こそばゆいほどの尊敬や憧れの色を浮かべて自分を見上げるあの大きな瞳を、失望で曇らせぬように。

 

 

そしてその14時間後、進が見上げていた同じ星空を、セナもまたアメリカの荒野で見上げていた。
まわりに建物がないせいか、目を閉じても残像が残るくらい、たくさんの星が夜空を照らしている。

(この星空、進さんも見ていたのかなあ)

王城も合宿があると言っていた。進も一日練習やトレーニングに明け暮れているはずだ。
秋にはきっと、以前よりもっと手ごわくなっているだろう。

セナはじくじくと痛む膝をさすった。湿布で冷やしてはいるが、腫れが完全にひくわけではない。
容赦なく照りつける太陽、アスファルトから立ちのぼる熱をもろに受け、もう走れない、もうやめてしまいたいと思う度に、進のことを思い出した。
ここであきらめたら、きっと一生後悔する。決勝で待つと言ってくれた進にもあわせる顔がない。
それに、ようやくつかめてきたのだ。スピードを落とさないブレーキのかけ方を。

(進さん)

会って話したい。自分が経験したいろいろなことを。
目標でもあり、最強のライバルでもあるあの人に、僕強くなりましたよって、胸を張って報告したい。
そのためにも、今はこのデス・マーチをやりとげなくては。

せめて夢で会えたらいいなあ、と思いながら、セナは明日に備えて目を閉じた。

 

つづく

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