おしおきジル編その1
序1
絶海の孤島、アヴァロン島の森の中にある、妖精たちの学園、フェアラルカ。 気持ちの良い春の青空は、陽が傾くとオレンジジュース色に染まり、さらにクランベリージュース色へと、 刻々と色を変えていく。 ここは学園の南にある森のさらに南にある、ハート形の湖のほとり。 フェアラルカ高等部の制服を着た生徒たちは、天文学の野外授業を受けるために、 担当のルゲイエ先生が来るのを今か今かと待っていた。 ところが、集合時間になっても先生は一向に現れない。 そこで一年生代表でクラス委員でもあるシルフ、氷の風のジルが先生を呼びに行き、 そのジルもなかなか戻ってこないので、ノームの王子の従兄弟でジルの恋人でもあるニィルが、 ジルを追って湖を離れた。 きちんと並んで座っていた生徒たちも待ちくたびれて、今では灯火草のランプを片手に湖の周りをうろうろしたり、 友達同士で固まって雑談したりし始めている。 「ニィルを探しに行く!」 今年フェアラルカに入学したノームの王子、トォルがすっくと立ち上がって宣言した。 「やめとけよ。入れ違いになったらどうすんだ」 先生を呼びに行ったジルの双子の弟、炎の風のエアが、夕焼けの光のせいで燃えるような赤に見える長い髪を うるさそうにかきあげて言った。 いつも襟元まできちんとボタンを留めている優等生の兄と違って、弟のエアはいつも胸元をはだけさせている。 ジルと同じ、見るものをうっとりさせるような容姿を持つために、そんなだらしない着こなしでも むしろ野性味が増し、あいた胸元からのぞくシルフ特有の透き通るような肌が、 普段はにこりともしない本人の意志とは無関係に、無駄な色気を周囲に振りまいていた。 トォルも、先刻まで夕焼けに染まる美しい恋人の姿にこっそり見惚れていたはずなのだが、 今は大好きな従兄弟が心配でそれどころではないらしい。 「兄貴を追ってったんなら大丈夫だろ。おとなしく待っとけ…っておい!」 人の話も聞かずに森の中へと駆けていくトォルの後を、エアはチッと舌打ちして、追いかけていった。
二人が向かったのは、天文学を教えているルゲイエ先生が住んでいる星見の塔だった。 ルゲイエは眠りの精で、彼は常に眠りの砂を無意識にまとっている。 彼自身が制御できない眠りの力のせいで、耐性の無い者は彼に近づいただけでたちまち眠ってしまう。 今、星見の塔の螺旋階段で眠りこけているトォルのように。 「おい、トォル、起きろって!」 乱暴に揺すったり、頬を叩いたりするが、一向に目覚める様子がない。 この星見の塔にまだルゲイエがいるのかどうかはわからないが、彼が無意識に振りまく眠りの砂は、 彼が住むこの塔全体を取り巻いている。 今年入学したばかりでしかもとりわけ眠りの砂に耐性がないトォルが眠ってしまうのも無理はなかった。 「あーもうどうすんだよ。野外授業始まっちまうだろ。サボったら兄貴に何言われるか」 というか何されるかわからない。 昔からジルのお仕置きの怖さが身に染みているエアは、急に冷たい夜風に当たったかのように、 ぶるっと身体を震わせた。 空はすっかり日が沈んで、すみれ色になった空には星がちりばめられて輝いている。 仕方ない。こうなったらトォルを抱えて湖まで引き返して…と思っているうちに、 階段の周りの眠りの砂は、エアにも抗いがたい眠気を与えはじめた。 (やべぇ、俺まで寝ちまったら…) 一応、抗おうとはしたのだが。 螺旋階段に座って眠りこけている、小柄な恋人の暖かい身体を抱きしめるようにして、 エアも結局、睡魔の手に落ちてしまった。
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