線香花火




京都から戻って来た鴆は体調を崩したまま、しばらく本家で静養していた。


本家が騒がしいのはいつものことだが、その夜はことさら騒がしかった。
いつもは鴆の客間から離れた大広間で宴会をしているのだが、今回は庭で盛り上がっているらしく、騒ぎがいつもより直に部屋に伝わってくる。

「ったく、何やってんだか」

寝るに寝られず、庭の方へ足を向けてみれば、何やらきな臭い匂いと、目が痛くなるような煙が、近づくごとに強く濃くなっていく。
パチパチと何かが爆ぜる音に一瞬火事を疑ったが、きな臭い匂いに混じって漂ってくる肉を焼いているような匂いと、小妖怪たちの歓声から、おそらく違うと判断する。

それじゃあ何だ、と首をひねっているうちに、とうとう煙で何も見えなくなってしまい、鴆は足を止め、煙を吸って咳き込んだ。

「鴆、こっちだ」

聞き覚えのある声と共に、鴆のものよりも少し小さな手が、鴆の手首を掴んだ。

導かれるままに煙幕の中を歩いていけば、次第に煙は晴れて、漆黒の畏の羽織に銀糸に黒の混じった髪をたなびかせ、頼もしい畏を全身に纏った若い主の姿が現れた。

気がつけば、いつのまにか来た道を戻っていて、鴆が泊まっている客間の近くの蔵の前まで来ていた。

煙がなくなったところでリクオは手を離し、美しい顔を鴆に向けた。

「起きて大丈夫なのか」

「ああ。っていうか、騒々しくて寝てもいられねぇよ」

文句を言うと、リクオはそりゃ悪かったな、と悪びれずに言った。

「庭で花火とバーベキューやってんだ。お前も何か食うか?」

問われれば、寝起きで小腹がすいていた。

「ああ。あと酒も頼む」

リクオは言われるまでもねえよ、と口端を吊り上げた。




「ところで、何を持っているんだ?」

近くにいた小妖怪に用事を言いつけたリクオが数本の紙縒り(こより)を握りしめているのを見て、鴆が訊ねた。リクオも、言われて初めてそれに気づいたらしい。

「ああ、持ってきちまった…酒が来るまでつきあえよ、鴆」

リクオは悪戯っぽく笑って、色鮮やかな紙縒りの一本を鴆に差し出した。




鴆の眠りを妨げた喧騒が、今は遠くに聞こえる。
姿を見せぬ虫は、畏を避けて、遠巻きに鳴いている。
近くで聞こえるのは、パチパチと泡のように儚く爆ぜる線香花火の音くらいだ。

「おめーんとこじゃ、やらねえか」

「やらねえなあ。うちの組は騒がしいのは苦手でよ」

ただし宴会は別だがな、とつけ加えると、おめーと一緒だな、とリクオが小さく笑った。

最初はリクオにつきあってやっているつもりだったが、ほんの一瞬の間だけ咲かせる小さな華に魅せられて、ついつい次の紙縒りに手が伸びてしまう。

知らずに夢中になっていたのはリクオも同じだったらしく、何本目かの紙縒りに手を伸ばした時、手が重なった。

「ああ、わり」

引こうとした手に、指を絡められた。驚いてリクオを見ると、しっとりとした目が掬うように鴆を見つめていた。

「一緒にやろうぜ」

最後の一本を、二人で持って鬼火で火をつけて。
しゃがみこんだ二人の間で、儚い華が静かな音と共に咲いた。

しかし鴆が見ていたのは手元の華ではなく、花火を見つめているリクオの双眸だった。
金の瞳に火花が映り、青白い鬼火が、美しすぎる白い顔を蒼く照らし出している。

今、咲き初めたばかりの花は、さぞかし艶やかな大輪となることだろう。
この主が最もまばゆく輝くその時に、自分は傍にいられるだろうか。

「鴆?」

視線に気づいて、リクオが顔を上げた。

最後の線香花火が最も美しく火花を散らす、その瞬間。
鴆はこの世で最も愛しい人の唇を塞いだ。





おわり



二人の背後では酒と食べ物を運んできた小妖怪が声をかけられずにおろおろしているはず。



孫部屋