頬をつたうは涙




市街地に囲まれた山中にひっそりと佇む薬鴆堂では、昼間はまだ蒸し暑さを感じるものの、

朝晩はずいぶん涼しく感じられるようになった。

薬草園を兼ねた庭では、百合やムクゲなどに代わって、女郎花や縷紅草(ルコウソウ)、

ミズヒキなどが赤や黄色の彩りを添えている。

だが今はその彩りも夜の闇に沈み、澄んだ夜空に輝く月が庭を蒼く照らしていた。


いつものように、鴆の仕事が終わるころに薬鴆堂を訪れたリクオは、いつものように縁側に並んで座り、

ぽつぽつと他愛ない会話を交わしながら、酒を酌み交わしていた。

盃を傾けながら、そっと隣にいる男を盗み見る。

「ん?どうかしたのか?リクオ」

突然こちらを見られて、心臓が跳ね上がった。

「別に」

動揺を悟られないように顔を背ける。

おかしい。いつもならとうに閨に引きずり込まれている頃だ。

夏のさなか、一人でじっとしていても汗が噴き出す熱帯夜が続いた時でさえも、鴆は手を伸ばしてきた。

鴆とのそういう行為が嫌いなわけではないが、ただでさえ蒸し暑い夜に、

体温の高い鳥妖怪と身体を密着させるのは、いくら恋人とはいえ、なかなかの苦行だった。

風呂に入っても、背中にぴったりとくっつかれて眠られたら、もう眠るどころではなく。

たまりかねて、涼しくなるまでやめないかと提案したことがあったが、

血相を変えて抗議された上に、朝まで寝かせてもらえなかった。

それくらい、ここに来れば行為をするのが当たり前のようになっていたから、

今夜のような過ごしやすい夜に、鴆が何もしてこないと、落ち着かなくて仕方がない。

だが、今夜はどうして抱いてくれないのかなんて、自分から聞けるはずもなかった。

もしかして、もう興味がなくなってしまったのだろうか。

汗まみれになって抱かれて、ずいぶんと醜態をさらしてきた自覚はある。

軽い気持ちで共寝して、飽きたら別れる。

自分が知らなかっただけで、男同士の色恋など、そんなものなのかもしれない。

心地よく吹く秋風が、急に寒々しく感じた。

「おい、リクオ」

驚いたような、焦ったような声が、遠くから聞こえた。

リクオは盃を置き、拳を膝の上で握りしめ、帰ると口にしようとしたとき。

ふいに身体を引き寄せられた。

肌寒かった身体が力強い腕に、そして心地よいぬくもりに包まれる。

「何泣いてんだよ。オレがいじめてるみてーだろうが」

大きな手が髪を撫で、前髪に唇を落とされた。

泣いてなんかない、と言おうとしたら、目から滴がこぼれた。

一度こぼれたらもう止まらなかった。鴆はなだめるように、頬を伝う涙を吸い取っていく。

「あんたがあんまりつれねえから…たまにはあんたから欲しがってくれたっていいだろ…?」

夏に抱かれるのを嫌がっていたことを、根に持っていたらしい。

今夜は涼しいし、何もしなければリクオの方から抱いてくれと言ってくれるかもしれないと。

そんなしょうもない思惑のせいで自分は泣かされたのかと憮然としたけれど。

失ったと思ったぬくもりを今は確かめたくて、リクオは顔を上げて、降りてくる唇を受け入れた。





おわり



リクオ様をよく泣かせてすみません;
大阪インテの前夜の飲み会で話題に上った「何もしない鴆さんに動揺するリクオ様」を
ネタにさせていただきました…何もしない鴆さんは私が書くと下心いっぱいです;
そして暑くてえっちを嫌がるbotネタもリサイクル;



孫部屋