チョキ、チョキ、チョキン。
静寂の中、自分が使う鋏(はさみ)の音だけが室内に響く。
鋏を動かす度に、黒の混じった銀糸の束が、リクオに巻きつけた敷布の上に落ち、それはするすると滑って、畳の上にも拡げた布の上に落ちた。
酒を酌み交わしながらリクオの顔を見たら、何となく前髪がうっとおしそうだった。
聞けば、散髪は昼間に行くだけで、この姿では一度も髪を切っていないという。
昼間に髪を切ったって夜には伸びるのだから、夜は夜で手入れをしなければならないんじゃないだろうか。
伸びた前髪で目を傷めることもあるし、視界が悪ければ出入りにも差し支えるだろうからと、オレが切ってやると申し出た。
正式に髪結いの修行をしたことはないが、真似事くらいならできる。
薬鴆堂には長期にわたり逗留する患者もいるし、治療の為に体毛を剃らなければならない患者もいる。
中には髪が伸びすぎて前が見えなくなり、髪を切ってもらうために薬鴆堂を訪れる妖怪もいる。
そのため、髪結いの道具一式はそろえているし、鴆自身も自分の髪は自分で整えているので、義兄弟の鬱陶しい前髪を整えてやる程度のことなら、できる自信はあった。
しかし夜目がきくとはいえ、行燈の明かりだけで散髪をするのはいささか緊張する。
患者の髪なら、多少切り過ぎても文句を言うなで済ませられるが、今切っているのは奴良組若頭の前髪だ。
たとえリクオが文句を言わなくても、百鬼夜行の大将の髪型をちんちくりんにしてしまっては鴆自身の申し訳が立たない。
だから当然、意識は手元に集中し、切っている間は無言になる。
それに合わせて、リクオも無言になった。
鋏が髪を切る音だけが、室内にこだまする。
長すぎも短すぎもしない長さに切りそろえてから、鴆は仕上がりを検分するために、切ったばかりの前髪を櫛で梳いた。
切った髪が目に入るから目を閉じていろと言ってあるから、リクオはじっと目を閉じている。
前髪とそうでない髪を区別するために、前髪以外の髪は紐で後ろに結んで、あるいは髪留めで前に落ちないように留めている。
いつもと違う髪型に加えて、従順に目を閉じている無防備な顔を、ついかわいいと思ってしまった。
リクオはいつだってかわいい。初めて会った頃から「ぜんくん、ぜんくん」と自分の後をついてきて、妖怪として覚醒した今だって、こうして頻繁に自分に会いに来てくれる。
だが今覚えているのは、かわいい弟分というのとは違う、もっと甘く、息苦しい感情だった。
長すぎる前髪を切って現れたのは、完璧すぎるほどに整った造形だ。
長いまつげ、高い鼻梁、凛々しくも優美な眉は前髪の奥に見え隠れしている。
まだ微かに幼さを残す頬の輪郭が、冷たささえ感じさせる美貌を甘く和らげていた。
形の良い薄い唇は軽く閉じられている。
淡い色をしたこの唇は柔らかいだろうか。どんな味がするだろうか。
唇の間から洩れる吐息の、そして奥にある舌の味は。
気がつけば、すぐ近くにリクオの唇があった。
甘い吐息が己の唇に触れるほどの、紙一重の距離。
鴆は息を殺して、目を閉じたままのリクオをしばらく見つめ、それからそっと身体を離した。
「鴆・・・?」
まるで計ったかのような間合いで、リクオが目を開けた。
色気を滲ませた、強い意志を持った瞳が、鴆をまっすぐに見上げる。
「――おう、男前が上がったぜ」
口づけられることを、もしかしたらリクオは待っていたかもしれないなどと。
ふとよぎった馬鹿げた考えを心の片隅に追いやって、
鴆は何事もなかったかのように、ニッと笑った。
またもや「百千代」の富餅様から「髪結い若」ネタを恵んでいただきました。
いつもありがとうございます…!
いくつか話をおもいついたので、ぽつぽつあげていこうかとおもいます。
いろいろ捏造設定ですいません。
孫部屋
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