佐保姫(サオヒメ)
昼間に置き薬の点検と補充のために本家に行ったら、 学校から帰ってきたリクオから、今夜、どこかへ花見に行かないかと誘われた。 久々の「でえと」のお誘いに鴆の表情は綻び、それならいい場所があるからそこに行こうと申し出た。 満開の桜の淡い色と、春の匂いのする風は、妖怪である鴆の心をも浮き立たせる。 しばらく行っていないその場所の桜が、綺麗に咲いているといいがと願いつつ、 ふわふわとした気分でその日の仕事を片付けた。
その夜いつもより早い時間に、リクオが夜の姿で現れた。 仕事が片付くまで待ってもらって、さあ朧車で出かけようとしたら、リクオに袖を引っ張られた。 「せっかくだから、蛇ニョロで行こうぜ」 「え、けどそれじゃ酒を積めねえ」 「どれだけ飲む気だよ」 年下の恋人に笑われて、仕方なく一番いい酒を一本だけ持っていくことにした。 リクオの手には、家で作ってもらったらしい肴と妖銘酒がある。 彼が呼んだ蛇ニョロに行先を告げると、リクオの散歩用妖怪は滑らかな動きで上空を飛んだ。 リクオと共にこの妖怪に乗るのは半年ぶりで、直に感じる上空の風は、地上よりも強く吹き付けてきて、少し肌寒かった。 それでも月はいつもより近くでまぶしいくらいに輝いていて、 眼下には家や建物の間で、桜の淡い色がぼうっと光っているのが見えた。 「朧車よりこっちの方がいいだろ?」 前に座り、得意げに言うリクオに酒を持たせて、背後から抱きしめた。 頬に頬をつけると、風で冷たくなっていた彼の頬は、すぐに熱くなった。 ああ、これこそ「でえと」ってやつだな。 上空の風は強くて、まだ少し冷たいけれど、それでも春の匂いを含んでいた。
そこは、鴆が時々薬草を取りに来る山だった。 山のほとんどが桜の木なのではないかと思うくらい桜が多いこの山は、思った通り、今夜は満開だ。 「なるほど、桜だらけだな」 自分たちを取り囲んで、ぼうっと光っている淡い色の花の群れを見回して、リクオが感心したように言った。 こっちだ、とリクオを呼んで桜の森の中に分け入り、とっておきの場所に連れて行く。 森の奥には、本家の枝垂桜にも劣らぬ風格の、ひときわ立派な桜の木があった。 桜の主のような木の前に風呂敷を広げ、酒を開けた。 月光に浮かび上がる桜を眺めながら、酒を酌み交わす。 交わす言葉は少なかった。言葉など必要なかった。 月に照らされた桜は綺麗で、春の夜風は暖かくかぐわしく。 酒も肴もうまくて、そして隣にはリクオがいる。 言葉を失うような桜の群れに囲まれながら、月の光を浴びたリクオは桜よりも美しくて。 「なんだ、鴆?」 その横顔に見惚れて思わずじっと見ていたら、リクオが不審げにこちらを向いて。 今この瞬間、自分が彼を独り占めにしている幸せを噛みしめながら、鴆は言葉の代わりに、その桜色の唇にそっと口づけた。
またも花見ネタですみません; 4/8にbotに投下したネタをまたもや再利用…この貧乏性め。 実は「花影」もbotのネタでした。この翌日の話です。 どちらも裏に続く予定です。Hさま裏期待してくださってありがとうございます(*^_^*) そして拍手もありがとうございます! |
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