ばれんたいん


薬鴆堂の冬は寒い。

鴆一派のシマは奴良組本家の南東に位置し、海に面した比較的暖かい地域と言われているが、
山間部の朝晩平野部のそれと比べるとかなり冷える。
しかもめったに降らない雪など降ればなおのこと。
白一色となった屋敷一帯に、さらにぼた雪が容赦なく振り続けている。

「ううっ、さみい…」

雪化粧を施された庭を眺める余裕もなく、鴆は羽織の襟をかきあわせ、やや背中を丸めて廊下を歩いた。
板張りの廊下の気温は、外とほとんど変わらない。
鴆は居室に戻ると、入口近くに置かれている、濃い灰色の金属の塊についているボタンを押した。
塊はしばらくすると唸りだし、やがて鼻を突く灯油の匂いと共に、内部でボッと火のつく音がした。

この屋敷を再建する時に、本家の力を借りた。
その結果、新しい屋敷に入ってみると、いつの間にか電気もガスも水道も通されていた。
それでも暖をとるのは今まで通り火鉢で十分、と思っていたのに、
ふぁんひーたーとかいうこの鉄の塊を持ち込んだのはカエルの番頭だ。

「痩せ我慢でお身体の調子を崩されたら困ります」

というのが彼の言い分だった。

余計な世話だとつっぱねてやりたかったが、逗留している病人の中には、確かに冷やしてはいけない者もいる。番頭の采配で、病人を寝かせている部屋にも、これと同じものが置かれていた。

ボタンを押せば、あっという間に部屋が暖まりはじめる。
最初のうちは、使うのは気が進まなかったが、こんな凍える日には確かにありがたかった。
――この金属の塊を突き返さなかった理由は、実は他にあるのだが。

雪玉を雪の上に落としたような、軽い音が障子の外で聞こえた気がした。
続いて感じた、よく知る気配に、鴆はぎょっと立ちあがった。

「リクオ!?」

スパーン!と勢いよく開けた障子の向こう、先刻より雪が積もった庭に、赤い番傘を差した、奴良組三代目が佇んでいた。

「元気そうだな、鴆」

雪が降り積もった赤い番傘の下でに輝く銀糸、白い息を吐きながら微笑む姿は絵になったが、そんなことを考えている場合ではなかった。

「あんた、何やってんだ!こんな日に」
「お、おい」

有無を言わさず部屋の中に引っ張り込み、濡れた羽織をはぎ取った。
途端に、暖かい空気が二人を包みこむ。
やはり、この少々油臭い暖房器具を入れてよかった。
現代っ子のリクオは、火鉢だけが置かれた部屋に入るなり「寒…ッ」と身体を震わせていたから。


手拭いで髪や顔を拭き、雪で湿った足袋を脱がせた。
脱がした瞬間、足袋に負けない白い形のよい足が現れて、ドキリとした。
が、氷のように冷え切っているそれに、不埒な衝動をぐっとこらえた。
今はさかっている場合ではない。

「着物もけっこう濡れちまってるじゃねぇか…来るなら朧車で来りゃあいいのに」

ああもう、俺の着物を貸してやるから風呂に入れ!

長持から忙しなく自分の着物を引っ張り出す鴆の背中に、「見つかるとうっせーから」と言い訳じみた呟きが聞こえた。

ああそうだろーよ。こんな日に出かけるなんて言おうもんなら、こいつの側近たちが大人しく見送るわけがねぇ。
こいつに風邪でもひかせて帰してみろ、こっちが氷漬けにされちまうぜ。

見つくろった替えの着物と羽織を押しつけ、ほらあったまってこい!とけしかけたが、リクオは着物は受け取ったものの、その場を動こうとしない。

「?どうかしたのか?」

リクオは夜の姿にしては、らしくもなく視線をさまよわせ、しばらく逡巡した後、漆黒の着物の袂から、赤いリボンのついた透明なビニールの包みを取り出した。
中に入っているのは、いびつなハート型をした…チョコレート?

「おふくろといっしょに、昼のオレが作ってたからよ…お前にって」

鴆から微妙に視線をそらしたまま、リクオはそれを差し出した。
冷え切っていたはずの白い頬が、今はほんのり上気している。

まさかこれを渡しにわざわざ来たのか?この雪の中、こっそり家を抜け出して。

「酒の肴に甘えもんか・・・まあ、こんな日に燗で飲むならそれもいいかもしれねぇな」

そういいながら受け取ると、リクオはほっとしたような、わずかに落胆したような表情を見せた。
燗つけさせるからその間に風呂に入れよ、と再び促すと、リクオは今度は素直にうなずいた。

「リクオ」

部屋から出る時に、鴆は呼びとめた。

「ありがとな、バレンタインのチョコレート」
「!!」

赤くなった顔を隠すように障子を締め、逃げるように遠ざかる足音を聞きながら、鴆はククッと笑った。
こんな山ん中に居たってバレンタインくらい知ってんだよ。何年現代に生きていると思ってやがる。
しかもリクオの手作りチョコだ。嬉しくないわけがない。

逃げるように出て行ったリクオは、一体どんな表情で戻ってくるのか。
手作り感いっぱいのチョコをながめて、鴆はほくそえんだ。

おわり

孫初書き。鴆は曲者だったらいいと夢見てる…
2月って言えばもう襲名してますね。こっそり直しました;;

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