Exotic Asia
1
クルンテープ(天使の街)という名を持つタイの首都、通称バンコク。
雨季前の熱帯の夜は、貧しいものは安っぽいネオンと安っぽい酒の匂いのする猥雑な繁華街で騒ぎ、金持ちはクーラーのきいた白い建物の中で虚飾と欺瞞に満ちた茶番を繰り広げる。
その夜直江が招かれたのは日本人実業家主催のパーティだった。
ここ近年の日本ブームを意識してか、会場には大きな金の屏風や障子が飾られている。
一階の階段のそばにはみごとな生け花が飾られ、休憩室には掛け軸が飾られている。
招待客のほとんどは男性で、しかも妻を連れてきているものはいない。
ご本人様だけで、と書かれていたわけは、ここに来てわかった。
パーティーに不可欠な、客の合間を縫って酒や料理を運ぶボーイは一人もおらず、代わりに色とりどりの着物を着て、白粉を塗りたくった芸者達が木製の盆にカクテルやウィスキーなどを乗せて運んでいるのだ。
ゲイシャに皆少なからず関心を持っている招待客たちはこの風変わりなもてなしに大喜びだったが、もし上流階級の彼らの奥方がこれを見たら、卒倒するに違いない。
だが同じ女性でも客として招かれた社長や記者といった肩書きをもつ者達はしたたかだ。
同じ黒髪のかつらを被ったウェイトレス達など鼻にもひっかけず、目当ての実業家にアプローチする。
色と野心がない交ぜになった攻勢に、直江は今日もさらされていた。
如才ない笑顔で受け答えしながら話を切り上げるタイミングを計る直江に、女性達はしつこく食い下がる。
辟易していたところにちょうど向こうから主催者のタナカ氏がやってきた。
小太りで黒ぶち眼鏡をかけた、御伽噺に出てくる小人のような日本人だ。
安くて性能のいいカメラを世界中に売りさばいているという彼は、にこにこと直江を見上げるとお辞儀した。
「ヴィクトリア貿易のエドマンド・ジョーンズさんですね?ようこそ遠方からおいでくださいました。いかがですこのパーティーは?」
直江は会場を見渡した。
タイにいることなど忘れてしまいそうなヨーロッパ風の建物の中に、そこここに置かれた日本の(かどうかは実のところ直江には判断がつかないが)調度品。
高そうな壷。虎の掛け軸。そして酒を運ぶ生きた人形のような芸者達。
客達はこれを異国情緒として楽しむのだろうが、彼らは自分がどこにいるのか、足元がおぼつかない不安におそわれはしないのだろうか。
それだけではない。直江は先刻から奇妙な落ち着かなさを感じている。
客達は知り合いという程ではないが大概見たことくらいはある顔ぶれで。
直江に興味のある女性客は別として、皆二言三言話しかけては去っていく。
彼らにはある共通の「匂い」があった。
犬が匂いを嗅ぐように、彼らは直江が仲間かどうか、二言三言の会話で嗅ぎ分けるようだった。
何もないとわかるとそ知らぬ顔をして去っていく。
直江はどこか仮面めいた笑顔を貼りつけたタナカに優雅な笑みを返した。
「ええ、楽しんでますよ――ですが、このパーティにはまだ何か別の趣向を隠されているようですね」
冗談とも本気ともつかない口調に、タナカはますます微笑を深めた。
「なかなかするどいお方だ。では秘密をお教えしましょう」
小柄な彼が耳打ちしたそうな身振りをしたので、直江は長身を傾ける。
奇妙な光景だったが、だれも気に留める者はいない。
「ここにいる芸者達の中で、もしお気に召した者がいれば、お部屋にお連れ下さってかまいませんよ」
なるほど、「ご本人様だけ」の招待の意味はこれか。
酒を運ぶウェイトレス達は皆高級娼婦というわけだ。
直江は醒めた目で会場を泳ぐ人形達を眺めた。
同じ髪型に同じ化粧。白粉の下のやや少女のような顔は皆一様に見える。
いえ私は、といいかけた直江の表情がふと動いた。
おざなりに会場を見回していた目がある一箇所に留まる。
恰幅のいい男にカクテルを渡し、談笑している一人の芸者。
全体的に小柄な東洋娘に比べ、頭二つ分ほど背が高い。
男がその肩に太い腕を回し、何事か囁きかけるのに、女は嫣然と微笑みかける。
交渉が成立したのか、男はその芸者の肩を抱いたまま、会場を出て行った。
「ジョーンズさん?」
いぶかしげなタナカの声に、直江は我に返ったが、その目は未だ二人が出て行った入り口にはりついたままだった。
「いやまったく・・・驚きました」
「ぐ・・・ぅッ」
着飾った東洋娘を連れてあてがわれた部屋に戻ったドイツ人投資家は、それから5分とたたないうちに己のスケベ心を後悔することになった。
その細い首筋と神秘的にきらめく黒い瞳に男心をそそられた。
重そうなキモノを脱がせるという趣向もなかなか楽しみだった。
ところが娘は帯を解こうと腰に手を回した男の手をやんわりと止めると、自分から細い帯の一本を解いて見せ――あっという間に男の首を締め上げたのである。
「オークション会場の入り口はどこだ」
娘の腕とは思えない力で、帯はぎりぎりと男の喉を圧迫する。
「し・・・知らん」
「言わないなら殺す。常連のおまえが知らないはずはない」
微塵の感情も感じさせない冷たい声に男は震え上がった。
このままNOと答えたら娘はためらいなく縊り殺すだろう。素人の手つきではない。プロの刺客だ。
「ま、待ってくれ・・・本当に知らないんだッ。
我々は毎回キーワードを渡されて入り口を探す。
開始時間までに探し出さなければアウトなんだ。だから・・・」
たしかに下心もあったが、この娘ならあるいは何か知っているかもしれないと思ったのだ。
美しい人形の形をした悪魔は、男の背後から耳元に囁きかけた。
「・・・そのキーワードと時間は――?」
娘は男に猿轡を噛ませて縛り上げると部屋を後にした。
予想以上に衣装が重い。午前0時まであと2時間。探すなら身軽な服装に限る。
どこかで着替えなければ、と考えながら廊下を歩いていると、人気のない廊下の角から出てきた人間とあやうくぶつかりそうになった。
「失礼――」
通り過ぎようとした腕をつかまれた。
女は顔を上げ・・・驚いて目を見開いた。
タキシードを着た長身の男。いやというほど見知った顔だった。
「ずいぶん他人行儀ですね」
今、一番会いたくなかった男が、自分の腕をしっかり捕まえながら冷たく笑っていた。
「自分の男の顔も忘れたんですか?高耶さん」
2
アサシン部屋へ
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