最終話
ここ一週間の騒ぎもあって、いつもより深い眠りにおちていた直江は、何かを抱き寄せようとして
寝返りをうちかけたところ、首にちくりと嫌な痛みを感じて目を覚ました。
一気に脳が覚醒する。
当然のことながら、自分の寝室である。二本の剣が直江の首の真横に深々と突き刺さっていた。それは
直江の首すれすれを通って真上で交差している。
直江はため息をついた。獣そのものである彼に鎖もつけなかったとはとんだ失敗だった。もっともそんな
ものをつけてもこの事態は変わらなかったかもしれないが…。
(それにしても)
刺客に襲われるのが日常茶飯事の直江だ。熟睡することはほとんどない。たとえ熟睡していても
他人の気配には敏感に反応して目を覚ますくせがついていた。その直江がこんなことをされても
目を覚まさなかったのだ。高耶は直江を殺そうと思えばいつでも殺せた。二本の剣がそのことを
雄弁に物語っている。
「まいったな…これはいつか本当にやられそうだ」
直江はひとりごちて、剣を抜く。自由になった首筋に手をあてると、わずかに血がついた。先刻みじろき
したときに切ったのだろう。体を起こして何気なくナイトテーブルの上を見た。
純金の、天使をかたどった置時計を見て、眉をひそめる。
年代もののそれは、いつも居間に置いてあるものだ。目覚まし時計ではないので、寝室に持ちこんだりは
しない。そもそも直江は目覚ましを必要とはしない。
なぜこんなところに…と考えかけたその時、直江の顔色が変わった。
カチ、カチ…と秒針は着実に進んでいく。
秒針が11を過ぎたとき、直江は全裸のまま部屋を飛び出した。
3…2…1…
秒針が12をさした瞬間、すさまじい爆音と共に、城の一角がふっ飛んだ。
ロンドンは今日も雨だ。
こうもり傘の端からどんよりと曇った空を見上げて、高耶はため息をついた。
雲一つない、ルブ・アルハリの青空がなつかしい。
高耶はニューススタンドに立ち寄り、縁なし帽子をかぶった中年の男に話しかけた。
「“メイヤーは元気か?”」
男はうっそりと高耶を見た。
「相変わらずさ。何かいるかい」
高耶はちょっと考え、「ロンドン・タイムズを」と答えた。
折り曲げた新聞の中に、小さな包みが挟まっている。そのまま金を払ってニューススタンドを
後にする。
ふと、あの男のことを思い出した。ここで育った人間のはずで、外見を見ても日系イギリス人の
母親の血を色濃く受け継いでいる。だがあの男の苛烈な気性は砂漠の男のものだ。薄い琥珀色の
瞳が自分を見つめるそのまなざしの強さも、また。
(あいつは死なないだろうな)
夜明けに礼拝があるから、いつもその1時間前には目を覚ましているだろう。だからあえて、
さらにその一時間前に爆弾をセットしてきたのだが。
「もっとも――生きていたら必ずオレが殺してやるけどな」
こうもり傘の陰で高耶はひっそりと笑う。黒いコートの襟を立てて、アパートへと歩を速める。
雨に煙る視界の中、周りを歩く人々は皆、こうもり傘に黒のコートだ。
同じようないでたちの人込みに紛れて、高耶の姿はあっというまに見えなくなった。
長々とおつきあいくださりありがとうございました!
連載当時からいろいろな方々から感想をいただいてこの話は完結できました。
心から感謝です!!