見渡す限りの砂漠に走るハイウェイ。砂だらけの道路を一台のジープが走っていた。
運転しているのは灰色のフードを目深に被っている。この灼熱地獄で肌を晒すバカは
いないが、風ではだけないように厳重に全身をガードしている。だがハンドルを握る手は
ほっそりと色白だった。
「カーノジョ」
風に乗ってそんな声が聞こえてきて、運転していた人物はぎくりと身体を強張らせた。
行く手に派手な柄のシャツとジーパンをはいた、いかにも観光客ふうの若い男が
親指を立てている。
どうしようか迷ったが、観光客なら自分をわざわざ風紀取締官に突き出すことはないだろうと思い、
車を止めた。
それでも警戒してじっと見つめる運転手に、若者は眼鏡を押し上げてにかっと笑った。
「よかったら乗ってかない?こっちの車のが涼しいぜ」
男の傍らにはやや砂を被ったレパードが停めてあった。単なるナンパか、提案を
受けるべきかどうかなおも逡巡していると、追い討ちをかけるように男が言った。
「あんたも観光客か?知らないかもしれないが、あんたみたいなお嬢さんが
このまま運転していったら間違いなくリヤドの風紀取締官に捕まるぜ?」
「リヤド!?」
青年の言葉に、「彼女」はおもわず声を上げた。
おかしいとはおもっていたのだ。時計を持っていないので正確にはわからないが、
かれこれ3時間は運転しているはずなのに一向に町が見えてこない。おまけに
山岳地帯の荒野から離れてどんどん砂漠に向かっていた。
道を確かめようにも、表示はすべてアラビア語で書かれていてお手上げだった。
彼女が車を止めたのも、そんな不安があったからだった。
「おいおい、一体どこへ行くつもりだったんだ?」
さては迷子か、と笑う若者に、彼女は心を決めた。
高耶がナジランへ行けと行ったのは、そこがもっとも近い町だったからだ。
加えて首都から離れていることもあって女性の身で運転していることを
ある程度はごまかせる、と考えたのだろう。
厳重に押さえていたフードを取ると、長い黒髪が風になびいた。
「武田由比子といいます。わたしをリヤドの日本大使館まで連れて行ってください」
空調のきいた車内には軽快なブリティッシュロックが流れている。
若者は千秋修平と名乗った。名前と外見から日本人かと思ったが、イギリス人だという。
なぜか最近、こういうパターンが多い・・・と思いながら、ハンドルをとりつつ何やら考え込んでいる
千秋をそっと盗み見た。
「よし由比子。話はだいたいわかった」
観光の途中で誘拐され、千秋に会うまでのいきさつを由比子は包み隠さず話した。
自分のことは言うなと高耶に言われたが、この青年なら大丈夫だと思ったのだ。
何より、岩盤に閉じ込められた高耶をなんとかして救いたかった。
話しながら、自分の話を信じてもらえないのではないかと危惧したが、一見空想じみた
彼女の話を、千秋は笑い飛ばしもせずにまじめに聞いた。
由比子の右耳に食い込んだままのピアスが彼女の話を裏付けたのかもしれない。
「まずあんた自身のことは心配ない。俺がちゃんと親父さんのもとに送り届ける。
なくしたパスポートやビザもちっと面倒だが何とかなるだろうし、
そのピアスも病院ではずしてもらえばいい。
問題はあのバカだよなぁ・・・」
ため息交じりにもらした最後の一言に、何か引っかかった。
「・・・あの、『あのバカ』って・・・」
「高耶って名乗ったんだろ、そいつ。髪や肌の色は俺が知っている奴とは違うが、
邪視教団の巣にもぐりこんでいたイギリス人。そんなムボーなバカは一人しか
知らねぇよ」
「高耶を知っているの!?」
心臓がドクン、と跳ねた。知らず頬を紅潮させ、すがるように千秋を見つめる
由比子をチラリとみて、千秋はまあな、と頷いた。
「俺たちは別の名前で呼んでいるけどな――あいつは誰にも『高耶』とは
呼ばせないんだ」
「え・・・」
なぜ、と戸惑い顔になった由比子に千秋はまずいことを言ったかな、と
後悔した。死にそうな目にあっていたところを、命を張って助けられた。
そんな相手に、恋心を抱くなというほうが無理というものだ。
自覚はしていないかもしれないが、 由比子の言葉から高耶への想いが
ひしひしと伝わってくる。
高耶が何を思って由比子にそう名乗ったか知らないが、何と言っても
彼女は普通の女の子だ。今回の事件はたまたま彼女に降りかかった災難に
すぎない。さっさと国に帰って、忘れてしまったほうがいい。
それより高耶だ。由比子を逃がしてから岩盤が落ちた。おそらくあらかじめ
すべての出口に爆弾をセットしておいたのだろう。仕掛けたのは信者か、
それとも高耶か。もしスイッチを押したのが高耶だとすれば、とんだ自殺行為だ。
(あいつマジでキレたのかも。やばいな・・・)
本部の誰かに連絡をつけなければ。それから由比子の話でサウジ正規軍が動いてくれれば
いいが・・・あいにく今は最悪のタイミングだった。
「千秋さん」
めまぐるしくめぐらせている思考を、由比子の声が遮った。見ると、由比子はどこか
決然とした顔で千秋を見ていた。
「ん?ああ、あのバカのことなら大丈夫。おにーさんに任せて・・・」
高耶のことを心配しているのかと、安心させようと口にした言葉を、由比子は
首を横に振って遮った。
「私も連れて行ってください!」
「へ?」
「高耶を助けに行くんでしょう?私も行きます!」
「ちょ、ちょっと、お嬢さん!?」
リヤドまで、残りあと100キロだった――
つづく
アサシン部屋