金にならない仕事はしない、というのが千秋修平のモットーのはずだった。
千秋はロンドンを本拠地とするフリーの情報屋だ。得意先は主にイギリス国防省。
その辺のチンピラ相手にするよりは金払いはいいし、人使いは荒いがまあまあ信用もできる。
ここのところ、千秋は連日時間外労働をしている(もっとも情報屋に定時などないから
あくまで千秋の主観だが)。会議のため厳戒態勢をしいているリヤドの日本大使館に由比子を
送り届けた後、イギリス大使館と情報部に連絡を取った。
千秋に言わせればイギリス大使はボンクラで、情報部の秘書は使えない新人だった。
緊急の用事にアポもクソもあるか。新人はといえばさんざん用件を繰り返させた上に
「今は担当のものがおりませんので」と言い出す始末だ。千秋を知っているいつもの秘書は
どうしたと聞けば、不幸があって明日まで休みだと言う。
何とかして彼女に連絡を取れ。手遅れになったらおまえは間違いなくクビだと新人を脅す一方で、
辛抱強く大使館に通い、物分りの悪い大使にくり返し事情を説明した。だがやっと飲み込めたかと思ったら
「会議が終わったら国王に事情を話そう」ときた。会議が終わる頃にはあんたの助けは
必要なくなってるよ。
もっとも、スパイ一人のために事を大きくしたくないのかもしれない。国内ならともかく、ここは
中東。今のところ友好関係だとはいえ、どんな理由であれスパイが入り込んでいたとなると
外聞が悪い。
ここは高耶のことをよく知っている人間に動いてもらうしかない、と頭をめぐらせていた時、
由比子を送り届けてから二日後の深夜にようやく例の秘書から連絡があった。
「なんでもっと早く連絡しないのよ!?」と怒られてむっとしたものの、さすが日ごろ高耶を
気にかけていた彼女だ。彼女を通じて動いた国防省からの要請に、翌日首相が動いた。
この残業代は一体誰に請求すればいいのか。そんな疑問が頭をよぎったが、一度関わってしまった
からには生死くらいは確認しておきたい。そうだ、あのバカに会ったらまとめて請求してやろう。
ジェッダの軍隊がカマル山中に向かい、200人あまりの邪視教徒達が捕まった。
洞窟から次々と運び出される死者や負傷者を調べ、中に高耶のような者がいなかったか
聞いて回った。だが中にいた者達はほとんど怯えきっていて話にならない。
案外とっくにトンズラしてるかもな、とおもいつつ、負傷者が運び込まれた病院へと向かった。
突然大量に運び込まれた患者の対応に病院はてんやわんやだった。高耶のような者がいなかったか
聞いてみたが、病院側は治療に手一杯で、患者一人一人のデータもまだできていない。
仕方なく日を改めて聞きに言ったが、それらしき人物はいないと言われた。
しかし、一部の患者はここからジェッダの病院に運ばれたらしい。偶然そのことを耳にした千秋は
アブハからメッカを通り、ジェッダへと向かった。
確かにジェッダの病院は医療設備が整っている。だがここからジェッダは遠い。わざわざ運び込むとは
どこぞの金持ちが命に関わる怪我でもしたのだろうか。
病院の受付で問い合わせると、看護婦はうるさそうに応対した。
だが、高耶の特徴をくわしく聞かせると、微妙に表情が 変わった。
少々お待ちください、と奥に入って何やらぼそぼそと話をしている間、千秋は腕組みをして待っていた。
やはり、高耶は「わざわざ」ここまで運び込まれたのだ。
だが千秋を待っていたのは、思ってもみなかった回答だった。
看護婦は千秋のところに戻ると、能面のような表情で淡々と告げた。
「お探しの方ですが――ここに運び込まれてしばらくして、亡くなりました」
つづく
アサシン部屋