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目を覚ました時、最初に視界に入ったのは見慣れない部屋の天井と、見慣れた老臣の
泣き顔だった。

「あなたはッ・・・会議でおとなしく座っていることもできないんですかッ」

開口一番、いっそう皺の増えた顔を涙で濡らしながらなじるウマルに、直江は返す言葉がなかった。
国王が国際会議を放り出すなど、言語道断だ。このまま退位させられたとしても文句は言えない。
留守をあずかったウマルの信頼を、自分は踏みにじった。
だがウマルが怒っているのはそのことではない。普段口うるさい小言の端々にも、実の父親以上の
情愛を感じていたから、彼の涙は予想以上にこたえた。

「すまない・・・」

よほど心配したのだろう。堰をきったように泣き続ける老臣の小さな肩に、点滴の管や血圧計の
ベルトがぞろぞろついた腕を伸ばした。

 

 

そこはジェッダの病院の特別室だった。最初近くの病院で処置を受け、容態が落ち着いてから
移されたらしい。ストレッチャーで運ばれていたのはぼんやりと覚えているが、それ以外は皆目
記憶にない。

「あのひとは・・・私と一緒にいた彼はどうした」

一番の気がかりを口にすると、ウマルはあからさまに不快げな表情になった。

「聞いてどうするつもりです」
「ウマル」

断固とした直江の口調に、ウマルはため息をついた。

「・・・別の病棟に監禁してますよ。その場で殺されて当然なのに、陛下がわがままをおっしゃるから」

わがまま?直江は眉をひそめた。何しろ刺されたところから全く記憶がないのだ。

「覚えてらっしゃらないんですか。兵士たちが見つけたとき、彼は殺すな、殺さないでくれと
あの男にしがみついてなかなか離れなかったそうじゃないですか」

そうか、と直江はひとつ息をつくと、ゆっくりと上体を起こした。とたんにズキリ、と脇腹が痛む。
あわてて止めようとするウマルを制して、直江は数日ぶりに床に足を下ろした。

「彼に会いたい」

 

 

さんざん心配をかけた老臣を思いやってしばらくおとなしくしていようという殊勝な心がけは、
この男にはないらしい。まだ安静にしているようにとのウマルの嘆願にも耳を貸さず、勝手に
点滴を引き抜いて高耶がいるという病棟に向かった。

「ここは・・・」

直江がいた、日当たりのよい病室とは大違いの、敷地の北側に位置する病棟だ。
一般の病棟とは電磁ロック付のドアで仕切られている。病室のドアも頑丈な錠がついていて
中からは獣のような呻き声と鎖のがちゃがちゃいう音が絶えず聞こえていた。

「ここです」

傷が開かないようにゆっくりとした直江の歩調にあわせて先を歩いていた医者が、
ある病室の前で立ち止まった。のぞき窓から中を見ると、中の患者は眠っているようだった。

「中に入れてくれないか」
「それは・・・」

医者は言葉を濁した。

「今はやっと眠ったようですが、鎮静剤が効かないんです。拘束着を着せても脱いでしまうし、
鎖も二度ほど引きちぎられました」

暴れ方が半端でないのでほとほと手を焼いているらしい。それでもと食い下がる直江に、
医者はしぶしぶロックを外した。

簡素なパイプベッドには、変わり果てた高耶の姿があった。舌を噛まないように猿轡を噛まされたまま、
力尽きたように眠っている。頑丈な皮製のベルトに拘束された両腕は
包帯が巻かれ、点滴の跡がいくつも残っていた。両手の指先は左右合わせて6本、爪があるべき
部分に治療を施されている。
やつれた頬には涙の跡が残っていた。

「治るのか」
「それは何とも・・・従来の麻薬、例えばコカインなどよりもよほどたちは悪いです。
おそらくLSD系の薬物だと思いますが、何にしろ薬の正体がわからないと」
「それは何とかなる」

おそらく情報部はこの麻薬のことを知っているだろう。

刺された時、高耶の自分に対する憎悪の深さを今さらのように思い知った。
薬で錯乱していたんじゃない。むしろ今まで心の奥底に渦巻いていたものが薬によって
むき出しになったのだ。底の見えない憎しみの目はひたと直江一人を見据えていた。

愛よりも深い憎悪。それこそ直江が望んでいたものだったはずだ。刺し違えるほどの
激情を高耶は自分に対して抱いていたのだ。
望みは現実のものとなったというのに、なぜこんなに塞いだ気持ちになるのだろう。

直江は昏々と眠る高耶をじっと見つめ、誰にともなく告げた。

「連れて帰る」

ぎょっと目を剥くウマルに、直江はさらに承諾しかねることを口にした。

「それと――あの部屋を使えるようにしておいてくれ」

 

 

つづく
アサシン部屋

 


拷問部屋・・・?いやいや(笑)。