「陛下、捜しましたぞ!いったいどちらへッ」
ウバールの首都、ティスアの王宮。国土のほとんどが砂漠という
中で、ここは最も緑豊かな所である。
視察に行くとふらりと出かけ、その車が後部座席を空にして帰って
きたとき、先代からの忠実な家臣ウマルは、本気で軍隊を出動させる
ことを考えた。中東では比較的治安はよい方だとはいえ、中には
国王とてカモとしか考えない連中もいる。そしてそういう奴らは事が
発覚するのを恐れて必ず口封じをするだろう。
だから、数時間後に涼しい顔で当人が王宮に帰ってきたとき、ウマルは
安堵のあまりいつもよりよけいにがみがみと叱りつけた。
「すまない。ちょっと気になることがあって車を降りたんだ」
今年即位したばかりの国王、直江は、顔に巻きつけていた頭布を剥ぎ
取った。隠されていた顔が露になる。白い肌、薄茶の髪と瞳、
アラブ人らしからぬ骨格。重臣や他の部族達をまとめるのに、この容貌
がハンデとなっていることは明らかだった。だが彼はそれを承知の上で、
今まで培ってきた処世術を駆使して国をまとめようと努力している。
そんな彼を支持しているからこそ、軽率な行動で全てをだめにしてほしく
なかった。
「誰かに見に行かせればよいでしょう。一体どこのお嬢さまをごらんに
なりたかったんです?」
これはあきらかに嫌味だ。街中で誰かを見初めたとでもいうならこの
爺としては万々歳だ。もうとっくに世継ぎがいてもおかしくない歳で、
後宮にいくらでも美姫を囲える身分にありながら、「結婚はしない」
の一点ばりで、後宮は未だに先代の妻達がのさばっている始末だ。
おそらく一時の気の迷いだとおもうが…。
だが直江はウマルの言葉の刺など気にもしない。
「あの魔よけの護符…最近、やたらと見かけないか…?」
ああとウマルは頷いた。
「邪視よけの御守りですな。まあもともとそれほど珍しいものでも
ありませんが、確かに最近流行っているようで」
アラブの民間信仰に「邪視」というものがある。アラビア語では
「ハサド(嫉妬)」「アイン(目)」などと呼ばれている。邪視を持つ者は
その邪悪な目で他人を幸福にしているもの――例えば新生児とか、
新車、新築の家などを睨みつけて破壊する力を持つといわれている。
邪視よけの護符とは目や手を描いたステッカーやキーホルダーなどで、
目は邪視を睨み返し、手はその指で邪な目を突いてくれるという。
確かに一般的なものではあるが、ここのところ、市井で見かける者
皆が至る所につけているような気がする。
「そういえば、昔邪視を崇める一派がいましたな。邪教の徒として
サウジアラビア国王によって討伐されましたが」
まあ、関係はないとは思いますが、と一度話を締めくくってから、
ウマルはふと真率な表情になった。
「そんなことより、例の、東洋人が次々と姿を消している件の方が
私は気になります」
直江も同感らしく、眉をひそめる。
「増えているのか」
「はい、数日に一人の割合で」
ここでの東洋人とは大抵は労働者だ。不法滞在も多い。
石油の出る「富める国」、何も出ない「持たない国」についで、
東洋人の労働者はアラブではヒエラルキーの最下層に位置する。
ある日突然、一人二人いなくなっても警察は捜索したりしない。
だがここまで続くとさすがにウマルたちの耳にも入ってきた。
「行方は依然としてわかりませんが、おそらく国外に出たものと」
「…」
考えこみながら、直江は手近にあった新聞を取りあげた。
そこには米大統領が訪英した記事がのっている。笑顔で手をふる
大統領の写真の片隅に、見覚えのある顔が写っている。
最近、新聞やテレビのニュースで、「彼」の姿をよく目にするような
気がする。といっても写真や画面の片隅に、他の人間に
混じってちらりと映っているだけなので、 もちろん人々は気にも
とめないだろう。
要人の警護も「任務」のうちであることは理解できるものの、
何となく腑に落ちない。いつもどこで何をしているかわからない
彼が、なぜ最近これほどひんぱんに姿をさらしているのか。
(まあ、イギリスにいるのなら安全だな)
そう、よく考えればなんの根拠もない安堵の息をついた直江は、
ロンドンを騒がせている事件のことも、ましてや当の高耶が現在
ここから100キロも離れていない所にいることも、露ほども知らなかった。
つづく
アサシン部屋