聞けば、由比子は在サウジアラビア日本大使の娘だという。父親に会いに
この国に来たところ、誘拐されたらしい。
誘拐された日を聞けば、10日はたっている。大使の娘とあれば当然大騒ぎに
なっているはず。それでもここが包囲されていないということは、
警察が犯人を特定できないでいるのだろう。
高耶は眉を寄せた。ここは高耶が侵入した入り口からけっこう下の層にある。
天然の洞窟に手を加えた、もとは地下都市だったらしいこの遺跡は
5.6層にわかれている。由比子を逃がすとなると、その一番上の層まで
戻らなければならない。
問題は、一般の信徒が容易に出入りできない、この層と、最上層をしきる
扉だ。
はっきりいって、見捨てたほうが簡単だ。だが――
思案の後、高耶は口を開いた。
「車の運転はできるか?」
「ええ・・・でもこの国では」
女性の運転は禁じられている。だが高耶は知っていると首を振った。
「歩いてたら一日で干上がる。フードを深くかぶって髪を隠せばいい。
出口まで送る。山をおりたところにジープがあるから、
南下してナジランに行くんだ。そこから大使館に電話をかけるといい」
車のキーを放られて、話はついたとばかりに先に行こうとする高耶に
由比子は慌てた。
「出口までって・・・あなたは!?」
「オレはまだやることがある」
彼らのいた洞穴の入り口から高耶の姿が消えた。とおもったら
早く来いとばかりに手をさしのべられる。
「また戻るつもり?無茶よ!」
自分がどうやって連れて来られたか定かではないが、自分たちのいる
ところが、そう簡単に外界とつながっているとは到底思えない。
しかもいくら銃をもっているといっても、たった一人だ。殺されに
戻るようなものだ。
一緒に戻って応援を呼んだ方が・・・と言い募ろうとした由比子の顔を
鋭い光をもった瞳が射すくめた。
「・・・別に、あんたをここに置いていってもいいんだぜ?」
頼りない足場にかけた足の震えがその瞬間、止まった。
有無を言わせぬ目だった。
仕事の邪魔をする奴は許さない。ゆるぎない双眸がはっきりとそう
語っていた。
硬直してしまった由比子に、高耶はふっと表情を和らげる。
「出口までは責任持つ。無事に親父さんに会えたら
ここで起こったことを話せばいい。ただ――オレのことは
言わずにいてくれるとありがたいけどな」
ほら、と断崖を渡るのに手を貸しながら高耶が言う。どうして?と
当然の疑問を口にした由比子に、高耶は苦く笑った。
「ただの旅行者と思ってくれればいいけどな・・・変に勘ぐられたら
困るだろ?」
高耶の言っている意味は、当然ながら由比子にはわからない。
しかしこの国に来た時、入国審査でひきとめられて多少苦労した彼女は、
彼の言葉をそのようなものだとうけとめた。
さすがに高耶を「ただの旅行者」とは、もはや思っていなかったが。
たとえ何者だったとしても。
今は とにかく、この人についていくしかない。
向こうから信徒たちが近づいてくる。動じずにすれちがおうとする
高耶の後ろで、由比子はフードを深くかぶりなおした。
つづく
アサシン部屋