悪い夢を見ているようだった。走る足元が次々と銃弾で抉られ、
二人に銃口を向けている者たちは高耶の銃によって次々と
倒れていく。

「止まるな。走れ!」

少しでも足が遅くなると高耶は振り返ってそういった。高耶は
無駄のない動きで由比子を庇いながら進んでいるが、走っている
時に後ろから撃たれたら、と思うとこわくてたまらない。

進むにしたがって通路は広くなり、追っ手の数も多くなってきた。
上の層に続く扉が近いのだろうか。
すると高耶はふいに道を外れて脇の細い通路に由比子を引っ張って
いった。そこには中身のつまった麻袋がいくつか置かれていて、
行き止まりだ。

「ここにいろ」

マガジンを替えながらそう言うと、大きな通路に戻っていった。
続く銃声、誰かの短い呻き声――薄汚れた袋の横にうずくまり、
がたがたと震えながら、由比子は生々しいそれらの音を
聞いていた。

やがて、銃声が止んだ。耳をそばだてて状況をつかもうとしながら、
高耶が迎えに来るのをまった。
だが、銃声が止んでしばらく経っても、彼はなかなか現れない。

どうして――嫌な予感に心臓の音がドクン、と鳴った。

何で来てくれないのだろう。早くここをでなければ、きっと新しい
追っ手がすぐに現れる。たとえ麻袋をかぶって隠れていても
いつかはきっと見つかってしまう。

彼は何をしているのだろうか。まさか撃たれて動けないのだろうか。
それとも自分をおいて行ってしまったのだろうか。
まさか死――

「由比子」
「ヒッ・・・」

いきなり頭上から声をかけられ、由比子は飛び上がった。
高耶だった。足音も聞こえず、いつのまにか戻ってきた彼は
相変わらずの無表情のまま、銃を持っていないほうの左手を
差し出した。

「すぐに追っ手が来る。行こう」

立ち上がりながら、反射的にその手を取った。由比子より大きな、
同じ肌の色の男の手。つながれた手は死と隣り合わせの恐怖の中で
唯一のよりどころだった。

その手を取った時、ぬるりとした感触が由比子の手のひらに伝わった。
水、ではない。何となく粘り気のある嫌な感触。
それに、逃げている間に次第に濃厚に鼻をつき、由比子の気分を
悪くしているこの匂い――

「あなた、怪我したの!?」

ぎょっとして繋がれた手を見ると案の定、高耶の手首から先は血で
染まっていた。

高耶は最初、怪訝そうな顔をしたが、由比子が見つめている先を
目で追うと、

「・・・いや」

短く否定して、なぜか繋いだ手を解いてしまった。

 

 

 

層と層の間を隔てる扉。この層には儀式に必要な「巫子」や「殉教者」を
収容しているために、警備はとりわけ厳重だ。閉じ込められていた由比子は
もとより、一般の信徒がうろつくことはありえない。

『キーヲ入力シテクダサイ』

その扉が、いまや高耶の操作で開けられようとしていた。岩壁そのもののような
扉に取り付けられた銀色のパネルに向かって、高耶の手はよどみなく動く。

『網膜チェック カンリョウ』

高耶が何をしているのか、こちらからは見えない。扉の周りにうつぶせに
倒れている者たちが、生きているのかどうかさえ。由比子はあえて考えないように
していた。

ヴ・・・ンと機械的な音を立てて、扉が開いた。向こうに広がるのは、今までと同じ
岩壁の、しかしより暗く見通しがきかない、やや狭い通路だ。立ち尽くす由比子を
よそに高耶は扉を閉める操作をする。開けたままにしておくと警報がなるからだ。

高耶は由比子の注意がこちらに向いていないのを見計らって、手に持っていたもの――
先刻網膜スキャンに使ったものを暗がりに捨てた。

 

 

 

先の見えない暗闇が怖いという、由比子の感覚は的を得ていた。
何度目かの角を通り過ぎようとしたとき、暗闇から突然フード姿の男たちが由比子に
襲い掛かった。

「伏せろ!」

高耶の銃口が立て続けに火を噴く。待ち伏せしていたのか、暗がりから次々と
追っ手が現れる。高耶は耳を塞いでしゃがみこんでいる由比子の腕を掴むと
銃を連射しながら角に連れ込んだ。

「ここで待ってろ」

いうなりこちら向かってくる者たちを確実に倒していく。だが双方から囲まれて、
その包囲網は徐々に狭まっていく。

「!」

死角から伸びた錆びた鉄の鎖に首をとられた。高耶の足が浮き、ぎりぎりと締め付けられる。

「ぐ・・・うッ」

高耶の右手からベレッタが落ちる。気管を圧迫され、意識が霞みかける。
勝負は一瞬のうちについた。

「ギャァッ」

左目に深々とナイフを突き立てられて蹲る男に止めを刺すなり、返す刃で
目の前にいた男の喉をかき切った。そして先刻首を絞めていた鎖を手に取ると、
逃げようとする一人に向かって振った。

「グゥッ」

鎖は生き物のように男の首に絡みつく。傾ぐ頭を押さえつけ、鎖を持つ手を思い切り引くと
ゴキッ、と嫌な音を立てて崩れ落ちた。

「ヒィッ・・・た、たすけ」

残る一人に高耶が目を向ければ、その男は座り込んだまま後ずさった。
よろめきながら背を向ける姿に向かって高耶の右手が一閃する。

次の瞬間、心臓の位置に背中から深々とナイフを突き立てられた男は、声もなく倒れた。

 

 

ベレッタを拾い、由比子を残してきた場所に目を向けた高耶は、己の失態を悟った。

「・・・見てたのか」
「あ・・・」

蹲っておびえているとばかりおもっていた由比子は、目を見開いたまま、その場に
立ち尽くしていた。その視線は高耶の刃を受けて倒れている男にはりついている。

高耶が横で銃を使っているのはもちろんわかっていた。おそらく何人かは死んでいる
のだろうということも。自分たちも殺されそうになっているのだからということもあったが、
何より走りながら遠くで人が倒れていくことに対して、あまり実感がなかった。

だが、由比子は今、目の当たりにしたのだ。自分と行動を共にしているこの男が
易々と人の首をかき切り、首の骨を折るところを。

「由比子。時間がない」

促すように一歩近づく高耶に、由比子はびくりと後ずさり、首を振った。

「由比子」
「どうして・・・?」

やっと出た声はかすれていた。

「どうして殺したの?その人、助けてくれって言ってたじゃない。逃げようとしただけなのに
どうして殺したの?なんでそんなに簡単に人を殺せるの?」

高耶は答えない。顔色も変えずに腕をつかもうと伸ばした手を、由比子は思い切り
振り払った。

「由――」
「触らないで!」

高耶のそばで嗅いだ血臭と、差し出された手が血に染まっている意味を。
由比子は今、思い知った。



「・・・人殺し!」

 

 

 

つづく
アサシン部屋

 


あー・・・。やっと更新できたのに、なんかコメントに困る展開・・・(~~;)