The Terrorist
11
幻庵は1年前に、上海にある国際麻薬密売組織のアジトを爆破する
任務を受けた。アジト全体に爆弾を仕掛け、何十トンもの麻薬ごと
爆破する計画だった。屋敷に潜入するのは幻庵を含めて3人。
屋敷の外に待機している一人が無線で退路を指示する手筈になって
いた。
爆弾はセットしてから10分後に爆発する。だがいざ脱出の時になって
待機している者からの連絡が突然途絶えた。こちらから呼びかけても
何の応答もない。その時にはすでに警報は鳴らされており、進入口は
ことごとく防火扉で閉鎖されていた。 幻庵は自力で脱出しなければ
ならなかった。敵を倒し、死にものぐるいで退路を探しながらも、
仕掛けた爆弾が次々と爆破していく。
結局、潜入した3人のうち、生き残ったのは幻庵だけだった。業火の中、
何とか脱出したときには、待機していたはずの車はすでにどこにも
なかった。
しかしそのときにはまだ幻庵は疑っていなかった。おそらくなんらかの
事情で、待機していた者は中にいる仲間と通信できない状況に陥った
のだろうと。こうした任務にそうしたアクシデントはつきものだ。
だがその者に再会したとき、彼の表情に浮かんだのは驚愕と恐怖だった。
なぜ生きているんだと怯えた顔で幻庵を見た。そして許してくれ、殺さないで
くれと幻庵に懇願してきた。
あの時の彼の「任務」は密売組織の人間や麻薬と一緒に《アサシン》で
用済みになった人間を始末すること、だったのだ――
「そんな・・・なぜあなたが――」
「武器の技術は日進月歩だ。核ミサイルなどはすべてコンピュータで
制御される。そして体術では君たちのような若い者にはもはやかなわない。
せめてもう少し鍛錬しておけば、愛想をつかされずに済んだのだろうがな 」
高耶は呆然とした。力のないものは切り捨てられる、そんな非情さが組織に
あることはわかっていた。失敗しても助けは来ない。高耶達の任務は
いつでも気が抜けない。だが、見捨てるどころか、不用とみなした組織の
人間を仲間に始末させるとは。
「情報部には病気を患って療養していることになっている。だが一度殺し
そこなった組織の人間をこのまま放ってはおくまい・・・君にはわからない
だろうが・・・何よりも恐ろしかったのは殺されることではない。誰からも
必要とされなくなることだ。私は30年余り、祖国のために働いてきた。
祖国のためになるなら、死さえ厭わなかった。
だがその忠誠の報いがこれだ 」
その表情も声も、憎しみに満ちているわけでも、恨みつらみを抱えている
風でもなかった。むしろ淡々とした口調が、その時の幻庵の絶望や悲嘆を
うかがわせた。幻庵はまっすぐに高耶を見た。
「私だけではないのだ。君も例外ではない。今は必要とされていても、
年を取り、体力が衰えれば組織はいつか君を切り捨てる。古い釘は抜き
取られ、新しいものに変えられる。彼らにとって我々とはそういう存在
なのだ。 」
「幻庵師匠――」
幻庵は微笑みかけた。慈愛に満ちた表情で、高耶の髪に手を伸ばす。
昔、よくそうしたように。
「まだ私を師匠と呼んでくれるのだね・・・私のところに来ないか、高耶。
君がここに来ることは知っていたが、マグゴーマンには君がその人物
だとは告げていない。いずれ正体をあかしてもここにいられるように
私がかけあおう。ここに来れば、君を使い捨ての駒には決してしない 」
「――」
「高耶」
懐かしい声でその「名前」を呼ばれて、高耶は視線をさまよわせた。
行ったことすらない国の血が呼び合ったのか。家族を一度に
失ってから、その名前で呼ぶのは、幻庵をのぞいてただ一人だけだ。
乾いた冷たい風がテラスに吹きつける。風に髪を乱されながら、
高耶の視線は部屋の中を泳いだ。皆それぞれグラスを片手に
談笑している。その中で、直江だけは会話に加わらず、壁際に
立ったまま、ずっとこちらを見つめていた。
高耶と目が合う。この距離では会話が聞こえるはずはなかったが、
高耶の目を見て、直江はふっと微笑んだ。
高耶は幻庵に視線を戻した。そして口にしたのは、一見全く違う
話だった。
「――この間のロンドンの爆破未遂事件、イングランド銀行の頭取に
仕掛けた爆弾を造ったのはあんたか?」
幻庵が驚いて高耶を見た。なぜそんなことを知っているのか
という顔だった。
「配線の仕方が、あんたの造ったものによく似ていた。あれが
未遂で終らなかったら無関係の人間が死んでいた。
いや、その前のテロ活動で既に大勢の死傷者が出ている。
あんたの保身だか復讐のために何人の人間を犠牲にすれば
気が済むんだ? 」
「――!」
痛烈な弾劾を受けて、幻庵は苦しそうに表情を歪めた。
冷えた断罪者の眼差しで幻庵の良心を抉りながら、高耶は言い放った。
「今のあんたは、ただの殺戮者だ」
目を見開いたまま、震え出す幻庵を残して、部屋に入る。
だが談笑には加わらずに、そのままドアに向かった。
「直江」
部屋に向かいながら、いつのまにか後ろを歩いている直江に、振り向か
ないままで低く声をかける。
「――基地への入り口を教えろ」
今夜だ。
(こんなアジト、ぶっつぶしてやる)
胸の奥にたまらなく苦いものを感じながら、高耶は決然と廊下の奥を
睨みすえた。
「――そう、今夜だ」
居間のひとつで、マグゴーマンは電話の相手に向かって言った。
まだ食事の時のフォーマルスーツのままである。長身をソファーに
ゆったりと横たえ、ブランデーグラスの中の琥珀の液体を
目の前でゆらゆらと揺らしている。それを眺めるアイスブルーの
瞳は、ひどく楽しげだった。
アイデアは、電話をしている間に思いついた。材料ならちょうどある。
基本的には計画性と生産性を重視する男だが、たまにはきまぐれな
行動もわるくない。
「首相官邸と…小うるさい情報部に。最高のクリスマスプレゼントを
贈ってやろう」
唇の両端を吊り上げ、ククク…とくぐもった笑い声が、他に誰もいない
室内にいつまでも聞こえていた。
<つづく>
<アサシン部屋へ>
やーっと次回から討ち入り(?)開始です。
ううう。長い前置きだった(T_T)
しかし…直江が沈んでますな…vvv