The Terrorist
16
それからひとしきり嗜虐を愉しんで満足したのか、それともあくまでも
悲鳴一つあげない獲物に興ざめしたのか、軽く鼻を鳴らして
マグゴーマンが出ていった後、直江はぴくりとも動かぬまま、短くは
ない間そうしていた。すでに体臭と化した血臭は嗅覚を麻痺させ、
両の掌と左の脇腹から発する間断ない痛みだけが、直江の意識を
幸か不幸か――かろうじてこの牢獄に繋ぎ止めていた。
我ながら不毛な、出口のない様々な思考に身をゆだねているうちに、
目の前の暗闇に誰かが立っていることにようやく気がついた。
何かの儀式のように、中世風の燭台だけが部屋を照らす中、白髪の
混じったその男は、静かな表情で直江を見ていた。
どこかで見た顔だった。だが話をしたことはない。名前すら知らない
その男が、なぜ記憶にひっかかっていたのか――そこまで考えて、
直江は唐突に思い出した。そうだ。自分とは関わりのなかった
この男…夕食後に、高耶と話していた男だ。
高耶と同じ英国情報部員――しかも、高耶とは常ならぬ繋がりが
あったらしい。この男と話した後の高耶は激しい怒りと共に――
ひどく傷ついた表情をしていた。人と絆を結ぶことを、どこかで頑なに
拒絶しているところのあるあの高耶にあんな表情をさせるとは。
そこまで考えて、こんな有様になってなお、目の前の男に
不穏な感情を波立たせている自分を心の中で嘲笑った。
幻庵は直江の視線をとらえると、ようやく口を開いた。
「高耶を逃がして自ら捕まったそうだが――高耶にとって
君は助ける価値のある人間か? 」
口調は静かだが、随分不躾な質問だった。答える義務はなく、
また答えようのない問いに、居心地の悪い沈黙がしばらく
続いた。
幻庵もまた、答えは期待していなかったらしい。
「あの子は誰にも心を開かなかった。任務で一緒になった相手
でさえも決して完全には信用しない。そうすることで自分を
守ってきた」
彼は片手に持っていたカバンを開くと、掌大のものを取り出し、
直江の腰に巻きつけた。見た目より重量のある、冷たい金属の
感触が脇腹の傷口に触れたたが、直江は僅かに眉を顰めた
だけだった。
「“誰も信じるな”――もし君を見捨てるなら、高耶は未だに
あの時のままなのだろう。そのことを責める資格は今の
私にはない。
だがもし、彼が危険を承知で君を助けようとするなら…
『これ』が私と彼との最初で最後の勝負ということになる」
淡々と話しながら、幻庵は作業を進めていく。この暗闇の中
でも惑うことなく、慣れた手つきでそれをセットする。デジタル
時計の表示を00.10.00に合わせてスイッチを押すと、ピッという
音と共に目まぐるしい勢いで数字が回りはじめた。00.09.59から
あっというまに00.09.30へと――時計は0に向かって進んでいく。
それが何かを分かっていながら、相変わらず無言で、無表情な
直江を再びじっとみつめた。
「高耶が間に合う可能性はほとんどないだろうが――もし
生き延びたら伝えてくれ。
どうか幸せに――と」
直江はすこし目を見開いて男を見た。高耶の師だった男の目
には揶揄のようなものは何もなく、その目は意外な程澄んで
いた。
直江の返事を待たずに幻庵はカバンを手に取り、様々な
付着物で汚れてはいるものの、そこだけ近代的な重厚なドアを
解除し――なぜか扉は開けたままで出ていった。
<つづく>
<アサシン部屋へ>
次はまわる直江編です。
…高耶さんがかきたい…(T_T)