The Terrorist
19
いつのまにか、砂漠を歩いていた。
ここがルブ・アルハリだということはわかるが、四方には何も見えない
――そう、蜃気楼すらも。
熱湯から沸き立つ湯気を思わせる陽炎が地平線を歪めているが、
布地越しに火であぶられているような、あのいつもの熱は感じられない。
細かい砂の間に沈む素足に、ほのかな温もりを感じるだけだ。
奇妙な状況だった。供を連れないのはまあともかくとして、車も
装備もなしに、こんなところを歩いているのは自殺行為に等しい。
しかも夜でも早朝でもなく、明らかに日中。砂漠が灼熱地獄と化している
時間帯だ。
砂を踏む感触の他は何も感じない。熱さも、乾きも、疲れも、空腹も。
どこへ行こうとしているのか、何のためにこんなところをさまよって
いるのかすらわからない。
これは夢か。それともここが「死後の世界」というやつか。
おかしなものだ。生まれてから20年あまり、英国で暮らしていたくせに、
いつか自分はこの砂漠に環るのだろうと思っていた。英国の教会墓地でも
なく、ウバールの王族の墓でもない。いや、どこに埋められようと、自分の
魂はここに来るのだと、漠然と思っていた。
ここには何もない。誰もいない。全ての生き物を拒絶するここは、この世で
もっとも清潔な地だ。常に厚い雲に覆われているイギリスで、陰謀渦巻く
ウバールの宮廷で、いつも作った笑顔でうまく立ち回りながら、いつでも
こんな風にさすらうことを望んでいた。みすみす「奴ら」の思惑どおりに
負け犬になってなるものかと、自尊心がそうすることを頑なに拒んでいた
だけだ。
意地も建て前も、すべてのしがらみから自由になった。
そのはずなのに。
彼にここにいてほしいと――切におもった。
たとえ背中を向けたままでもいい。あるいはあの恐ろしい破邪の瞳で、
己のくだらなさを暴かれたっていい。がんじがらめに縛りつけてしまいたい
強烈な執着や引き裂いて堕ちるとことまで堕としてやりたい昏い嗜虐の
欲望に灼かれることになっても構わない。
ここにいてくれさえいたら――何もかもを取り去った後に残った、あまりに
純粋で一途な願いに、直江は苦笑した。
これではまるで初めて恋する青年だ。
しかし己の望みを自覚すると、しだいに五感が鮮明になっていく。
いや、不鮮明になるといったほうがよいだろうか。視界は暗くなり、
吹き上げる砂埃と熱風、そして砂に反射する陽の光でろくに目を
開けていられなかった。素足が沈む砂は焼け石のように皮膚を灼き、
石の破片で傷つけたか、いつのまにか両足にできたらしい傷が
燃えるように熱かった。全身が軋むようで、思うように前に進めない。
あまりの激痛に手の甲をみたら両手の真ん中に血まみれの穴が
開いていた。
胸が痛い。最初は疼く程度だったが、それは次第に耐えがたく
なってきて――
「ゥ――ァアア…ッ!!」
不意にがくんと状態が倒れると同時に、胸にすさまじい激痛が襲ってきた。
「気がついたか」
非常ベルがけたたましく鳴っている。
状況を思い出すのに、少し時間がかかった。
一方高耶は直江の困惑などお構いなしに、それでも細心の注意を
払って自分の肩に傷ついた腕を回させた。
「悪いが自分で歩いてくれ。肋骨が数本折れているから、背負うと
内臓に刺さるかもしれない 」
直江は上半身裸だった。高耶の肩に回った腕の先、釘で打たれていた
掌にはいつのまにか血の滲んだ白い布切れがきつく巻かれている。
どうやらほとんど端切れと化していた直江のシャツを裂いて、脇腹や
他の出血の多い部分に応急処置を施してくれたらしい。
直江は両手の釘を抜かれる時の激痛で気を失ったのだった。
「・・・警報が・・・」
「ああ。さっきから鳴っている。爆発音がしないんでオレがここにいるのが
わかったんだろう」
そう言いざま、直江に肩を貸したまま振り返ると片手でショットガンを
撃った。二人の追っ手が心臓を撃たれて転がる。急な動きに直江の
胸に鋭い痛みが走ったが、かろうじて声をあげるのをこらえた。後ろにも
目がついているのかと疑う反射神経で前後の追っ手をかたずけながら、
直江が歩けるぎりぎりのペースで鍵の壊れた――というより、ここに来る
前に高耶があらかじめ壊しておいた倉庫に入ると、奥にあるチェーンの
かかった裏口に回った。何度か撃ってチェーンと鍵を壊し、ドアを開ける。
そこには古い貨物用のエレベータがあった。もう何年も使っていないような
代物だったが、高耶がどこからか調達してきたらしいバッテリーをセットし
スイッチを押すと、 それは今にも止まりそうながたがたという音を立て
ながらも二人を上に運んだ。
エレベータが止まるとと目前には――あの中庭が広がっていた。
「最初から知っていればもっと楽に進入できたのにな」
高耶が苦笑する。バッテリーは下でセットするようになっているし、
ドアは内側から鍵がかかっている。しかしマグゴーマンの部屋や
ワニの入り口から行くよりは、高耶にとってははるかに簡単だろう。
直江を側の大木の幹に座らせると、高耶はショットガンに弾薬を
つめると、傷ついた右腕に握らせた。
「犬や追っ手が来たらこれで追い払え。弾薬がつきるまでにオレが
戻ってこられるかどうかはおまえの悪運次第だがな」
直江の目が見開かれた。信じられないものを見る目で高耶を凝視する。
「・・・まさか・・・この上、戻る気ですか・・・?」
基地にいる全員が高耶を探しているのだ。秘密裏に忍び込むなら
まだしも、こんな状況で戻るなど、正気の沙汰ではない。
だが高耶はいたって本気だ。フンと笑って直江を見下ろす。
「オレがおまえを助けるためだけに来るとでもおもったか」
「なら私など見捨てていけばよかったでしょう…ッ」
さすがに肋骨に響いてせきこみ、それがさらに苦痛を呼んで直江は
顔を歪めた。それでも行かせるわけにはいかない。
まるきり自殺行為だ。
だが高耶は直江の言葉には答えず、あの強い光を放つ瞳で直江を
見つめて言った。
「おまえの指図は受けない。戻ってくるまでに生き延びれば病院
くらいには連れていってやる」
「高耶さん・・・ッ」
もはや直江の言葉にも耳を貸さず、高耶は再びエレベータで下に
降りていった。
<つづく>
<アサシン部屋へ>
ひさびさのてろりすと〜。ようやく再開(^_^)
そしてこれより、高耶さんが戻ってくるまで直江の出番はございません(爆)
直江ごめんよ・・・。