戦場のHappy Birthday 第二話

 

07.18.15:00 P.M.

 

下山周辺の戦闘に参加していた遊撃隊員達が大正砦に戻ってくるのを待ち構えて
いたように、新たな進軍の知らせが日吉からもたらされた。
最近四国各地の豪族が活性化しているせいか、昨日のような小競り合いが増えている。
隊士たちは最初の頃に比べれば格段に強くなっている。そこいらの豪族など敵ではない。
伊達や織田を相手にするのとは比べものにならないが、こう連日だと大きな戦闘よりも
疲れがたまる上に集中力も散漫になる。今のような時が一番危ない。
そのせいだろうか。
戦局がなかなか有利に進まない。
いつもであればこの程度の敵なら2、3時間で片がついている。だが最初に待ち伏せ
されていたことから始まり、今日に限って、まるで高耶の作戦の裏をかくように、
現れて欲しくないところにばかり敵が現れる。
「くそ…っ」
次々に切りかかる幽霊武者達を切り捨てながら、高耶は唇を噛み締める。
作戦がまずかったのか。それとも隊士の士気が落ちているせいか。
「危ない!」
炎に包まれた木が隊士が固まっている側に倒れかかる。高耶はとっさに《力》で
支える。
「ぐずぐずするな!はやく――」
この瞬間、高耶は完全に無防備だった。
――オオオ…
「高耶さん!」
怨霊達の刃が高耶の肩に吸い込まれる寸前、直江の《護身壁》がそれらを弾く。
「なお…」
「高耶さん、ひとまず退却を」
どこか有無を言わさぬ直江の口調に、高耶は驚いた。
戦闘中、直江が高耶に進退を口にしたことは、少なくとも赤鯨衆に入ってからは
なかったことだった。
「なっ…」
「これ以上進めば死者が出ます。犠牲を出してまで勝たねばならない相手では
ないでしょう」
至極もっともな意見に、高耶の表情は悔しげに歪む。ことに赤鯨衆では今まで
負け知らずだった高耶だ。あの信長とも互角に戦ったこのオレが、この程度の
敵に背を見せるのか。謙信の子としてのプライドが屈辱に軋む。
確かに犠牲を見越せば勝つ事はできるだろう。だが己の見栄のために死者を出す
わけにはいかない。
高耶はきっと顔を上げた。
「退却だ!全員退け!」
そしてまさに山を降りようとした直後。
ズズ…といういやな地鳴りと共に土手の一部が崩れ、一瞬前に彼らが居た場所を
埋めつくしたのだった。
 

07.18.10:00 P.M.

 

それでなくともだらだらと続く戦闘に下がり気味だった士気は、ここにきて一気に
落ちた。高耶の指揮での初めての敗退は、隊士達にとってもかなりショックだった
らしい。特に高耶を軍神か何かのように崇めていた者達の中には、高耶の作戦の
手落ちを非難する者までいた。
「やはり現代人はだめなんじゃ」
「兵頭さんの作戦をとっていれば…」
端から見れば、確かに作戦の立て方に手落ちがあったように見える。高耶の読みの
甘さとも。だが戦略とはある程度、運と確立を見込んで立てるものだ。今回は
どういうわけか、最善策をとるそばから悪い方へ悪い方へと戦局が流れていった。
しまいにはあの山崩れだ。もし退却していなかったら、ほぼ全員が生き埋めに
なっていたに違いない。
だが高耶は一切弁明をしなかった。
「高耶さん」
直江が探しに来たとき、高耶は河原に置いたテーブルに地図を広げ、月明かりと
ランプの光で一心に作戦を練っていた。直江が来たのにも気づいていないようだ。
今日の采配のどこに手落ちがあったのか、明日はいかにそれを補強するかを
必死に考えているのだろう。
直江はため息をついて、ランプを取り上げた。
手元が暗くなって初めて、高耶は直江の存在に気がついた。
「…直江」
「今日のことはあなたの作戦のせいではありませんよ」
高耶はふっと表情を消して、地図に視線を戻した。
「別に慰めなんかいらない。オレの読みが甘かったんだ。おまえが言わなければ
全員生き埋めにするところだった」
「高耶さん」
「ここのところ小競り合いばっかだったから、勘が鈍ったのかもしれない。
…それとも、案外あいつらの言うように少しイイ気になりすぎてたのかもな」
「高耶さん!」
「命を受けた身から一怨霊に成り下がって。調伏力もなくなって。次には采配を
振るう能力も――こうやってひとつづつなくなっていくのか…しまいには…オレは」
直江は堪らずに高耶の唇を塞いだ。
「…ん…っ」
もがいていた高耶の指先から力が抜ける。デッキチェアの上から覆い被さり、
息も継がせぬ勢いで何度も角度を変え、深く深く口接ける。
やがて高耶の額をやさしくかきあげ、完全に力の抜けた高耶の右手を取って
額に手のひらをかざさせた。そこに直江の《気》を少し、注いでやる。
「あ――」
「今日の敗退の原因は、これです」
おそらく気づいたものは誰もいない。額に浮かび上がる禍禍しい種字。
「明日の戦闘は参加しないでください。あなたが立てた作戦です。
潮と兵頭がいればうまくやるでしょう。どうやらこれは、あなた自身にではなく、
あなたの周りの人間に災いを及ぼす呪のようだ」
「そんな――じゃあ」
呆然と見上げる高耶に、直江は安心させるように頷いた。
「昨日の話は兵頭に聞きました。呪をかけた大野利直は生前にも呪術の心得が
あったようですね。呪は私が必ず解きますから、あなたはしばらく戦闘を
離れてください」
どのみちあなたにこれ以上《力》を使わせるわけにはいきませんから、という
直江に、高耶はなおも気になっていることを口にした。
「周りの人間って…じゃあお前も」
「私は大丈夫です」
直江は即答する。
「自分の身くらい守れますし、あなたから離れる気はありません」
しかし高耶は気づいていた。おそらく無意識にだろう、先刻から直江が
不自然に右の上腕を庇っていることに。
「――わかった」
高耶は目を閉じた。何かを決意するように。
「戦闘には参加しない。兵頭に事情を説明してくれ。オレは――少し休む」
テントの前で別れる前に、一度だけ直江、と呼びかけた。
「ちゃんと中川に診てもらえ」
直江は軽く目を見開いた。
  
そして翌朝――
大正砦に仰木高耶の姿はどこにもなかった。
 
つづく 小説へ