戦場のHappy Birthday 第三話
07.19.08:00 A.M.
「待てよ橘っ」 あわてた様子で後を追ってきた潮が、足早に駐車場に向かう直江をひきとめようとする。
だが直江は聞こえていないかのように歩調をゆるめなかった。 「おまえ檜垣や嶺次郎に無理言ってここにいるんだろ?それでこっちの戦闘もほっぽり出して
行方くらまして大丈夫なのかよ」
「俺のことなどどうでもいい」
にべもなく言い切る直江に、潮も困った表情になる。
「そりゃあ、俺だって仰木のこと心配だよ。あいつすぐ思いつめっからさ。他の奴らだって
本当はわかってるはずなんだ。仰木は神様じゃないって。皆があいつのこと好きなのは、
ただ勝たせてくれるからってだけじゃない。でもあいつらガキみたいにしょうもないところが あるから。何でもできるとおもっていた父親が普通の人間だったみたいですねてんだろ」
「…俺が言いたいのはそんなことじゃない」 車にキーを差し込みながら直江が答えた。表情は平静だが、声は地を這うように低い。 「あんな小競り合いにまで、なぜ彼をいちいちひっぱり出す。そんなにあのひとの寿命を縮めたいか。
おまけにあんなつまらない呪までかけられて。おまえ達は足をひっぱるだけで
あのひとを守ることもできないのか」
薄い色の瞳の奥にある、物騒な光に潮はひるんだ。橘義明。一体何物なのか。ことに高耶に
関することでは、潮はこの男に迫力負けしてしまう。
「…あんた夕べ、兵頭のことぶん殴ったんだってな」
どこの馬の骨ともわからない現代人に自分たちの長を殴られたとあって、室戸の男達がいきり立った。
あやうく乱闘になるところをとめたのは、意外にも殴られた当の兵頭だった。
――おんしにあやまる義理はない。自分の身は自分で守る。隊長もそれはわかっちょるはずじゃ。
珍しく怒りをあらわにした謎の現代人とは対照的に、兵頭は冷徹なまでの無表情で直江を見つめかえした。
――それでおまえらは彼に守られるだけか。いいご身分だな。
――きさま!
――何様のつもりじゃ!!
歯に衣きせない物言いに、隊士たちがふたたびいきりたった。あれで高耶の耳に入らなかったのは、
奇跡だ。 「とにかく、そんなことがあったんならなおさら行方くらましたらまずいだろ。
あんた、それでなくても疑われてるし。仰木は俺が必ず見つけ出すから、あんたは宿毛に…おいっ」
皆まで言わせず、エンジンをかける。他人になどまかせておけない。自分が側についていれば、
あんな呪を負わせることはなかったのだ。
車は砦を後にし、手がかりをもとめて林道を走った。
07.19.10:00 A.M.
久々に訪れた祖谷は以前のままの濃密な空気で高耶を出迎えた。
もともとそれほど観光客でにぎわうということはない道を一歩奥に入ってしまえば、完全に人と
出会うことはない。この毒の身体も、かけられた呪も、まったく気にすることなく息ができる。
(ひさしぶりだな、こんな感覚)
もともと一人が性にあっている高耶だ。もつれ合う感情の糸、いつ目の前の相手を害してしまうかという
不安、隊士たちが自分にむけてくる賞賛、期待――そして落胆。
祖谷はどんな自分も――こんな自分も受け入れてくれる。大きく、深く…懐に抱き込むようにして。
(いっそ一生ここに隠れていようか)
野生の獣のように、ひっそりと。なにもかも忘れて、命つきるまで…。
「…そういうわけにもいかなそうだな」
敵はどこまでも高耶を放っておかないらしい。
姿は見えないが、高耶を取りかこむ複数の気配に、高耶は慎重に<力>をためた。
周囲の木の影から音もなく幽霊武者たちが現れ、いきなり高耶に襲いかかる。
コンタクトの越しの真紅の瞳が禍禍しく輝く。武者達は圧倒的な力で次々に吹き飛ばされる。
だが数が多い。調伏が使えない今、念だけで全員を完全に倒すのは難しい。
崖を背にして戦っている最中に、突然足首を掴まれた。
「!」
いつのまにまわりこんだのか、それとも新手か、崖下に浮かんでいる霊の一体が高耶を崖下にひきずり
おろそうとする。とっさに念で弾き飛ばした瞬間、わずかな隙が生まれた。
後頭部に鈍い衝撃を受けて、体勢が崩れる。生身の腕が高耶の腕を乱暴に抑え、あっというまに霊枷を
つけられてしまった。
「おんしか、赤鯨衆にいる赤目の男ちゅうがは」
無造作に顎をとられ、鋭い目で睨み突けた高耶の邪眼をものともせず、憑依霊が問う。
「おもわぬ拾い物じゃ。おんしを盾にすればあいつらもたやすく降伏しよるじゃろう」
有無を言わせず引っ立てようとしたその時、風が凪いだ。
強引に引きずっていく力が突如消えて、高耶はよろめいた。
そして自分を取り囲んでいた武者達が一人もいなくなっているのに目をみはる。
足元を見ると、いままで高耶を拘束していた男の憑巫がそこに転がっていた。
「おやおや、これはこれは」
山側から聞こえてきた声に、高耶は身体を強張らせる。
いままでの霊達よりももっとたちの悪い人間が、そこにいた。
「こんなところで上杉の元大将どのにお会いするとはね…殿に思わぬ土産ができた」
顔の半分を金髪で覆った美少年がそこにいた。詩の世界から抜け出てきたような優美な姿で、
傍らの幹に細身の身体を預け、おもしろそうにこちらをみている。まるで高みの見物をしていた
ようだが、いままでいた者達を一瞬のうちに消し去ったのは彼しかいない。
「…きさま…」
「お久しぶりですね、先輩。一緒にきていただけますか?」
唇を噛む高耶の後ろで、そのままになっていた霊枷ががちゃりと音をたてる。
波多山――もとい森蘭丸は妖しく微笑んだ。