戦場のHappy Birthday 第四話
07.20.10:15 A.M.
(どういうことだ)
霊査のために地面に当てていた手を離しながら直江は眉を寄せた。
温泉郡川内町。昨日からさんざんいろいろな場所を捜査した結果、
直江はある可能性に思いあたって、ここ大熊城にきていた。
大熊城は戒能氏の城で、大野利直と黒川通俊は共に戒能氏を攻めた結果、
ここで大敗したという。
高耶が戦った下山から遡って、松野町でぷっつりと途絶えた痕跡は、
思ったとおりここに残っていた。もちろん霊はもはやここにはいなかったが、
怨霊たちがここから100キロ近く離れたところに突如現れたからくりは
わかった。
(暗示霊導――)
地面を睨みつける直江の表情は厳しい。
あれから直江はまず、戦闘のあった下山に向かった。戦場独特の、荒々しい
残留念気がまだはっきりとしみついていた。もちろん高耶の《気》も残っていた
――他の誰よりも濃厚に。直江のいないところで、いかに高耶が大量の《力》を
消費しているかが嫌でもわかった。
(まったくあのひとは…)
戦闘になれば必ず《力》を使ってしまうだろうということはわかっていた。
しかし戦闘の度にこの調子では、自分から死に急いでいるようなものだ。
(あなたは、俺をおいていく気なのか)
何をおいても生きてみせると言ったくせに。 生きて、俺の真実を確かめると言ったくせに。
(そんなこと、許さない)
ひとりでなんか逝かせない。
失えない者を失う恐怖を、あなただって知っているくせに、
なぜ自分の命のことを第一に考えてくれないのか――
その場に残された霊波パターンをひととおり分析して脳裏に叩きこみ、
大野らの痕跡を遡ってジープを走らせる。高耶達が最初に相手をしていた
黒川の兵達の痕跡もわずかに残っている。兵頭から聞いた話を総合すると、
大野は黒川の後を追って下山にきたのだろう。複数の気が入り混じった痕跡は、
下山から松野町にある河後森城へと続いていた。
そして、怨霊たちの痕跡は、そこでぷっつりと途切れていた。
つまり、伊予の豪族たちはある日突如直接縁のないこの城に現れて、鷹ノ巣に
向かったということになる。
普通こんな不自然なことは起こりえないが、もし誰かが作為的に彼らをここに
送りこんだとしたら――
そして、その予測はここにきて裏づけられた。
霊導法は2度行われている。もともと供養もされていなかったであろう怨霊たちは、
何らかの暗示をかけられて凶暴性を増し、河後森城に送りこまれたのだ。おそらく、
まっすぐに鷹の巣に向かったのも暗示のためだろう。
(問題は、なぜ二回に分けたのかということだ)
霊導法を行った人物は、最初に黒川たちを、次に大野たちを送りこんでいる。
いやそれより、そもそも誰が、何のために、こんな回りくどい手をつかったのか。
(暗示霊導を行えるほどの《力》を持つ人物――)
ひょっとして、高耶は最初から狙われていたのではないか。
高耶の額に捺された禍禍しい種字。自分や高耶をてこずらせるほどの呪を、
闇戦国にも名乗りを上げていない一怨霊がなしえるだろうか。
生者の恨みよりも死者の恨みの方が厄介であるのと同様に、この世に存在する
怨霊の呪詛よりも、この世にいない霊が遺した呪詛の方が、確かに扱いは
難しい。その点は、高耶の体内にある鬼八の毒が雄弁に証明している。
だが、もし呪をかけたのが大野ではなく、高耶、いや景虎をよく知っている
人物だったとしたら―― そしてあの呪が、高耶が赤鯨衆にいられなくなることを見込んでかけられたもの
だったとしたら――
目論見どおりに一人になった高耶を、相手が放っておくはずがない。(高耶さん――!)
07.20. ?????キィ…という微かな音に、高耶は顔を上げた。
真っ暗なので、昼か夜かもわからない。吸力結界のせいでどれくらい時間が
たっているのかすらわからなかったが、どうやらここは座敷牢らしかった。
人が近づいてくる気配に、高耶は身構えた。鉄格子の狭い入り口をくぐって
入ってきたその人物は、手に小さな蝋燭を持っている。
「…真の暗闇に放りこまれた人間は、程なく発狂すると聞きましたが。
さすがは景虎殿だ。丸1日以上たっても少しもお変わりない 」
洞窟の中に棲む猛獣のように、わずかな光ごしに鋭く光る高耶の瞳が無言で少年を
誰何していた。その眼光に少年は曖昧に苦笑する。
「私のこと、覚えておられませんか、景虎殿」
あ、と高耶は小さく声を漏らした。
小さな炎に照らされた、生真面目そうな小造りの顔。
「おまえは確か…」
記憶をたどるように高耶は呟いた。
「以前、大剣神社でお会いした時には、まさかあなただとは思いませんでした」
独眼竜の弟、伊達小次郎はひっそりと微笑んだ。
「おまえ、なんで織田なんかに…政宗は」
このことを知っているのか。思わず口をついて出た問いに、小次郎は俯いた。
「兄上は知りません。どの道こんな姿に堕ちてしまっては、もう顔を見せることもできません。
初生から、もうこれは定められた運命なのかもしれません。私は結局兄上と
肩を並べて戦うことはできないと 」
「そんなこと――」
「――人のことより、自分の身の上の心配をしたらどうですか」
おもわず反論しようと口を開いた高耶を遮ったその口調に、高耶はぎくりと身を
強張らせた。先刻と同じ、小次郎の声だ。しかしトーンは一段低く、まるで別人の
ような話し方だった。
小次郎はいつのまにか顔を上げて、まっすぐに高耶を見ていた。
獲物を嬲るような残忍な目。少年の額には禍禍しい印が赤く光っている。
魔王の種。少年の身体から発される、嫌というほどよく知る気配に、高耶の目が
大きく見開かれる。
「ひさしぶりじゃのう、景虎」
吸力結界のせいで、《力》は封じられている。
小次郎の片手がいきなり高耶の首を掴み、無造作に後ろの畳に押しつけた。
一変して狂暴な《気》を剥き出しにした少年が、信じられない力で抵抗する高耶の
身体を抑えこみ、 ボタンを引き千切る勢いで衣服を剥ぎ取っていく。
「!」
前髪を掴んで、後ろに引っ張られた。自然高耶の顔が後ろに仰のく。
額が――直江にいわれるまで気づかなかったほどに巧妙に隠されたしるしが、
おおいかぶさる男の《気》に反応して燃えるように熱くなる。
(まさか――!)
「我のしるしがよく似合っているぞ、景虎。見事怨将に堕ちたおまえに祝福をくれてやろう。
そのしなやかな身体に、生涯忘れぬ屈辱の痕を刻んでやる 」
蝋燭が照らす、仄かな明かりの中。
暴れる高耶の肌に指を這わせながら、瞳に狂気を棲まわせた小次郎は、喉の奥で
低く笑った。