戦場のHappy Birthday

 

07. 20. 20:30 P.M.


夜の山中を黙々と進む男がいる。
心の中でひたすらただひとりの名前を呼びながら。
探し求める相手からの応答は、ない。あえて答えないつもりなのか。
…それとも答えられない状況に陥っているのか。
足元も見えない暗闇の中、獣道とも呼べないところを歩いている。
車は随分前に乗り捨ててきた。別にこの先にいるという確信があるわけではない。
勘というよりほとんどあてずっぽうに近かった。だがいずれにしろ、毒と呪を
同時に抱えた彼が、危害を加えると承知で人のいるような場所に身を寄せる
はずがない。
ザザッ――と木々が鳴った。夜空に伸びた黒い触手が侵入者を脅かすように
揺れた。空を横切るのは鳥か、それとも蝙蝠か。
直江は歩調は緩めずに、全身に《気》を漲らせた。 後ろの枝がパシッと鳴ったときには、直江はすでにそこにいなかった。
護身波を易々と抜けてしまうそれは息をつく暇もなく、あらゆる方向から
直江めがけて飛んでくる。それが何か確かめる間もなく、ただひたすら勘で よけているだけだが、おそらく吹き矢の類だろう。ひとつでも命中したら、
運がよくても身動きできなくなる。直江の目が唸った。
着地ざまに念波を放つ。続けて反対側に。ギャッという声が正面と背後から
聞こえた。ひるむ気配にすかさず外縛をかけ、調伏の印を結ぶ。
ぱちぱちぱちと、間の抜けた拍手が聞こえて、直江は鋭い目で振り返った。
「きさま…」
「さすが新上杉の総大将だね。景虎殿もさぞかし頼もしかろう。」
金色の髪で顔半分を覆った蘭丸は、羽根が生えているかのような身軽な動作で
乗っていた枝からひらりと舞い降りた。
「だけど僕をあの鵺たちみたいに簡単に消せるなんて考えないで欲しいな。
殿は今、新しい玩具を手に入れてたいそうご満悦だ。きさまにはおとなしく
上杉へなりどこへなり消えてもらおうか」

07. 21. 00:30 A.M.

 

ジ…と蝋燭の芯が焼けた。
小さな燭台に立てられていたそれはもはや原型もない。ほとんど照明の用を
なさなくなるほど小さくなった炎は、もうしばらくしたら完全に消えて
しまいそうだった。
湿気を含んだ室内に、荒い息遣いがきこえる。
高耶は組み敷かれた状態で、殺気を帯びた目で相手を睨み返した。
今の高耶は手負いの獣だ。実際、身体中にいましがたついたばかりの生傷が
あった。小次郎の方も無傷ではない。頬に手酷い引っ掻き傷がある他、
もともと細身の身体にはいくつもの打撲の痕があるはずだ。それでも
高耶ほどのダメージを受けていないのは――そして体格ではあきらかに
高耶より劣る小次郎が高耶を組み敷いているのは、やはり無意識に手加減を
くわえてしまったからだろう。
「――それで終わりか、景虎」
汗でしっとりと濡れた胸に手を這わせながら、信長が哄う。
「《力》のないおまえはあっけなくてつまらん。それともこの身体に遠慮
しているのか?自分が殺されるかもしれないというのに悠長な奴よのう」
細い指で無造作に中心を掴まれ、高耶は低くうめいた。苦痛に歪む表情を
愉しむように、指先は徐々に力をこめていく。
「いっそここを握り潰して、わしの女にしてやろうか…毎日気が狂うほど
おまえを犯して、考えつく限りの恥辱行為をおまえに与えてやろうか…
おまえも存外、それを望んでいるのではないか?」
「…こんなことで…」
額から油汗を滲ませながら、高耶は噛み締めた歯の奥から言葉を絞り出す。
獣そのもののような獰猛な瞳で、小次郎をひたと見つめる。
「こんなことで…オレを屈服させられるなんて思うなよ…
――おまえにだけは…オレは決して跪いたりしない…!!」
小次郎の手が、手の中のものを握り潰そうと力を込めた、その時――

パシッと何かが弾ける音がした。
刹那、高耶の両眼が鋭く光り、小次郎の身体は壁に吹っ飛ばされた。
半身を起こした高耶は全身に《力》を漲らせている。
だが小次郎は、壁を背に体勢を整えながら、不敵な笑いをくずさなかった。
「…昔の主人を助けにきたのか、安田」
牢の入り口に向けてかけた言葉に、高耶は目を剥いた。
見るとそこには、新しい蝋燭をつけた燭台を手にした長秀が冷ややかな目で
二人を見ていた。その口元が僅かにつりあがる。
「別にお楽しみの邪魔する気はねぇよ。吸力結界なんぞ張らないほうが
あんたも楽しめるだろ」
「千秋…」
思わず呟いた高耶に、長秀はわずかに顔を顰めると、ついと踵をかえした。
「じゃごゆっくり」
「待て」
そのままさっさと立ち去ろうとする長秀をひきとめたのは、以外にも小次郎だった。
「おまえの忠誠をここでみせてもらおうか」
「…何」
先刻吹っ飛ばされた時に切ったのか。小次郎は口の端から流れる血を拭おうとも
せず、倣岸に長秀に言い放った。
「おまえの今の主人はこやつではなくわしだな?ならわしの前でこやつを犯すことも
できるはず」
「!」
「まさかできぬとは言わぬよな?安田長秀」
振り返った長秀は憎々しげに小次郎を睨みつけた。だが選択肢はない。小次郎の
身体を借りているとはいえ、そこにいるのは信長なのだ。
ちっと舌打ちすると、長秀は大股に高耶に歩み寄る。傷だらけの裸体を乱暴に
畳に押しつけてのしかかってくる男に、高耶は呆然と眼を見開く。
「やめろっ…嫌だっ…千秋!」
ほとんどやけくそのように中心を扱きだす長秀に、高耶は必死に抵抗する。
だが押しのけようとする《力》も、長秀の《力》に相殺されてしまう。
「ガタガタ騒ぐな。おまえ直江とさんざんヤッてんだろ。すぐ終わらせてやるから
ちょっとの間我慢しろ」
無理矢理勃たせてから暴れる太ももを抱え上げ、露になった蕾に固いものをぐっと
おしつける。
「ちあきぃぃ――!!」

悲痛な叫びに、長秀の力がわずかに緩んだ。

「殿!」
とその時、数人の男達が格子の向こうに現れた。
「侵入者です!西の入り口に向かっています!」
「来たか」
鵺たちの報告に、悠然と立ち上がった小次郎は唇の両端をつりあげた。
「これで助かったとは思わぬがよいぞ、景虎。呪はまだ生きている。
おまえが逃げれば、確実にあの男は死ぬ」
再び訪れた暗闇の中で、ひとり残された高耶は厳しい表情で空を睨みつけた。

 


つづく
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