戦場のHappy Birthday 第六話
07. 20. 10:45 P.M.
ザンッ――!と木々が鋭い音で鳴った。
静かな寝床を奪われた鳥たちがやみくもに逃げ惑う。
竜巻のような力でもぎ取られた大枝が、夜空に高く舞い上がった後、木々の
合間をぬってボトボトと落ちてきた。
それをよける間もなく、背後の大木が悲鳴を上げて直江に倒れかかる。
むろん自然に倒れてきたのではない。直江と同じくらいの樹齢はありそうな
太い幹は、みしみしと嫌な音を立てて、途中から不自然な亀裂がひろがっていた。
ひゅん、と目にみえないものが四方から直江めがけて飛んでくる。《護身波》を
突きぬける、おそらく何らかの呪法を施したものだ。だがいちいち確認している
余裕はない。全身を感覚にして勘だけを頼りに攻撃をかわした。
鵺と蘭丸の、嘲るような笑い声が四方から聞こえる。
鵺はともかく、蘭丸の声は正面から聞こえたかと思えば、次の瞬間背後から
直江を挑発し、はるか向こうの闇から呼んでいるかと思えばすぐ耳元で
「僕はここだよ」と意地の悪い囁き声がする。あるいは四方から同時に
笑い声を聞くこともあった。そうすることで直江の方向感覚を狂わせようと
しているのは明確で、ただでさえ道のないところを進んでいる直江は、
惑わされまいと必死に来た方向を確認する。
直江の方が圧倒的に不利だった。数の差を除いても、敵には直江の姿が
見えているが、直江には敵の姿が見えていない。攻撃の直前にかろうじて
気配を感じとれるだけだ。おまけに相手は直江にとどめを刺そうとせず、
きりのない攻撃を仕掛けて直江が体力を消耗しきるのを待っているようだった。
僅かな殺気を感じとって念を放つ。ギャッと微かな叫び声と共に気配が消える。
だが消したそばからまた新たな攻撃が来る。何体消してもきりがなかった。
疲れが澱のように溜まってくる。ちょっと気を抜くだけで動きが鈍くなりそう
になるのを何とか持ちこたえる。油断すればまず手足をやられる。そして
攻撃力を失った直江を蘭丸はじっくりと時間をかけて殺すだろう。神経を
張りつめながら、直江は来た方向を確認する。終わりのない持久戦の間にも
直江は少しずつだが着実に進んでいる。その方向に高耶がいるということは
しつこく撹乱しようとする蘭丸の様子から、少なからず確信を持っていた。
(焦ってはだめだ)
それでもすぐに駆けつけられない苛立ちを必死にこらえているのだ。思慮も
後先も考えずに駆け出したくなる衝動を必死に抑えながら、直江は自分に
言い聞かせる。
(彼は強い。誰よりも強い。そう簡単に信長に殺されはしない…!)
ふと。妙な振動を感じとって、直江は眉を寄せた。
ズズズ…と微かだが地面が揺れている。足元ではない。上の方――直江が
進もうとしている方からそれは伝わってくる。
地震?いや違う。この音――覚えはあるが思い出せない。
振動――いや振動の音は、静かにこちらに近づいてくるようだった。
川の音がいやにはっきりと聞こえてくる。 (川・・・?)
直江ははっと目を見開いた。
気がつけば蘭丸達の気配はどこにもなくなっていた。
(しまった――!)
そう思った次の瞬間、行く手から水をたっぷり含んだ土砂の壁が、
凄まじい勢いで山の斜面を削りつつ、直江を飲み込まんと襲いかかってきた。
07. 21. 1:00 A.M. 念の嵐が吹き荒れていた。
行く手に立ちはだかり、攻撃を仕掛けてくる兵たちを、高耶は次々とたおしていく。
しかしたかが見張りとはいっても織田の配下のものたちだ。統率のとれていない土佐の怨霊たち
とは手応えが違う。こんな時に《調伏力》が使えないのは、つくづく痛かった。
ゴウンッ!と音を立てて、高耶の周りに炎の壁ができる。燃えさかる炎は高耶の肉体を傷つけは
しないが、他の者には普通の火だ。高耶に群がっていた憑依霊たちはさすがに怯んで遠ざかる。
こんなところでぐずぐずしてはいられない。高耶は階段を駆け上がり見張りが立っているドアを狙う。
叫び声も上げさせずに一撃で昏倒させ、部屋に押し入った。そこにいた警備の指揮をしている
らしい者を捕らえて壁に縫いつけた。
「信長はどこにいる」
「あ・・・ぐっ・・・」
首を抑えつける腕の力をさらに増したが、息ができずに顔を真っ赤にしながら首を振る 。
どうやら本当に知らないらしい。
高耶は舌打ちして手を離し、その途端に兵が激しく咳込むのにもかまわず走り出した。
――おまえが逃げれば、直江は死ぬ。(逃げはしない。信長)
向かってくる兵たちを蹴散らしながら、高耶は唇を引き結ぶ。
呪をかけたのが信長ならば、信長を倒せば呪は解ける。
何より、ここまで来ておめおめと逃げ帰る高耶ではない。 ズタズタに裂かれてほとんど用を
なさなくなったカッターシャツの上から、右胸のあたりを押さえて「それ」の存在を確かめる。
今はつけることができない霊枷…だがこれはいつしか、戦地に赴く時のお守り代わりと
なっていた。
(おまえはいつもオレの側にいる)
だから大丈夫だ。オレは勝てる。
いつもそう自分にいいきかせて――「信長!」
叫びながら奥へと進む高耶の前に、人影が立ちはだかった。
行く手を遮る者の正体に、高耶ははっと立ち止まる。
「――千秋・・・」
「――奴はここにはいねぇぞ」
腕を組んだまま、長秀は無表情にそう言った。
「な・・・に・・・っ」
「ま、他でもないお前のラブコールを聞いたら、小次郎の体で相手してくれるだろーけどよ。
どこにいるかは知らんが信長本人がここにいるとは思えないね」
つまり、長秀も信長の所在は把握していないのだ。知っているのはおそらく織田の中でも蘭丸
のみだろう。
呆然とする高耶に長秀は畳み掛けるように言葉をつぐ。
「第一おまえ、今の自分があいつに勝てると思ってんのか?まともに《力》もコントロールできない
身体で、その上胸糞悪い念をためこんで。今のおまえを倒すのなんか赤子の手をひねるより
簡単だぜ・・・そう、この俺でもな」
言い放つと同時に攻撃を仕掛けてきた。ものすごい重圧が高耶の周りにかかった。《護身波》を
ほんの少しでも緩めたら最後、一瞬のうちに肉塊と化すだろう。
一見静かに睨み合っているだけの、しかしその実凄まじい力と力の拮抗が続いた。
「ゥォオオオオ――ッ!」
やがて全身を朱に染めた高耶が阿修羅の形相で長秀の念を押し返し、再び激しい念の応酬が
始まる。
「!」
ビシッ!と音がして、熱い痛みが高耶の胸を走った。はだけたシャツごと、真一文字に皮膚を裂かれ、
真紅の線が走った。かまいたちだ。念をカッターのように使うことで護身壁を通りぬけたのだ。
(――!)
切られた痛みよりも、心臓の上で「それ」が割れた感触に、高耶の表情が凍りつく。
「どうした景虎!この程度で怯むおまえじゃねーだろ!それとも謙信に捨てられて本当に腑抜けに
なっちまったのかよ・・・ッ!?」
ゴォッ――!
言い終える前に炎が長秀を取り巻きそのまま吸い込まれるように体内に入った。途端に全身を
内側から灼かれる感覚に長秀は床に転がって苦しみ出した。
「ぐあぁぁぁ――!!」
のた打ち回って苦しむ姿を、高耶は真紅の涙を流してみつめていたが、やがて身を翻してもと来た
方向へ駆け出した。
「…ふん」
鏡を眺めていた小次郎はさして面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
窓の外では侵入者と逃亡者で大騒ぎだ。だが内外の喧騒もこの部屋には一切聞こえて
こない。 この線の細い若者が、鏡を通して視ているものを察して、蘭丸が主人の代弁をする。
「長秀も口ほどにはありませんね」
「なに。結局奴は甘いのよ。だが少しは時間稼ぎにはなったがな…お蘭、害虫駆除の手配は」
「すでに準備は整っております。景虎が戻る頃にはあらかた片付いているかと」
小次郎はクク・・・と喉を鳴らした。
「それもあそこから生きて出られればの話だがな」
生意気な美獣よ。もう一つの祖谷の表情をおまえは知るまい。
自分が「何の下」でくつろいていたのかを知って、せいぜい驚くがいい。
くつくつと笑い続ける小次郎の額には、禍禍しい印が真紅に輝いていた。
<つづく>
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