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「・・・さん・・・高耶さん!」
はっと我に帰ると、目の前に心配そうな男の顔があった。
「・・・直江」
「大丈夫ですか」
ここにくるなり放心してしまった高耶に、熱でもあると思ったのか、
直江が大きな手を伸ばしてきた。
その瞬間――言い知れない戦慄が高耶を襲った。
「触るなっ!」
パシッと音を立てて、差し伸べられた手を払いのけていた。
驚いたのは当の高耶だ。呆然と自分の手を見た。
いつもなら、直江に触れられるのは決して嫌ではなかった。
むしろ彼の大きな手にやさしく自分の髪を梳かれると、
どんな不安も癒される気がした。
なぜかはわからない。
ただ――
高耶は、叩かれた手を宙に浮かせたまま、同じく呆然としている
男を見上げた。
「あ・・・」
悪い、と続けるはずだったその舌が、直江を見て凍りついた。
唇が震えているのが自分でもわかる。
そんな反応を自分自身掴みきれずに、高耶は立ち尽くした。
ただ黙って見上げるその表情を後悔と受け取ったのか、
直江はとりなすように微笑んだ。
大丈夫ですか、と再び問うのに、今度は軽くうなずいて、
先に室内に入る。
すれ違うときに、極度の緊張を悟られないように細心の注意を
払いながら――
昨夜みた夢のせいだろうか。
なんだか今日はおかしい。
その表情も言葉もいつもと変わらないはずなのに。
――直江が、とても怖かった。
「すごい残留念気ですね」
衣装室を見回して、直江はわずかに眉を顰めた。
殺された女はよほど怖い思いをしたのだろう。
耳をつんざくような悲鳴が今でも生々しく聞こえてくる。
部屋は現場検証も済んで元通りに片付けられているが、
結婚式直前の花嫁が座ったまま首だけ切り取られるという
異常な事件があっただけに、さすがにこの部屋は使われていない。
これで5件目だった。地域はばらばらだが、いずれも被害者は
花嫁ばかり。手口等も似ていることから、猟奇殺人事件として
報道され、式をキャンセルするカップルが続出しているという。
高耶は被害者が座っていたという椅子を調べた。
血痕の類はない。この件を直江に持ちかけた、直江の知人の
刑事によれば、血は一滴もこぼれていなかったという。
切断面はウォーターナイフで切ったように『不自然に』滑らかで、
凶器は特定できてないという。
争った形跡も、犯行の痕跡も皆無のため、殺害されたのは
他の場所ではないかと警察はみているが・・・
「違う。彼女は間違いなくここで殺されたんだ」
高耶は断言した。
「・・・来るのが遅かったな。いろんな人間が出入りしたせいで、
襲った相手の≪気≫が薄まりすぎている。晴家なら あるいは
何かわかったかもしれないが・・・」
あいにく彼女は怨将がらみの調査で出張中だ。
高耶は椅子を元に戻すと、一歩下がってかがんだ。
床に手を当てて目を閉じる。
直江は霊査の邪魔にならないように静かに控えている。
しばらくして高耶は顔をあげた。
「何かわかりましたか」
片手を顎に当てて思案する高耶に、静かにたずねる。
「・・・怨霊か人外のものか――よくわからない。
人間だとしてもほとんど獣に近い」
明らかに、これは生きた人間の犯行ではない。
ただ、と高耶は続けた。
「そいつが現れた痕跡がここだけというのが気になる。
奴はどうやってここに現れ、どこに消えたのか」
普通、何かが現れるのにはなにがしかの要因がある。
昔何かあった場所だったり、いわくのある品が置かれていたり、
あるいは≪気≫が歪んでいてそういったものを引き寄せやすく
なっていたり、等々。
しかし、ここには何もない。
「介添人が妙なことを言っていたな」
「ええ。お手洗いに行って戻ろうとしたら、この衣装室がなかなか
見つけられなかったと。手洗いからこの部屋まで5メートルと
離れていないにもかかわらず、です」
結局15分もフロア内をうろつくはめになり、そのうち花嫁の両親や
花婿も騒ぎ出して、ようやくたどりついたらこの惨事だったという。
「・・・やはりこの部屋だな」
小さく息をついて、先刻の椅子の前のドレッサーに手をつく。
ふと、鏡を見た。
そこに映った瞳が鋭くなる。
先刻とは違う感覚に、片手を鏡面に伸ばした。
高耶の背後に食卓が移っていた。
白のテーブルクロスをかけた長テーブルに、銀食器がきちんと
並べられている。
その向こうに肖像画があった。
よく見えないが、貴族風の身なりの男の絵だ。
肖像画の男が、こちらを見た。
ニヤリと笑った。
(まさか――!)
振り向いた高耶の瞳が極限まで見開かれた。
「高耶さんっ!」
切羽詰った声をかき消す、絶叫。
伸ばされた手をとることもなく、高耶は昏倒した。
つづく
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4年前の原稿・・・書くものは変わったものの文章力はぜんぜん進歩してない・・・(爆)。
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