夜明けまではまだ時間があるようだった。
仰向けに横たわっている高耶のそばに、直江は呆然と座り込んでいた。
気を失った高耶の頬はまだほんのりと上気している。
激しい行為のために全身はしっとりと濡れていたが、夏とはいえ明け方前の外気で冷えていく汗も、
下半身を濡らすどちらともつかない精液も、下肢から精液と共に流れる赤い筋も――
このままでは風邪をひく、と頭ではわかっていても、身体は縛されたようにその場を動けなかった。
(汚した)
頭の中の《声》が責める。
(穢した)
(貶めた)
(彼を)
ドクン、と心臓が大きく鳴った。
(不潔)
(不潔)
(最低)
「あ・・・」
直江の目が大きく見開かれる。
反論したくても言葉が出ない。
見えない小さな手で心臓をわしづかみにされたかのような苦しさに、呼吸も浅く乱れる。
(やっぱりあなたではだめ)
(こんなかたちでしか愛せない)
(このひとの飢えを)
(一時の快楽で忘れさせるだけ)
「や・・・めろ」
複数の鐘が鳴り響くように繰り返し頭の中で糾弾する声。
両耳を塞いでも何の効果もない。
《声》はそのうち直江自身の声になった。
《声》と自分の本心の区別が次第に曖昧になってくる。
(死んでしまえ)
(生きてこのひとを癒すことができないなら)
(汚らわしい欲望の対象にしかできないのなら)
(俺ではこの人を幸せになどできない)
声は猛毒のように体中を駆け巡る。
自己嫌悪などというかわいいものではなかった。
目前にさらされた、高耶の陵辱の跡がさらに直江を糾弾する。
横たわった高耶の向こうで、髪を取り巻く炎は未だ青々と燃えている。
直江はもはや考えることもできぬまま、伸ばした手の先に触れたものを取った。
(もはや生きる価値などない)
(死んでしまえ)
ごつごつとしたそれを手の中に握りこみ、喉元にその切っ先を当てる。
直江は目を閉じると一度それを引き、一気に突きたてようとした――
「直江!」
《力》で直江の動きを止めると、高耶は直江の手に飛びついてそれをもぎ取ろうとした。
しかし直江はそれを離そうとしない。
「何やってんだよッ!正気に戻れ!」
「離してください!私ではダメなんだッ」
こんな形でしか愛せない。奪い、傷つけ、拘束し、その重さに苦しませるだけ。
このひとの苦しみはたった一時、刹那の快楽で忘れさせることができるだけ。
この時の直江は完全に冷たい絶望感の虜になっていた。
高耶は険しい目で直江を睨む。
「そうやって逃げるのかよ!」
頑なに凶器を握りこむ拳に爪を立てながら高耶は叫んだ。
「たとえ何百年生きたって理想的な関係なんてそう簡単に築けない。
そんなもの実際にはありえないかもしれない。
だけどオレ達はずっと探してきただろう?
最上のあり方を、今だって探しているだろう?
オレ達はこれからじゃないのか。なのにおまえは今それを捨てるのか!」
今になってオレを一人にするのか…!
高耶の叫びに、直江の手の力が一瞬、緩んだ。
不意に緩んだことで、力いっぱい直江の手を掴んでいた高耶の手が勢いあまる。
高耶の方に向いた切っ先をはっとした直江が引こうとしたが、遅かった。
「――ッ」
高耶が大きく目を見開く。
直江が声にならない叫び声をあげた。
目を見開いたまま、喉から鮮血を噴出しゆっくりと後ろに倒れる。
遠くで直江が何か叫んでいる。
不思議と痛みは感じなかった。
ただ体内からどくどくと何かが流れ出る感覚だけ。
力も、意識も、急速に萎えていく。
視界が完全な暗闇に覆われる直前に、喉から何かを抜かれる感触がした。
続いて降りかかってきたおびただしい熱い液体。
そして重い暖かい身体が覆いかぶさった。
(直江・・・?)
高耶にのしかかった身体はぴくりとも動かない。
どうしたのかといぶかしむ間もなく、高耶の意識はそれきり闇にのまれた。
<小説部屋へ>
直江のバカ・・・。