The Spell

5


    

 

「じゃ俺はこれで」

「えーまだ早いじゃない。どうしたのよ」

「明日ヤボ用があってね。また連絡するわ」

その夜千秋修平は、彼にしてはめずらしく、日付が変わる前にアパートに向かっていた。
明日は高耶と一緒に能登へ行く事になっている。別に夜遊びの徹夜明けの運転など
へでもないが、運転が雑になれば横で高耶がうるさく騒ぎ立てるに違いない。

ったくめんどくせーな、と千秋はひとりごちる。高耶とて好きこのんで千秋の車に乗る
わけではない。いつもならこんなときは直江が同行したはずだ。だが直江が横浜で突然
倒れてからというもの、高耶は直江をしばらく夜叉衆の仕事から外すことにしたらしい。

「直江の過保護がうつったんじゃねーのかあいつ。アレがそう簡単にくたばるタマかっつーの」

400年間、さんざん心理的な重圧をかけつづけたくせに、今さら身体の心配をするなんて
大概だとおもう。もっとも、一度思いが通じ合ってしまえば、次に考える事はいかにその
幸せを長続きさせるかということになるわけで。ゲンキンだが人間なんてそんなものだ。
なんにせよ、 あの二人のことに関しては深入りするだけ馬鹿をみるということは
今までの経験からいやというほどわかっている。せいぜい飛んでくる火の粉を
かぶらないように、距離をおいて見守っているのが賢明というものだ。

「ま、さっさと行ってさっさと帰ってくるとすっか」

そのためにはまず睡眠――とアパートまでたどりついた時、階段の真ん中あたりの段に
何かが置いてあることに気がついた。

「あ?人形…?」

それは市松人形のようだった。上等な赤い布地に金糸の刺繍が施された振袖に、これまた
上等な帯をしめた、見るからに高価そうな代物だ。保存状態もわるくなく、黒髪は生きている
人間の髪そのもののように光沢があった。

なぜこんなところに置いてあるのかわからない。このアパートには小さな子供づれの家族は
住んでいないはずだ。近所の子供が遊んでいて置きわすれていったのか。

「にしてもこんな人形なくしたらフツー大目玉だよな」

このまま通りすぎるべきか、部屋に持って行くべきか悩んでいた時。
人形と、目が合った。

そう――「物」にすぎないそれの目が、きろっ…と千秋の方を向いたのだ。

「な――」

目を剥く千秋に、それは赤い唇の両端をつりあげた。

(憑喪神…ッ)

階段にもたれるように座っていたそれは、すくっとたちあがった。
千秋を目がけて空中を飛んだ。
濡れた黒々とした黒髪が蔦のようにのびる。それは千秋のはった護身壁を難なく
つきやぶり、首に絡み付いた。

「う…あああッ」

《力》で切段しても髪は後から後から巻きついてくる。濡れた髪はギリギリと首を締め上げ
続けた。
千秋の顔が赤からどす黒く染まる。
なすすべもなく、とうとう力を失った四肢に髪はなおも巻き続け、動かなくなった身体を
黒い繭のなかに閉じ込めていった――

 

 

 

その日、約束の時間より少し早めに高耶のアパートを訪れたのは、約束していた
人物ではなかった。

「なんでおまえがここにいる」

「長秀なら来ませんよ」

何、と眉をひそめる高耶に、いつもながら黒のスーツに身を包んだ男は涼しい表情で
答えた。

「代わりに行きたいと言ったら喜んで代わってくれました。いまごろはどこぞに遊びに
行っているはずですよ 」

「あのバカ…!」

帰ってきたらどうしてくれよう。高耶は拳をわなわなと震わせたが、まずは目先の
問題をかたづけなければならない。彼は顔をあげてきっと直江を正面から睨みすえた。

「千秋が行かないなら一人で行く。おまえは帰れ」

「足がないと不便でしょう?それに車でいくつもりだったのなら、電車の時間も調べて
ないんじゃないですか」

「なんとかなる。どけっ」

「高耶さん!」

直江は高耶の両肩をつかんだ。これ以上ないほどの真剣な目で高耶の瞳をのぞきこむ。

「私のことを心配してくれるのはうれしい。だけど、あなたの側にいることで得られる幸せを
私から取り上げないでほしいんです」

高耶は目を見開いて直江を見た。直江は真摯な瞳で言葉をつぐ。

「あなたに会うまでの28年間、私は健康でよい家族に恵まれて生きてきた。でも本当の
意味では「生きて」などいなかった。いくら安全なところに身を置いて生き長らえようと、
あなたの側にいられないなら死んでいるのと同じなんです」

「…それで無理して早死したら、元も子もないだろ」

先立たれる恐怖を一度身をもって体験しているだけに、高耶は頑なだ。唇を噛んで俯く
高耶を、直江はそっと抱き締めた。

「なら、こうしませんか」

腕の中にいとしい人の体温を確かに感じながら、直江は囁いた。

「仕事はあなたにまかせます。現場に連れていきたくなければ私はホテルで待っています。
だから、私も連れて行ってくれませんか」

絶対に大丈夫だから、と熱心にかきくどく直江に、高耶はとうとう抱き込まれたまま溜息を
ついた。

「…どうせ断っても勝手についてくるつもりのくせに」

「おいしい刺身、ごちそうしますから」

「おまえ、食べ物でつれば何とでもなると思ってるだろう」

とんでもない、と微笑む直江に憮然としながらも、高耶は着替えの入ったバッグを直江に
おしつけると、下で待っているだろうウィンダムへと歩き出した。

 

続く

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火の粉をかぶらないよう・・・といいながらしっかりかぶっているよ千秋(笑)