The Spell

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「ねえ先生、私この調子で第一志望受かるかな?」

古文の問題を解いている最中に、ふと忍がきいてきた。隣で見守っていた綾子が
顔をあげた。

「そうね…3年になっても今の調子をキープできれば大丈夫じゃないかしら。」

忍の志望校は国公立だ。今まで病気の治療で両親に金銭的にも精神的にも負担を
かけてしまったから、大学に行かせてもらえるならせめて学費の安いところに行きたい
のだという。

「でもご両親は私大でもいいって言ってくれているんでしょう?」

「うん…でも」

「忍ちゃん。あなたのその気持ちはとても大切だけど、無理は禁物よ。あなたは今
十分頑張っているんだから、身体をこわしてご両親を心配させちゃだめよ」

去年はほとんど学校に来れず、今年は2度目の二年生だ。 明るくなった性格の
おかげで友達もでき、学校生活は楽しくやっているようだが、やはり激しい運動は
医者に止められ、帰宅が遅くなる心配からクラブにも入れない。綾子には時々こぼす
ものの、つい半年前まで自分がどんな状態だったかを忘れていないためか、わがまま
を言って困らせることはない。

忍の気持ちを気遣いながらも、今日の綾子には聞き出したいことがあった。

「…そういえば、この前新聞に出ていた事件、あれ忍ちゃんの高校の先生だったわよね?」

あえて「変死体」云々は口に出さず、探りを入れると、忍は問題を解こうとする手を止めた。

「…うん。松田先生。うちのクラスの古文の先生だったよ。学校に警察の人がきてた」

「お気の毒ねぇ。どんな先生だったの?」

純粋な興味を装って綾子がたずねると、忍はんーと小首をかしげた。

「別にフツウ。授業で特におもしろい事を言うわけでもないし、みんな内職してたな。
訳とか品詞とかは教科書ガイドみればわかっちゃうしね」

「こら」

といいつつ、綾子も怨霊退治と学校生活を両立させるために似たようなことをやっていたから、
ひとのことは言えない。苦笑しながらも今度こそ問題を解くのに専念させた。

 

 

 

「夜の学校って無気味よね〜」

400年も怨霊退治をしている夜叉衆とはおもえないセリフを呟きながら、綾子はよっ、とフェンスを
乗り越えた。

県立河南高校。忍が通っている高校である。担任を持っているわけでもない、非常勤講師に対する
関心などそんなものか、自宅のアパートで変死体で発見された松田について、忍からはあまり
役に立つ情報は得られなかった。

たとえ松田が誰かに殺されたのだとしても、怨霊がらみでなければ綾子の出る幕ではない。ただ
事件が忍のごく身近で起こったということだけがひっかかった。学校に行ってもたいした情報が
得られるとはおもってないが、もし霊がらみならば何か痕跡がないか・・・と一応霊査しに来たのである。

がらんとしたグラウンドを見まわし、地面に手をついて目を閉じる。
だがこれといっておかしな<気>は感じなかった。校舎にも異常は感じられない。
綾子は校舎の中に入り、少々<力>を使って国語科準備室のドアを開けた。
警備員が来るかもしれないから、あえて明かりはつけない。
運よく満月に近い月明かりが室内を照らしていた。


この机のどれかを松田は使っていたはずだ。
だがどれが松田の机か、捜す必要はなかった。

(なに…このにおい…)

ドアを開けるまえからほのかに漂っていた。だが部屋に入ってからその匂いは次第に強くなっていく
気がする。
綾子がよく知っている匂い――これは、死臭だ。

「!」

振りかえると、中央の机に蒼ざめた肌をした男が立っていた。
目や口から血を流しながら静かに立っている。通勤服らしい、白のワイシャツと灰色のズボンは
透けて、向こうのドアが見えていた。

「松田さんね?」

綾子が口を開く。

「何があったの?誰があなたを…」

松田はどこか呆然と目を見開いたまま、ゆるゆると蒼白い右手をあげた。
綾子の方を指差している。

いや――彼女の背後を。

綾子は振り返り、そして息をのんだ。

窓の外に、人形が浮いていた。
素人目にも高価なものとわかる、見事な市松人形だった。月の光の中、美しい黒髪をたなびかせて、
それは宙に浮いていた。
人形はじっと綾子をみている。禍禍しい微笑と共に。

「こ…のッ」

咄嗟に念を放つ。だが、

(すり抜けた!?)

くすくすという子供の笑い声が綾子の頭に直接響く。
人形は嘲笑うように綾子の念をかわすと、上へと跳んだ。

(屋上…!)

綾子が部屋を飛び出す。 廊下を駆け、階段を上り、最上階の扉を開けると、そこには
フェンスに仕切られた広い空間が横たわっていた。

正面のフェンスの側に、人影があった。
長い髪を微風にそよがせている、セーラー服姿の少女――

微風に乗って先刻かいだ死臭が漂ってくる。
先刻よりも強く――山内忍の身体から。

「忍ちゃん…」

忍はうっすらと微笑んでいた。鮮やかな、しかしうすら寒くなるような微笑だった。
華奢な手に何かを持っている。

「松田のこと聞きたい?先生」
「しのぶちゃ…」
「あの男はね、私の身体に触ってきたんだよ。出席と成績のことで話があるとか言って」

手の中のものを綾子に見せる。
忍がいつも作っている、マスコット人形だった。
ウェーブのかかった長い栗色の髪と見覚えのある服――その人形はまるで…。

「私に触れていいのはあの方だけよ」

人形を手にしているのとは反対の手をふりあげる。
その指先がきらりと光った。

「私の邪魔をする人間は許さない」

月光に鋭く光るその針を、手もとの人形――綾子そっくりのそれに無造作に突き立てる。

「アアアア――ッ!」

凄まじい激痛が心臓を襲う。
絶叫と共にコンクリートに転がる綾子を、忍は冷たい表情で見下ろした。
虫けらを見るような目だった。

 

「――もちろん、あの方に近づく人間もね」

 

 

続く

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早くも高耶さん以外の夜叉衆全滅・・・?