The Spell


    

 

 

埼玉県鴻巣(こうのす)市にある人形町。
人形工房「藤田屋」は創業が江戸時代という老舗で、数年前に亡くなった勝田周蔵は
人間国宝にまでなった名匠だ。今は息子が後を継いでいる。

研ぎたての木や塗料の臭いがまざった工房にはそこここに人形のパーツが置いてある。
市松人形だけでなく雛人形、五月人形といろいろなものを扱っているようだ。

市松人形だけでもいろいろある。男児の格好をしているもの、おさげ髪のもの、足が立つもの、
大きさもさまざまだ。
いや、顔をみればどれひとつとして同じものはない。やさしげな顔、凛々しい顔、憂いを秘めた顔…
彼らは美しく装われて、自分の主人が現れるのをまっている。もっともここでは店頭売りはほとんとせず、
もっぱら注文に応じて作っているのだそうだ。

主人は先々代の作品、勝田吉右衛門の作った人形を見せてくれた。
それは少年とも少女ともつかぬ、神秘的な雰囲気を漂わせた見事な市松人形だった。

「人形には魂が宿ると言われていますが…祖父の作る人形は怖いくらいにそれを感じました。」

今にも動き出しそうなその人形を、息を飲んで見つめる高耶に、初老の主人は語った。

「父の…先代の技が劣っていたわけではありません。私の目標は今でも父です。
ですが…祖父の仕事は神懸り的なものだったと、父はずっと言い続けていました」

髪は人の毛髪を使っている。微風にもなびくその繊細さは人工のものではまねできないものだから
だそうだ。通常は業者から質のよい髪を仕入れているのだが、時々客の容貌で、客や彼らの子供の髪を
使ってつくるように依頼されることもあるようだ。

老舗というだけあって、ここには初代からの台帳も保管されていた。
それを見せてもらった。手がかりは名前は知らず、おそらく東京に住んでいただろう、
三十年から四十年ほど前に女の子の髪で人形をつくらせた客、という情報だけ。
ただしあの人形がもっと古いものであったならもはや打つ手はない。

だが実際に見た人形の顔かたちや特徴をもとにいろいろ調べてまわった結果、この工房の作品
である可能性が高かった。

幸い、戦後高価な人形を注文して作らせる余裕のある客はほとんどいなかったらしい。
さらにリストに目を通していた高耶は、ふとある欄に目が止まった。

人形の名前は「はつえ」。依頼者の名前は…

「倉田…藤次郎?」

呟くと、主人はああ、とうなずいた。

「倉田家は代々うちのお得意様ですよ。
昔ながらの風習で、女の子が生まれて十才になると人形をご注文に」

倉田家の娘は本家の娘の証としてそれを嫁入り先にもって行き、生まれた子供にそれを与える。
あるいは死ぬときに副葬品として一緒に葬られるのだそうだ。

「この前も一体、吉右衛門の作品が仏さんと一緒にいってしまいました」

主人は言いながら顔を曇らせた。大事にされた上で逝くのだから惜しいなどとおもっては
いけないのだろうが、それでも先祖の類稀な技による数少ない作品が焼かれてしまうのは
複雑な心境なのだろう。

「この人形がどうなったかわからないか?」

「さあ…そこまでは。
倉田様のお宅は広尾にあります。直接お尋ねになれば何かわかるのではないでしょうか」

高耶はうなずいて、倉田家の住所を聞いた。
            

 

続く

小説部屋へ


人形の名前おひろめ〜