4時間目終了のチャイムが鳴った。
チャイムを聞くと急に腹が減るのは、やはり志賀のいう反射というやつなんだろうか。
いつもは同じクラスの花井や水谷と、なんとなく部活の話などをしながら弁当を食べる阿部だったが、今日は朝錬の後、「今日はヤキューブみんなで屋上でメシ食うんだからな!」と田島が宣言していたため、7組の野球部員は全員弁当を手に席を立った。
部員全員で集まって昼メシなんて、GW以来じゃないだろうか。
朝と午後の部活でずっと一緒のやつらと、昼にまでわざわざ待ち合わせをして食べるなんて、毎回だったら「かったりぃ」と思うかもしれないが、たまになら、こういうのもいいかもしれない。他の奴らはともかく、あのおどおどした三橋が昼休みをどう過ごしているのか、少し気になっていたところだった。田島や泉と同クラだから、まさか孤立していることはないだろうが、何しろ、部活の休憩時間にもよく一人離れたところでで小さくなっているような奴だ。 捕手として、三年間尽くすと決めたその相手とは、部活中ほとんど会話らしい会話をしていなくて、「バッテリーは一心同体」にはまだまだ程遠い状態だった。
運よく今日は晴天だった。
屋上は春の陽気を一面に浴びて気持ちがよかった。
フェンスに囲まれた空間には転々と弁当を食べているグループが座っていたが、他の部員はまだ誰も来ていないようだった。適当に空いている日当たりのいい場所に座り込んで弁当を広げていると、泉と三橋がドアのそばできょろきょろしていた。
「おーいこっちこっちー」
花井が気づいて手を振ってやると、二人とも気づいてこっちにやってきた。
「田島は?」「パン買いに行った」などと会話を交わしながら、泉はさっさと空いている水谷の横に座った。
他の奴らはおっせぇな、とか考えていたら、なぜか阿部のところにだけ、長い影が斜めに差していた。
斜め後ろを振り返ると、三橋が阿部のすぐ斜め後ろでもじもじしていた。
きょどきょどと視線をさ迷わせながらいつまでも座ろうとしないので、阿部はついイラッとなった。
「いつまで突っ立ってんだ、座れよ!」
びしっと隣を指差した。
あ、やべぇ、と思ったときには三橋は3センチくらい飛び上がっていて、それから伺うように阿部をちらちら見ると、それでも隣に、もうひとり入れるかどうか微妙な間をあけて座った。
そうこうしているうちに、屋上への階段から遠い1組や3組の奴らや、パンや飲み物をいっぱいに抱えた田島が到着して、一同は大きな円陣をつくって弁当を食べ始めたのだった。
皆で集まって食べるのは久しぶりでも、会話の内容は普段の教室でしているものと大差ない。練習のこととか、お弁当のおかずのこととか。三橋は会話には加わっていなかったけれど、皆の話を聞きながら嬉しそうに弁当の中身を口に運んでいる。居心地の悪さを感じているとかはなさそうだった。ちゃんとクラスに馴染んでいるのかとか、オレの気にしすぎか、と意識を弁当に戻すと、隣からものすごく見られている感じがして、再びそっちに目をやって――思わず固まった。
さっきまで自分の弁当に集中していた三橋が、こっちを見ていた。
正確には、阿部の手元にある弁当を、だ。いつになく高潮した顔で、阿部の弁当の上によだれをたらさんばかりの勢いで、じぃっと見つめている。三橋の弁当にはまだ半分近く中身が残っている。阿部は疲れた気分になった。
「欲しいのか?」
と声をかけてやったら、三橋はびくっと肩を揺らし、
「えっ、あっ、うっ」
またきょどきょどと視線をさ迷わせた。やっぱりこいつって、よくわかんねぇ。
「欲しけりゃやるよ」
どれが欲しいんだ?と弁当を差し出すも、一向に答える気配がないので、適当に目に入ったハンバーグを箸で一口大に切り分けると、三橋の口元に差し出してやった。すると大して迷いもなく、ぱくりと食いつく。これも反射ってやつだろうか。
反対隣の花井あたりから、なぜかめっちゃ見られている感じはしたけれど、とりあえず無視した。
しばらく味わうようにむぐむぐ口を動かしていた三橋は、阿部の目をまっすぐ見ると、
「お、いしい!」
花がほころぶように笑った。
「そっか」
阿部の弁当の具は弟の弁当に合わせて作られているようなものだが、それでもめったに見られない笑顔で褒められればなんとなく嬉しい。
よかったな、と三橋を見れば、三橋は箸を宙に浮かせたまま、なぜか呆けたような顔をして俺を見ていた。
まるでなにかすごく珍しいものを見たとでもいうように。
自分がどんな表情をしていたかなどまったく自覚していなかった阿部は、原因を探すように三橋の手元に視線をさまよわせ、ふと指先に目をとめた。
「爪が伸びているな」
「う、えっ?」
右手を掴むと驚いたのか、箸を取り落としそうになった。それを難なく取り上げて、阿部は三橋の5本の指を仔細に調べた。
ところどころヒビが入ったり、かけたりしている。爪の長さはなぜか5本ともばらばらだが、そのうちのいくつかはもう切らねばならない長さだ。
このまま投げれば今日にでも爪が割れるかボールに引っ掛けるだろう。
阿部はこんな状態になるまで三橋の爪をチェックしなかったことを悔やんだ。
投手は他人に言われなくとも自分の爪の手入れを怠らないものと思っていたが、三橋はどうやら「自分大事」な投手の常識には当てはまらないらしい。
(こいつが気をつけないなら、オレがしっかりしなくちゃな)
阿部の中に、妙な使命感のようなものが生まれた。
「保健室で切ってやるから、メシさっさと食っちゃいな」
阿部は有無を言わさぬ口調でそういうと、三橋の手を離して取り上げた箸を返し、さっさと弁当を片付けはじめた。
弁当食ったら食休みして、ストレッチした後保健室に行って爪きりを借りよう。ぐずぐずしている暇はない。
「・・・阿部、おまえなあ・・・」
呆れた声に顔を上げると、花井がなぜかとても疲れた表情で阿部をみていた。他の皆も同じような顔でこっちを見ている。
「何だよ」
「・・・・・いや、いい」
箸を止めずに目だけ花井君に向けると、花井は諦めたように首をふった。んだよ、何か言いたげな顔しやがって。
奇妙な雰囲気の中、三橋だけはひとり幸せそうにうへへと顔を緩ませていた。
「へんかな?」へ
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