二回目の・・・

3

 

 

触れたい、とおもう気持ちは、交際している相手に抱く、当然の感情なのかもしれない。
だが、その相手に恋情のみならず、好敵手として相応の敬意をも抱いている場合、やみくもに触れたいと願うのは、相手を貶めることになりはしないだろうか。
彼のあの時の姿を回想することは、自分にとって唯一無二の相手を穢すことになりはしないだろうか。

 

ポスッ、と頭を叩かれてようやく顔を上げると、桜庭が白い紙の束が中に入ったクリアファイル片手に、仁王立ちしていた。

「このあたりにあって、受付が無人で、料金が手ごろなところのリスト。まったく、アイドルにこんな調べものさせないでよね」
「・・・すまん」

進は素直に謝りながらファイルを受け取った。
自分の家にも彼の家にも家族がいる。
たとえ家族が寝静まっていても、彼らがいる時に行為に及ぶのはセナが嫌がる。
ならば、どこかそういうことを気兼ねなくできる場所はないか。
桜庭に相談したら、彼はいつものように呆れつつも、こうして調べてきてくれた。

今の状態を何とかしたいと考える一方で、そこまでして彼に触れたいと思う自分がひどく浅ましく思える。

最近、セナには極力触れないようにしていた。
彼は以前進を拒んだことで、進が怒って避けていると思っているらしい。
気にしていないといったのだが、自分でも不自然に思える態度を彼にとり続けているのだから、誤解がとけないのも無理はない。
泣きそうな顔でこちらを伺い見る、彼の視線を背中に感じるたびに、抱きしめたい衝動を奥歯でかみ殺している。
今、触れてしまったら。今度は彼が嫌がろうが暴れようが、ところかまわず押さえつけて行為に及びそうだ。
毎朝の黒美嵯川ぞいのランニング。彼より前を走っているのに、いつしか背後ばかりを気にしている。
少し遅れて走るセナの、少し荒い息遣い。頬を伝う汗は小さく尖った顎から鎖骨のくぼみへとすべり落ち、なめらかな胸を伝ってみぞおち、さらにその下の秘めやかな場所へとしたたりおちるだろう。
Tシャツのの下でしっとりと濡れた彼の身体を想像すれば、厄介な下肢がスグリと熱をもち、形を変えようとする。
そのような自分の状態を知られたくなくて、ますますペースを上げ、あるいは身体が触れないように距離を置く。

彼は気づいていないだろう。自分の醜い欲望に。
背中越しに感じる、尊敬や羨望が入り混じった、素直な賞賛のまなざし。
つきあってだいぶ経った今になっても、彼はくすぐったいそんな視線をこっそり自分に注いでいる。
もし彼が自分のこんな心中に気づけば、彼のまなざしは即座に失望と侮蔑に変わるだろう。

これまで、誰かに実際よりもよく見られたいなどと思うことはなかった。
それ以前に、他人の評価を気にしたことすらなかった。
常にありのままの自分でいたし、それで評価されないならば、己の鍛錬が足りないのだと納得できた。
だが今は。曇りのないあの大きな目を常に意識している自分がいる。
たとえそのために誤解されようとも、彼に軽蔑されたくない。
桜庭に言わせれば「無駄なやせがまん」なのだろうが、
彼が尊敬している男がこんなに卑しいことを考えているなど、知られたくなかった。

 

 

 

あれから、進の背中ばかりを見ている気がする。
それは進がセナを避けているせいでもあり、そんな進の顔を見るのが怖くて、セナがうつむいているせいでもある。
進が前を走っている時だけは、顔をあわせずに彼を見つめることができるから。
朝日を受けて水面が光る、黒美嵯川ぞいを走りながら、進の荒い息遣いとたくましい背中にセナの意識は注がれる。
スウェットの下では、きっと汗が筋肉の隆起の谷間を伝って、とめどなくながれている。
あの広い背中にすがったのだ。汗で滑りそうになるのを必死でしがみついて。
力強く動く腰に両脚を巻きつけて、自分から彼を奥へと迎え入れた。
その時のことを考えていたら、うがたれた熱と痛みまで思い出して、
下肢が勝手に熱をもってしまった。

(あわわ、朝のランニング中に何考えてるんだっ)

ぶんぶんと首を振って、熱を散らそうとするが、なかなかうまくいかない。
トレーニング中にこんないやらしいことを考えて反応しているなんて、進には絶対に知られたくない。

「どうかしたのか」

そんな時に限って振り向くから、セナは飛び上がった。
進にしてみれば、後ろを走るセナの呼吸や歩調が、突然乱れたから不審に思ったにすぎないだろうが、
セナにとっては、自分の心の中まで読まれたかのようなタイミングだった。

「いっいえいえいえっ、何でもっ」

慌てて首と両手をせわしなく振ると、進は一瞬、何か言いたげな顔をしたものの、
結局、一言「そうか」とうなずいて、再び背中を向ける。
ふたたび自分から離れていこうとする後姿に、セナは鋭い痛みを胸に感じた。

嫌われたくないから、距離を置かれても何も言えなかった。
以前のような触れ合いはなくなったけれど、毎朝のランニングはこうして一緒にしてもらえる。
前を走る彼の背中を、セナは追いかけているだけだけれど、時々こうして、気遣ってくれる。
付き合う前なら、それだけで十分だった。でも今は。

(こんなの、いやだ)

ならどうしたいのか、とか考える前に、走り出す背中にしがみついていた。
久しぶりに触れた、彼の身体。彼の匂いがする背中に、自分の顔を押し付けて、
ただ夢中で、進さん、と呼んだ。
細い両腕を精一杯腰に巻きつけると、まだ熱がくすぶる身体を、進の身体に押し付ける。

「僕、進さんとしたいです」

ついさっきまで、あれほど知られるのを恐れていた望みを口にすると、抱きついた背中がピクリと震えた。

 

つづく

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