十一月 銀杏

3

南郷が山の上の社にたどり着いた時には、もうとっくに日は暮れていた。
だがここのところいつも真っ暗だった社には珍しく明かりが灯っていて、迎え出た女房も、いままでのように「主人は留守です」と追い返すことはなく、どうぞ中でお待ちくださいと、アカギの居室に案内してくれた。

庭には紅葉、竜胆、女郎花 桔梗など秋の花木が色どりを与えているはずだが、灯篭に照らし出された部分を除いて、そのほとんどは闇に沈んでいる。

部屋には通されたものの、アカギが来る気配はない。女房に尋ねても、お待ちくださいと答えるばかり。


用意された火鉢に両手を掲げ、震えながら半時ほども待っただろうか。
ふいに遠くから水音が聞こえた気がして、南郷は庭から目を離し、部屋の奥を振り返った。
社の裏――つまりこの屋敷の裏には小川が流れている。だから水音がするのは別段おかしなことではない。

南郷は耳を澄ませ、それから傍らの砕牙を見た。耳をぴんと立て、反応している。

うれしい確信にいてもたってもいられず、南郷は部屋を飛び出し、庭を回って裏の小川へと急いだ。
だが、そこで目にしたのは、信じがたい光景だった。

「アカギッ…お前、何やってるんだっ!!」

冬物の袷(あわせ)を着ていてさえ寒い神無月、しかもここは山の上である。
この寒空の下、ひと月ぶりに会ったアカギは、ぼろぼろになった狩衣をまとわりつかせたまま、夜の川に入って水浴びをしていた。
アカギは南郷の登場にさして驚いた様子もなく、「ひさしぶりだね、南郷さん」といいながら身体を洗っている。

「風邪引くだろうが!早くあがってこい!!」
「はいはい」

南郷は直衣を脱ぐと、全身ずぶぬれになって川から上がってきたアカギに頭から被せて、水気を吸い取らせた。

「こんな寒い時期に何考えているんだ。湯浴みすりゃいいだろうが」
「いつもここで身体洗ってるけど」
「ああもう、とにかく中に入って温まれ」

部屋の明かりの中で改めて見ると、ぼろぼろなのは衣服だけではなかった。

「野菜じゃなくて薬草を持ってくるべきだったな…」

大きな怪我はないようだが、身体じゅうのいたるところについた切り傷や擦り傷を見て、自分の方が痛そうに顔をゆがめる南郷に、薬草なら庭に生えているけど、傷口は洗ったし、大した怪我じゃないから大丈夫、とアカギは答えた。

「だけど、ちゃんと手当した方が…」
「南郷さん」

冷え切って震えている華奢な身体をさすりながら、おろおろする南郷の言葉を、アカギが遮った。

「欲しいのは薬じゃない」

細い指が、南郷の単衣を、皺になるほど握りしめた。
震えが止まらないのは、寒いからではない。「気」が足りないのだ。
善鬼を手に入れるために、持てる「気」のほとんどを使い果たしてしまった。
そして目の前にいるこの男は、相変わらずあり余る「気」を持っていて、今は心配そうに自分を覗き込んでいる。

「あんたが欲しい」

南郷の目をまっすぐに見上げ、アカギは望みを口にした。


つづく

えっと…亥の子の祝いはどこにいった…。
平安時代に風邪とはいわなかったと思うがそこはそれ。

アカギ部屋