6.5cmの恋人

3

 

どこかでドアが閉まる音を聞いた気がして、快楽に蕩けていた拓海の頭は瞬時に冷えた。

(誰かいる・・・!)

己を慰めていた指すらそのままに、拓海は湯の中で硬直した。
啓介も気づいたらしく、拓海の肩の上に乗ったまま耳をそばだてている。
どうか気のせいでありますように、と祈る気持ちをあざ笑うように、
今度ははっきりと聞こえる足音が、よりによってこちらに近づいてきた。
がちゃりと脱衣所のドアが開く。

「藤原、ちょっといいか」

(りょ、涼介さん・・・!!)

何をどうする間もなかった。慌てふためく拓海の前で、無造作にバスルームの戸が開いた。

 

(なんで涼介さんがいるんだっ)

ここは涼介の家でもあるわけだからいるのは当たり前なのだが、
昨夜ベッドにもつれ込んだときにはいなかったはず・・・。
いや、拓海が家人のいる家でコトに及ぶのを嫌がるのは啓介も知っているはずだから
涼介がいると知って家に連れ込んだりはしないはず、と拓海は信じていたのだが、
昨夜は口に出して啓介に確認したわけではない。

(いったいいつからいたんだよ!?)

内心逆切れして啓介に詰め寄りたい気はやまやまだったが、
実際は涼介を凝視しながらぱくぱくと口を動かすだけだった。
涼介はといえば、朝のバスルームに拓海がいることに別段驚く様子もなく、
また拓海の肩に乗っている啓介の存在にも気づいていないはずはないだろうに、
まったくいつもと変わらぬ涼しげな微笑で「おはよう」とのたまった。

「お・・・おはようございます」

微笑まれて、拓海が頬を染めながら挨拶する。

「取り込み中すまないが、風呂からあがったらそこの生き物を連れてオレの部屋に来てくれ」
「あ・・・はい」

おい!イキモノって俺のことかよ!と拓海の肩口で憤慨する声は綺麗に無視された。

「仲がいいのは結構だが、のぼせないようにな」
「は・・・」

それって、それって・・・。
涼介の言葉の意図を測りかねている間に、涼介はふっと笑ってバスルームから姿を消した。

 

 

コンコンと戸をノックすると中から涼しげな声がどうぞと言った。

「すまないが、ベッドに座ってくれないか」

机に背を向けて椅子に座っている涼介が、拓海に促した。
とまどいながらも、ちょこんと腰を下ろす。
着替えた拓海は啓介をタオルにくるんで手に持っていた。
啓介にしてみればすまきにされているも同然だったが、着替えがないので仕方がない。
二人は医者の診立てを待つように涼介の言葉を待った。
涼介はタオルにくるまれた啓介を一瞥するとふうと溜息をついた。

「啓介。おまえこれを飲んだだろう」

と目の前にかざしたのは、何の変哲もない、スポーツ飲料のペットボトルだった。

「啓介さんっ、あんたやっぱり!」
「っせーな、汗かいた後なんだから喉渇いて当然だろ」

さっそく口喧嘩を始める二人を制して、涼介はかざした500mlペットボトルを裏返した。
おなじみのロゴの上に黒マジックで「飲用厳禁」と几帳面な字で書かれている。

「冷蔵庫に入れていたのがなくなっているからまさかと思って、
さっき啓介の部屋から発掘してきた。
中身は実験途中の、微生物を使った養毛剤の試作品だが・・・
おまえよく無事だったな」

これを無事というのだろうか・・・
ってか、そんなもん自宅の冷蔵庫に入れておくかフツー?

涼介以外の二人は同時に思ったが、口にはできなかった。
涼介が持ち込んだ薬品が原因でこうなった以上、
元の姿に戻る鍵も涼介がにぎっている。下手なことは言えない。

「啓介さん、飲んで気づかなかったんですか?」

いくらなんでも養毛剤なんて・・・と呆れた目で見下ろす拓海の手の中で、
啓介は目をつりあげて訴える。

「だってちゃんとダ●ラの味だったぞ!それに・・・そうだ、おまえも飲んだだろーが!」

小さな指をむけられて拓海はきょとんとする。

「口移しで飲ませたろ。あん時おまえ、少しだけ目覚ました」
「・・・あ!」

口移し、で思い出した。
いつのまにかいなくなっていた温もりに、泥のように眠っていたはずの意識が浮上した。
重いまぶたを少し開けて、そこにいるはずの存在を探した。
そうしたら窓辺にいた影が覆いかぶさってきて。
唇を塞がれたと同時に冷たい液体を喉に流し込まれた。

「うそ・・・俺も飲んじゃったよ・・・」

よりによって微生物入りの養毛剤を。
蒼白になった拓海を、しかし啓介は不思議そうに見上げた。

「でも何で拓海はなんともないんだ?」

涼介は医者の目で拓海を観察し、やがて結論を下す。

「どうやらカギは藤原が持っているらしいな」

 

 

「ハブやマムシ用の血清の作り方を知っているか?」

そんなもん知っているハズがない。二人は首を振った。

「馬などの大型動物に、対象となるヘビの毒を少しずつ、
断続的に注射して免疫反応を起こさせ、抗体を生成させるのさ。
この抗体を含んだ血清を患者に注射してヘビ毒を中和させる。
他に有効な治療薬がない場合、血清注射は手っ取り早く有効な治療法と言える」

ふんふんと頷きながらも話が見えない様子の二人に、涼介は苦笑した。

「同じものを飲んでも藤原は何ともなかったのなら、
藤原の体内に抗体ができているんだろう。
その抗体を含んだ体液を啓介の体内に注入すれば、毒なら中和されるはずだ」

はあ、と頭をフル回転させて、拓海は涼介が言わんとすることを理解しようとする。

「それって、注射とかするんですか?」

手の中の啓介がぴくりと動いた。涼介はどこか人の悪い微笑を浮かべる。

「他の方法もあるぜ。例えば・・・さっきのバスルームの続きをするとか、な」

バスルームの続き・・・続き!?

瞬間、拓海の頭の中は真っ白になった。

「お、俺ッ、注射でいいです!!」

というかむしろ注射がいい。どうか普通の方法で治療して欲しい。
懇願の目を向ける拓海に、涼介は困ったように微笑みかける。

「普通はそうするところなんだがな・・・啓介は注射が嫌いなんだ」

え?まさか。と目をむけると、

「・・・・・・」

啓介は拓海と目を合わせないまま固まっている。
どうやら注射という単語を聞くのもダメらしい。

「それにこのサイズだと投与する量も読めないからな・・・経口ならそう危険もないだろう」

そう言われてしまっては、拓海に反論できるはずもなかった。

 

 

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